闇に蠢く人攫い
「おや? 何か妙案が?」
「アレの上半身の皮を剥いで、その皮を明日の血闘の勝者に被らせるのです。装飾用の被り物として」
「おぉ素晴らしい! その者を”豹殺し”として喧伝するわけですな!?」
「で、次の血闘前にイヴの肉を食わせる催しをやろうかと。これは絶対、盛り上がりますよ」
「最強の肉を食らい次なる最強へですか! いやぁ実に素晴らしい思いつきだ! その演出、客は必ず喜びますよ! さすがは公爵どの! 感服いたしました!」
「これで次の人気者は用意できます。ですのでイヴが消えても、しばらく血闘場は安泰でしょう」
「ただ、もし明日の血闘でイヴが勝ち残ったら?」
「ん? どの道、殺しますが? アレが生きて王都や他の場所をうろついていたら客はどう思います? イヴの姿を目にするたびに”まだここに最強の血闘士がいるのに”という気分になるでしょう」
「ふむ……イヴ・スピード不在の血闘場に物足りなさを覚える、と」
「そういうことです。しかし、さすがに死んでしまえば客も諦めがつくというものです。他の人気者を据えるにしても、アレが生きていては邪魔になりますからな」
「やはりあなたは先を読む力に長けていますなぁ。ですが、アレをそう簡単に殺せますか?」
「ご心配なく。いざという時の手配は、済んでいます」
「さすがはズアン公爵。ところで、ご存じとは思いますが……とある元奴隷の娘の身を、イヴが買い戻そうとしている話は――」
ピクッ
イヴの耳が反応する。
「白足亭のダークエルフですか」
支部長が言い終える前に、公爵が先回りして言った。
「そうです。その少女のおかげでイヴは予定よりも長く血闘士を続けてくれました。どうでしょう? 温情として、その少女を自由の身にしてやるというのは?」
「ははは、実はあの娘はワタシが引き取ることになっておるのですよ」
「ほぅ? やはり、あなたにも同情心が――」
「今はまだ小便くさいガキですが、あれはいずれ物凄い美人になります。ダークエルフの綺麗ドコロは前々から欲しいと思っていたのですよ。ふふふ……引き取ったあとは、この手できっちり仕込んでやるつもりです」
「こ、これまではイヴがいたから手を出せなかったわけですな?」
「忌々しいことにそうなのですよ。とはいえ、人間のなり損ないと暮らすよりはワタシのような貴族に飼われた方があの娘も本望なはずです。ま、飽きたら娼館に売り飛ばしますがね……エルフほどでないにせよ、ダークエルフも珍しいですから。きっとよい客寄せになるでしょうなぁ! わははははっ!」
「は、ははは……し、しかしあなたもイヴとはけっこうな時間を共にしてきたと思います。情の一つも、湧かないものですか?」
「おや? 支部長どのは奇妙なことをおっしゃる」
「?」
「人間以下の獣風情に、ワタシが情など抱くわけがないでしょう」
「――――」
今すぐ部屋に乱入して、殺してやろうかと思った。
イヴは同時に、今まで見抜けなかった己の不明を恥じた。
(これほどまでの、外道だったか)
怒りをイヴはぐっと堪えた。
扉の前にはコステロがいる。
強さは未知数。
手こずったら終わりだ。
もし時間がかかれば他の私兵も集まってくる。
多勢に無勢で殺されるかもしれない。
「…………」
自分の命だけならば、どうでもいい。
(しかしここで我が死んだら、あの子はどうなる……?)
白足亭の女主人をイヴは好ましく思っていない。
あの場所にずっと置いてはおけない。
(我が助け出さねば、あの子は救われない)
殺意をのみ込んでイヴはその場を離れた。
音を立てぬよう気を配りつつ一階へ戻る。
自室を目指す途中、
「これはこれは、誰かと思えばイヴ・スピードどのではありませんか」
声をかけてきたのはフードを被った男。
細い糸目が印象的な男だった。
(この男、いつの間に……? 何者だ?)
気配を、感じなかった。
「明日の血闘、楽しみにしています」
「……ああ」
イヴはそれだけ答えた。
場を離れかけると、
「ここにおられたのですか、ムアジさまっ」
ローブを着た男がこちらへ駆け寄ってくる。
イヴは振り返った。
声をかけられたのは糸目の男のようだ。
「少し問題が起きまして」
「何があったのですか」
「先ほど、酒を飲み過ぎた者が酔いの勢いで仲間に襲いかかりまして――」
(ムアジ? ではあの男が、アシントを率いる者なのか……)
しかし今はアシントにかまけている余裕はない。
(急がなくては)
自室に戻り、イヴは荷物をまとめ始めた。
(結局……)
『クズの思考はよくわかる』
(あの者の、言う通りだったか)
▽
イヴは静かに血闘場を抜け出した。
人目につかぬよう身を隠しつつ移動を開始する。
稼いだ金の大半は持ち出せなかった。
金のほとんどは自由の身を得た際に渡されるからだ。
(仕方あるまい)
大通りを避けて裏路地を進む。
足音の多い場所を回避しつつ、イヴは路地を一つ抜けた。
(我は、耳を塞いでいたのかもしれん……)
逃げていた。
現実から。
あの男の言葉から。
(平和に静かに暮らす夢を、叶えたかった)
もう少しで手が届きそうだったのだ。
あと一歩だと、信じていた。
明日さえ終われば夢を掴めると思っていた。
疲れていた。
この人生に。
早く、楽になりたかった。
楽な方の未来に、飛びつきたくなった。
(だが、心の奥底では知っていた気もする……)
現実は、甘くないと。
それに、
(あの子を理由にして、我は自分を救いたかっただけなのかもしれぬ……)
救われたかったのは、むしろ自分の方だったのか。
(我は――)
イヴは雑念を払いのけた。
(いや……)
いずれにせよこのままだとあの子は不幸になる。
まずはあの子を、公爵の魔の手から救い出す。
「つまらぬ自己憐憫は、そのあとだ」
▽
イヴは大門の見える場所まで来た。
目的の白足亭は王都の隅に位置している。
大門前は途中で立ち寄れる場所だった。
周囲の様子をうかがう。
(一応、あの子のところへ向かう前に確認しにきたが……)
あの二人組の姿は見当たらない。
(すでに発ったか)
背後に足音。
(いや、違う……)
二人分の気配。
剣に手をかける。
イヴはゆっくり背後を振り返った。
「予想よりは、お早いご到着だったな」
闇の中から一つの人影が歩み出た。
あの男――ハティ。
「ここに来たってことは――」
「ああ、そなたの言う通りだった」
「ま、自分の目と耳で知った”現実”ほど説得力のあるモンもないからな」
ここへイヴが来るのを確信していた。
そんな口ぶり。
剣の柄から手を離す。
「疑って、すまなかった」
「別にかまわねぇさ。あんたも言ったように、普通は昨日今日会ったばかりの相手を信用しろって方が無理だろ」
「…………」
「で、例のあんたの大事な娘は連れてくのか?」
彼の背後にはあの女剣士の姿もあった。
イヴは白足亭の方角を見やる。
「……無論だ。あの子を、ここへ残して行くわけにはいかぬ」
「つまりあんたはこのまま俺たちと魔群帯へ行く。そう理解していいんだな?」
「あの子と二人で安心して暮らせる場所など……もはや今の我には、あの魔女の棲み家くらいしか思いつかん……」
もうどこか別の場所へ預ける気にもなれない。
(この世界は……あの子がたった一人で生きていくには、あまりにも残酷すぎる……)
イヴは決意を固めた。
魔群帯の魔女のところへあの子を連れて行く。
この命に、代えてでも。
「条件つきでだが、我はそなたに魔女の居場所を教えるつもりだ」
「クク、ならひとまず決まりだな。それじゃあ――」
白足亭の方へ向き直るとハティは邪悪に微笑んだ。
「人攫いと、いこうか」