遠き彼方へ、想いを馳せ
西の空が茜色に染まる頃、和室の中で正座して向かい合う二人の女性の姿があった。
その内の一人は巫女装束に身を包み、黒く艶やかな髪を総髪に纏めていた。
室内は先程から沈黙に包まれ、声を発する者はいない。
開け放たれた障子戸の先には、壮観な日本庭園が広がっており、静まり返った室内に小川のせせらぐ音だけが聞こえる。
どのくらい時間が過ぎただろ。巫女装束とは別の女性が口火を切った。
「やはり、譲っていただくことは出来ないのですね」
その声は威嚇するわけではなく、懇願するような声だった
「何度も申しました通り、あれをお譲りする訳にはいきません。あれがこの地から失われてしまえば・・・・」
それに対し、巫女装束の女性は燐と通る声で、はっきりとした拒絶を口にした。
向かい側に座る女性は尚も懇願する。 今度はやや語気を強め。
「それに関しては、我々の方でしっかりとした対応を行います。そうすれば------」
「私の答えは変わりません。お引取りを・・・・」
まだ言いたい事があったが、これ以上、話すことは無いとばかりに巫女装束の女性により会話は打ち切られる。
やはり説得には応じてもらえなかったか。そう思い、もと来た道を引き返す。
幾ばくか石段を降り、ふと立ち止まった。
見上げた空は薄暗く、町並には電気の明かりが灯り始めていた。
間も無く、宵闇が訪れるだろう。
女性は、ふと、この町に来た時の事を思い返す。
ここへ来たのは何年前だったであろう。
瞼を閉じれば様々な思い出が蘇る・・・・・・
その女性、ミルカは再び空を見上げる。開かれたその瞳は哀感漂うものだった。
初夏の青嵐が彼女の長い髪をなびかせた・・・・・・・・・・
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「次回、にゃん太郎現る。お楽しみに!!」
「なんだよ、にゃん太郎って」
自室で深夜アニメを鑑賞中、次回予告が流れる。次回は、にゃん太郎が現れるらしい。
テレビを消して、ベットに横たわる。そのまま今日の帰り道での出来事を思い返す。
ミルカさんと別れたあと、何となく気まずいまま二人で歩き始めた。
途中、チラッと明日香の顔を見ると、向こうもこちらの様子が気になったのか、少しだけ顔の向きをずらし俺の方を見た。
タイミング、バッチリ。おかげで明日香と目を合わせる形になり、バッっとお互い逆の方向に顔を向けた。
(何だよこの空気、ミルカさんが余計な事言うからメチャメチャ気まずい・・・・)
とにかく、この微妙な空気を何とかしないと居心地が悪くて仕方がない。
(何か、何かこいつとの話題はないか・・・・)
学校での出来事でも話すか?いや、駄目だろ。朝の出来事とか出ちゃったりするかもしれない。じゃあテレビでも・・・・最近アニメしか見てない。
明日香はあまりアニメは見ない方だ。
場に適した話題がない物かと、頭の引き出しを片っ端から空けていく。
引き出しは僅か三分で空になった・・・・・・ここまでないなんて・・・・・・
最早、俺に残された道はただ一つ。この気まずい空気の中、沈黙を保ったまま行進するのみ。
結局、お互いの家の分かれ道まで一言も喋る事はなかった。
「それじゃあ、私こっちだから」
「おっおお、それじゃあ」
・・・・なんとも、こそばゆい青春の一ページである。
何年後かに笑って話せるのかな、「あの時、あんな事もあったねって」・・・・・・ハハッ、早く何年か経たねぇかな。
(にしても、ぶっちゃけ、あの場にルミカさんが来てくれて助かったぜ)
正直なところ、あんな事を言われたのだ。多感な年頃の男子ならば女子の挑発に乗って事に及んでしまっていただろう。
ましてや、相手は気心の知れている幼馴染で、学園でも一際可愛い部類に入る。そんな子にあそこまで言われては・・・・
ただ、やはりそういう事は好きな者同士でしたい。初めての相手なら尚更だ。
(あいつ、俺の事どう思ってるんだろうな・・・・)
幼馴染の顔を思い浮かべたその時だ、携帯の着信音が鳴ったのは。
まさか――――――― 明日香から!
ベットから勢い良く飛び起きると、机の上に置いてあった携帯を引っ掴かみ、画面を除きこんだ。
画面に映し出された名前を見てため息が漏れる。予想していた相手からの着信ではなかった為だ。
携帯は早く出ろと言わんばかりに呼び出し音を止めない。仕方なく出ることにした。
「もしもし、今何時だと思ってるの?ご年配の方々はそろそろお休みになられる時間ですよ」
「誰が年配だ、バカ息子」
電話の向こうから、中年女性の元気ハツラツな声が聞こえてくる。我が母親ながらちょっと五月蝿い。
「んだよ、こんな時間に。今から夢の国に旅立つところだったのに。ドリームランドへのパスポートを無許可に取り上げるとはどういった了見だ」
「それだけ下らない話が出来るなら、まだ眠いわけではないんでしょ。ていうかその回りくどい話し方、他ではやめなさい。友達なくすわよ」
「・・・・・・で?なんの用」
俺の精一杯のユーモアはお気に召さなかったようなので、普通に話すことにした。
クソ、俺が使った貴重なユーモアを返しやがれ・・・・・・
「特に用って訳ではないわよ。息子を残して来たんだから電話くらいするでしょ。普通の親なら」
親父の勤続年数、なんちゃら年のリフレッシュ休暇で、両親は旅行へと出かけていた。
息子の様子が気になって連絡してきたってところか
(せめてもう少し早い時間によこせよ)
「それで、何か変わりはない?まだ三日目だから特に変わりはないと思うけど」
「なんもない。俺の事は気にしなくていいから旅行楽しんで来いよ。あっ、お土産は忘れずに」
それから少し旅行先での自慢話が続いた。
正直、もう寝たいのだが母のテンションは上がりっぱなしだ。旅行なんて10年くらい行ってないから楽しかったんだろう。
ひとしきり話終わり、電話を切ろうとした時だった。
「そうそう、お父さんも、お母さんも家にいないからってハメを外し過ぎちゃ駄目よ。女の子を家に連れ込むとか、母さん許さないからね」
「しねえよ、そんなこと。アホか。もう寝ろ」
そう言って俺は、一方的に電話を切った・・・・・・
携帯に充電ケーブルを繋ぎ、先程と同じ机の上へと戻す。
(ふう、なんか今日はいろいろありすぎで疲れたな)
今日の帰り、明日香とは気まずい別れ方をしたけど、明日会ったら普通に接しよう。
柊弥も交えてバカ話をして、いつも通りの日常を過ごすんだ。
よし、そうと決めたら今日はもう寝よう。
部屋の電気を消し、ベットに潜り込む。
すると、瞬く間に眠気が襲ってきた・・・・
――――――ワン、ワンワン。何処からともなく犬の鳴き声が聞こえてきた。
犬の鳴き声の方に視線を向けようとするも、なぜだが顔が動かない。
意識の方もぼんやりとして焦点が定まらず、体も宙に浮いているような感じさえする。
そこで気付く(ああっ、これは夢なんだ)
・・・・・・それは、夏の暑い日、近所の山へ虫取りに行った時のことだ。
山林の中で虫を探し回っていたところ、大きなクワガタを見つけた。
見たことのない大きさだった為、捕まえてやろうと木に登りだした。
すると、クワガタは羽をブンブン鳴らしながら林の奥の方へと飛んでいったのだ。
「ああっ、逃げるな。待てー」
そうして少年はクワガタを追いかけた。
なんとかクワガタに追いついたのだが、追いついた途端、クワガタはまた違う木へと飛んで行く。
追いかける度にクワガタは、違う木へ、違う木へと飛んで行き、どんどん林の奥へと入っていくのだ。
いったいどの位追いかけただろう・・・・
次こそは捕まえてやると思いながらクワガタを追いかけていると、突如、開けた場所へと辿り着いた。
「うわあ、滝だ」
開けた場所には小さな滝があり、連なったその流れが緩やかな川を形成していた。
こんなところに滝があったなんて。
あれほど追いかけていたクワガタには目もくれず、滝の方へ向かう。
近くまで行くと、滝から落下した水の飛沫が体に降り注いだ。
クワガタとの追いかけっこのせいで全身汗だくだ。水の感触が心地よく感じる。
一頻、川の水に触ったり、石を投げて遊んだりした後である。
「あっ、そういえばクワガタ!」
奴の存在を思い出した。
きょろきょろ辺りを確認する。するとクワガタとは別の生き物を発見した。
犬だ、犬がいる・・・・・・
滝から少し離れた岩の上に、犬が横たわっていた。
近寄ってみると犬は、所々傷だらけのうえ酷く汚れており、毛並みもボサボサだった。
そして何より気になったのは、犬の前足と後足が左右揃えて、不思議な模様の縄できつく縛られている事だ。
・・・・・・(ああっ、これはあの時、あいつに出会った時の夢だ)
うっすらとした意識の中、昔、自分が子供だった頃の出来事だと響は認識した。
(縛られたこいつを見て最初に思ったのは、間に棒を通したら犬の丸焼きが出来るって事だ・・・・・・)
なおも夢は続く・・・・・・
子供だった響は、既に犬は死んでいるものだと思った。
だが、良く見てみるとお腹の辺りが上下しており、呼吸している事がわかる。
「こいつ、まだ生きてる!」
生きている事がわかった途端、響は動き出した。
何故だかわからないが、この犬を助けないと。
死なせてはいけない。そういういった意識に駆られたのだ。
まずは犬を縛っている縄を解く・・・・
「ううっ、固い。解けないよ」
やはり、犬を縛っている縄は固く、なかなか解けない。
それでも後ろ足を縛っている縄は比較的ゆるく、何とか解く事が出来た。
解いた縄は犬をいじめていた悪い縄なので、川の中へと投げ捨ててやった。
残る問題は前足だ・・・・・・
前足を縛る縄は非常に固く、少しも緩もうとしない。
子供ながらに、最早、解くことは難しいという考えに至り、縄を切る事が出来る物がないかと周りを見渡してみた。
すると滝の中に、何か光る物を見つけた。
滝の裏側を覗き込むと、人一人が通れるくらいの道がある。何とかその場所まで行ける事がわかった。
滝つぼに落ちないよう慎重に歩き、光りのところまでたどり着いた。
「なんだこれ?」
光る物体を拾ってみる。それは3センチくらいの大きさで、刃物のような鋭い金属片だった。
金属片は宝石のアクアマリンを思わせるような薄い青色をしており、とても綺麗だ。
「これなら切れるかも」
金属片で手を切らないよう慎重に持ち、駆け出した。
犬のところまで戻り、縄を切ってみる。
縄はまるで、ビニール紐をカッターで切るかのような軽さで簡単に切ることが出来た。
金属片と、犬を縛り付けていた縄を投げ捨てる。
そして子供の響きは犬を背負い、山を降りる為、再び駆け出した・・・・・・