過去
「・・・・・・私、不倫してたんです」
小さな声で呟かれた内容に反して、その衝撃は予想以上に大きかった。
「相手は、会社の上司でした・・・結婚してたことは知ってました。それでも私、好きな気持ちを押し殺せなくて・・・・・・いけないとは思ってたんです。これは、許されない恋だって。でも・・・例えそれが不倫でも、私が二番目でも・・・愛されて・・・・・・嬉しかった。ドタキャンされたら泣いてしまうくらい悲しくて、でも少し優しくされただけでどうしようもないくらい喜んで。・・・都合のいい女扱いでも、当時の私は満足してました。馬鹿みたいに思うかもしれませんけど、幸せに満ち満ちた日々を過ごしていたと・・・思い込んでたんです」
「・・・・・・・・・」
「これが最後の恋なんだって・・・本気で考えてました。不倫なんて、未来のないものなのに・・・それを頭のどこかで、冷静な自分が冷めた目で見ていたはずなのに」
俺は、何も言えなかった。
ただ、棒立ちで堀宮さんの独白を聞いていた。
「・・・・・・私、汚い女なんです。津田さんに好かれるような、そんな綺麗な女なんかじゃないんです」
違う!
俺は、そう叫びたかった。
だけど、何故かこの時の俺の口は動かなくて。
「・・・・・・上司の子供を、妊娠しました」
だけど、俺の全身は固まったままで。
「産む覚悟を・・・母親になる覚悟を・・・一人で育てる覚悟をもてなかった当時の私は・・・・・・その子を、中絶しました。私は・・・・・・一つの命の灯火を、自らの意思で消したんです・・・!」
思考すらも、停滞していた。
「・・・・・・軽蔑、しましたよね?・・・・・・・・・ごめんなさい」
何に対して謝ったのだろうか?
それすらも聞く事が出来ないまま、俺はただ呆然と、走り去っていく堀宮さんの背中を見送っていた。
声を掛けず、後を追うこともしないで、ただ呆然とその場に立ち尽くすだけ。
・・・・・・これって、現実か?
ここまで頭が働かないと、何だか夢心地だ。
これが夢なら、どうか覚めてほしい。
だが・・・これは現実だ。
思考がぐちゃぐちゃで、考えがまとまらない。どうすればいい?俺はどうしたい?
そんな簡単なことすらも、答えが見つからない。
・・・・・・・・・とりあえず、堀宮さんを追いかけよう。
今更だが、そんな考えに行き着いた。
時間が経過すれば、今日の出来事も過去の思い出となる。風化する。
だが、時間が経過すればするほど、修復できないものもある。
俺と、堀宮さんの関係性だ。
おそらく、後日にでも何気ない顔で喫茶店に行けば、堀宮さんは何事もなかったかのように対応してくれるだろう。
だが、それだけだ。
店主と客。
それ以上は、もはやない。
互いの間に壁ができる。何をどうしようとも壊れない、強固な壁が。
その壁が構築される前に、俺は堀宮さんと会わなければならない。
どんなに嫌われようとも、拒絶されようとも、会わなければ・・・俺と堀宮さんの未来はない。
この考えは、誇張し過ぎているかもしれない。
けれど今後、堀宮さんは誰かと付き合う気があるのだろうか?
あそこまで自分を嫌悪していたのだ、結婚する気など皆無かもしれない。
今回の俺とのデートだって、最初は断ろうとしていた。
あのまま俺が押し切っていなかったら、きっとここには来なかっただろう。
そして・・・これからも一人で生きていくつもりだろう。
・・・・・・それはだめだ。
俺は振られても・・・まあいい。
堀宮さんが本当に好きな相手と付き合い、いずれは結婚するなら。
だが、その気がなくこれからの長い人生、彼女一人で生き抜くつもりなら・・・俺は認めない。
堀宮さんが隣に誰も座らせない、立たせないと心に決めていても。
俺は、俺だけは。
堀宮さんの隣に居続ける。
だから俺は、走り出した。
何も考えず。
ただ走る。
どこに堀宮さんが居るかなんてわからない。
でも・・・それでも・・・・・・走らずには、いられなかった。
運命よ。
もし、もしも。万が一でも俺に堀宮さんを幸せにする権利があるなら・・・頼む!
俺と堀宮さんを再び、巡り会わせてくれ!
あの雨の日に出会えた奇跡を、もう一度だけ起こしてくれ!
それ以降の奇跡はいらないから。
彼女は・・・堀宮さんは俺自身の手で幸せにするから。
俺を、彼女に会わせてくれ!!