小野妹子がやってきた。
仕事帰りの電車内、俺は今日も『君も小説家だろう!?』を覗く。
言わずと知れた小説投稿サイト。
挑発的なサイト名に乗せられてか、作品を投稿するのは殆どがアマチュア。
だが誰でも無料で掲載し閲覧出来る事は賞賛に値する。
無料より安い物は無い。
有料アイテムを手に入れないと行き詰まるモバイルゲームに現を抜かす金も尽きた。
少し前までは、別の有名な投稿サイトで『こことは違う世界で最強になり、あまたの美少女から妄信的に愛される話』の主人公に感情移入して楽しめたし、スッキリも出来た。
だが、それにも少々限界が訪れた。
俺はもう、どんな話を読んでいてもスッキリできなくなった……。
あの会社のせいで!
上司等のせいで!
そんな時、偶然見つけたのがこの『君も小説家だろう!?』だった。
このところ、新規ユーザー伸び率の目覚ましい注目サイトだ……が。
『だろう』が流行るのも『なんちゃらミクス』の功罪のどちらかだろう……。いや、どちらかと言えば……多分どっちかだ。読めば分かる。
『だろう』の主流はブラックユーモア。
いや、ユーモアと言っていいかどうかは主観の問題かもしれないが、とにかくどのジャンルも一律にブラック展開一辺倒なのだ。
ファンタジー、恋愛、コメディーetc.……。どれを採っても最後は主人公が酷い目に合
う、正にブラックのテンプレ。
当然読む方は解かっていて読むのだから誰も文句は言わない。
中には感想欄で「オチが甘い! もっと苦しめろ!」とか「あなたの人生が幸せだったと感じます。もっと悲惨な経験を積んでから投稿してください」などと言う辛辣な物を見掛ける事もあるが「楽しく拝見しました。主人公をクソ上司に当てはめて、とてもスッキリしました。今後の展開にも強く激しく期待しています!」と言うエールの方が圧倒的に多い事を見ると、サイトは概ね穏やかに運営されているようだ。
そう、ここのユーザーは主人公に自分を投影するために小説を読んでいるのでは無く、憎むべき相手を主人公に置き換えて、鬱憤を晴らす事を閲覧目的とした健全な人達だ。
決して実力行使などと言う暴力的手段に訴えない善良なる一般市民なのだ。
そして今日、善良なる俺は初めてお気に入りの連載小説に感想を書いた。
『あなたの作品は素晴らしいです! これは是非とも実写映画化すべきです! そして、その主人公には絶対に僕の上司を使ってやって下さい!』
俺は満足したのか、呑めもしないのに無理やり飲んだ一杯のヤケ酒のせいか、すっかり眠り込んでしまった。
そもそも、俺は他人と話すのが苦手なんだ。
それがどうして営業なんて部署に配属されなきゃならない……。
こんなにも自分を生かせない仕事が割り振られる理不尽。
ノルマ! ノルマ! の毎日。
残業代なんてほんの少しあればましな方。
ブラックなのはむしろ俺の会社じゃないのか?……。
「……様。……様」
誰だ? 俺を呼んでるのか?
「お客様。お目覚めですか?」
お客様って俺の事か? って事は電車の乗務員、終点まで寝過ごした!?
目を開けると、先程までいた他の乗客は一人もいない。
でも、電車はまだ走行中。
車庫にでも向かってるのだろうか?
「申し遅れました。ワタクシ“チート保険”からやってまいりました外交員の小野妹子でございます。今回お客様の担当を務めさせて頂く事になりました」
声の主を見ると、どうやら鉄道マンではないらしい。
黒い細身のスーツ姿、朝の連ドラに出てくるような爽やかな笑顔、かなり奇妙な名前。
イケメンと言って差し支えない青年が隣に座っている。
その嫌味な顔で俺の隣に座るな!
けど……チート保険って何だ?
「今回ワタクシがお勧めする商品は、当社がこの春自信を持って売り出します新商品でございます。お客様にはその特別先行販売のご案内に参った次第でございます」
電車の中で営業始めたぞ。
ビラ配りだってダメなのに、まずいんじゃないか?
「ですが、誰にでもご紹介するわけではございません。勇者になれる資質をお持ちのお客様の中から厳正なる審査を経て、お客様が当選なさったのです! おめでとうございます!」
おめでたいのはお前の方だ。
これはかなり重篤な症状とお見受けする。
勇者? 勇者って言ったよな? 勇者ってなんだよ。
「奇跡的な幸運に戸惑っていらっしゃる様ですが、落ち着いて聞いてください。
現在、とある異世界では勇者が絶滅の危機に瀕して居ります。
その世界には訪れる人も無く、村々は寂れ、魔物が跳梁跋扈しています。このままでは“最初の村”を管轄する王国一帯さえも“ラストダンジョン”手前の街ほどの危険な場所になってしまいかねません。
そこで“旅立ちの王国”の王様と私共“チート保険”との共同プロジェクト<春の勇者召喚まつり>が企画されまして、こうして第一号のお客様をお迎えに上がったという訳です。ここまで、何かご質問はございますか?」
はい、質問です。
精神鑑定を希望しますか?
「声が出ないほど驚かれても無理はございません。ですがご質問が無いようですのでご理解いただけたと言う事で続けさせて頂きます。
ここで大概の方がご心配なさるのが“異世界召喚されて帰れるのか”と言う問題です。
でも! ご安心ください。世界に平和が訪れ、お支払いが完了すればいつでも現世に戻っていただけます。今回私共がご案内致しますのは極々初期のRPGの世界ですので、最終的な攻略対象……いわゆるラスボスまでの道のりはそう遠い物では御座いません。
エンディングまで迎えられれば勇者としていやと言うほど感謝されるやら、もて囃されるやら……残念ながら一夫多妻設定は御座いませんので主に王族の方々や市井の方々からの羨望や賛辞のみが報酬ですが、またとない最高の気分が味わえます。
更に、今ご契約頂けば8%OFFキャンペーンの対象となります! この機会を逃すと、必ず後悔なさいますよ」
立て板に水とはこの事だろう。
話の内容には爪の先程も信憑性が無いというのに、うっかりすれば本気になってしまいそうだ。きっとこの小野妹子とやらは営業マンで、鬼レベルのノルマに起因する精神異常を来たしただけの同情すべき無駄にイケメン。
これ程の使い手が病んでしまう程のノルマとは如何なるものか……。いや、聞くのは止そう。これ程饒舌な奴を相手にして自己嫌悪に陥りたくはない。
深入りはごめんだが、降車駅までなら話くらいは付き合ってやってもいいか。
その気持ち、俺だって分かるよ。どうせレベルは違うけど……。
何なら『だろう』を教えてやってもいい。
だが、取り敢えずは話を聞いてやるのがセオリーだろう。
「その……チート保険ってのは、どういった物なんですか?」
そこでふと考えた、俺はこの男をなんて呼んだらいいんだ?
女ならば馴れ馴れしい気もするが“妹子さん”に逃げる事も可能だ。
だが、男相手に妹子さんはかなり気持ち悪い。
では? “おののさん”と呼んだらいいのか“おのさん”なのか……。
受け取った名刺には漢字で『小野妹子』フリガナは『ONONOIMOKO』。
不親切。何のヒントもない。
いっそ本人に確認してみようか……。
いや待て。
こんな簡単な漢字およびローマ字が読めないなどという誤解を受けたらどうする。
それだけは断じて避けねばならない。こういう時は舐められたら負ける。
名前を呼ばなければいいのだ。
「では、チート保険の基本的な部分をご説明させて頂きますが……どうかなさいましたか?」
「いいえっ! な、何でもないですっ!」
いかんっ!
俺は様々な思考を巡らせていただけなのにボーっとしていたと取られたか?
ボランティアで付き合ってやっているはずなのに、このままでは主導権を握られてしまう。
しかし、病んでる割には妙に堂々として余裕さえも感じる。
まさかこの話……。
いやいやいやいやいや、危ない危ない。これは妄言なのだ。
「で、チート保険って具体的にはどういった感じなんですか?」
小野妹子が言うには『チート保険』と言うのは元々、異世界転生者に向けて売り出された保険で、その歴史は前身『バグ保険』にあり『裏ワザ保険』を吸収合併して今の『チート保険』となったらしい。
だからどうした。
尤もらしい事言っても俺は騙されないからな。
俺が聞きたいのは商品の内容であって会社の成り立ちじゃない!
べ、別に信じたわけじゃないぞ!
「では続きまして異世界召喚タイプをご用意した経緯についても……」
「いや! もういいです、その話は最初に聞いたんで」
「では、商品の説明をさせて頂きます」
待ってました!
「お客様と当社の間で契約が成立致しますと、お客様は直ちに異世界へと旅立ちます。
その際、衝撃で記憶が失われることの無いように〈記憶保全〉。異世界の住人との会話をスムーズにお支えする〈言語理解〉。この二つが基本保障で、その他さまざまなタイプの保障がございます」
「でも、お高いんでしょう?」
「ですがお客様。オプションがあるか無いかではその後の異世界ライフに大きな影響を及ぼしかねません。先程もお話ししましたが、今日ご契約頂けば8%OFFの対象にさせて頂きますので決して高い買い物では御座いませんよ。
お支払いも年間365回払いの自動引き落としです。これはお客様にとってご負担を極力感じさせない当社の誠意でございます」
「給料から税金が引かれるような?」
「さすがお客様はご理解がお早いです! 必要なお支払いは先に済ませて御座いますので手元に入ってきたお金は全てお客様の自由になされますよ!」
「なるほどぉ!」
俺は早速“オプション一覧”と書かれたパンフレットの中から〈十倍型〉〈容姿端麗〉〈時空転移〉の三つを選んだ。十倍型とは敵を倒した際の報酬が通常の十倍になるという物、容姿端麗は言わずもがな、時空転移とは異世界から帰ってきた時に、この出発点に戻れるというものらしい。何日も無断欠勤して、くびにでもなったら冗談じゃすまないからこれは必須だ。
〈最強〉ってのもあったが、弱い者いじめみたいな勇者ってのよりも段々強くなる方がやりがいがありそうだ。それに〈最強〉だと直ぐ終わっちゃいそうだし。
どの世界に行くかによってレートが違うので具体的な契約料は分からないとの事だったが、最低限のオプションに止めておいたのでそれ程心配は無いだろう。
「では、内容をご確認の上こちらにサインを」
小野妹子はそう言うと、どこからともなく契約書を出した。
今話した契約内容がすでに書いてある。
俺は言われるがまま、サインと拇印を押した。
「お名前は高田様ですね……確かに承りました。これをもちまして契約成立です。ありがとうございます、お気を付けて!」
奴の声が遠くに聞こえる、俺の意識は段々と遠退き、やがて深い眠りに就いた。