猫な人魚姫と冒険者な王子さま
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人間の世界には、「人魚姫」という童話があるらしい。それは、人魚な恋する女の子と王子さまのお話。
そんなお話を知ってから、私は思った。馬鹿な人魚姫。あなたと他の女の人を間違えるような王子さまに命を捧げるなんて。
恋ってどんな気持ちなんだろう。あの人のためなら、自分の命も惜しくないと思える気持ち……?
私にはわからないけど、きっと素敵な気持ち。
When is my prince……?
ある綺麗な夕暮れの日。そろそろ寒さが感じられるようになってきた冬空の下、一匹の子猫がいた。
「あっ!」
草の茂みの中、耳をピンと立ててある方向を見つめる子猫の名前はユジュ。真っ白な毛並みにピンクの鼻と耳を持つごくごく平凡な子猫だ。一つ、平凡じゃないところを上げるとすればそれは物語が好きなこと。特に、「白雪姫」や、「人魚姫」とか、そんなお話が大好きなのだ。
ユジュというこの世界で柔らかいもの、ふわふわしたものを意味する名前を、誰がつけてくれたのかは忘れてしまった。覚えていないということはきっと、どうでもいいことだったのだろう。猫は自分に都合の言い事しか覚えない。
そんなことより、ユジュの視線の先にいるのは冒険者風の格好をした、年の頃18ほどの青年。この世界では珍しくない赤い髪をした彼は向けられる二つの光った瞳に全く気付かずに鼻歌を歌いながら通りすぎた。
「行っちゃった……」
彼の名前はアリト。何故だかわからないけれど、ユジュはあの人に心引かれている。どうして、あの人の姿を見ると嬉しいんだろう?その答えはまだ分からない。でも、あの人に会えたら。とっても嬉しい。その時を想像して、胸が高鳴る。
これは、人間で言う「友達になりたい」っていう感情なんだと思う。どきどきするのも、全部そのせい。
「私が人間だったら……」
あの人のところへいけるのに。それはユジュの密かな願い。今までは願うだけだったけれど、これからはもう違うのだ。決意を胸に、目を光らせる。
「よしっ!」
ガサッ、と音を立てて身を翻すと、ちょこちょこと走り始めた。目指すは森の一番深く。そこにいる魔法使いは、不思議な力を持っていて頼めば人間にしてくれるらしい。そんな噂を風の便りに聞いたときは、震えるほど嬉しかった。これで、やっと。
期待に弾む心で足を動かす。本人、本猫は最速で走っているつもりだがいかんせん子猫なのでいくら速く足を動かしてもスピードはあまりでない。だが、一生懸命走り続けて、そこにたどり着いたときはもう夜もふけてきた時間だった。
「あの~。」
あからさまに怪しい、いかにもな小屋にたどり着いたユジュは、小さい前足で扉を叩く。
どんな人が出てくるのだろう。噂では魔法使いだったけど、もしかしたら違うかもしれない。
「なんじゃい」
「ひっ!!」
急に聞こえたしわがれた声に、ユジュは思わず飛び上がった。それでもここでひいたらなんのためにここまで来たのか……
再び自分を奮い立たせ、顔を上げる。
「私を、人間にしてください!」
思いきって伝える。扉のところに立ちっぱなしだった魔法使いは、くい、と眉を上げると
「とりあえず、入りな。」
と言ってユジュに背を向けた。
「は、はい……」
おそるおそる足を踏み入れる。入ったそこは意外と狭く、また普通の家だった。
魔法使いは二つある椅子に座ると、もう一つの椅子を引きそこにユジュを促す。
どうやら悪い人では、なさそう、かも……?そんなことを思ったユジュは軽やかに椅子の上に飛び上がる。部屋のなかは蝋燭の柔らかな明かりで満ちていた。
そんなユジュを見ながら、魔法使いは口を開いた。
「事情を説明しな。どうしてまた、人間なんかに。」
口は悪いが、冷ややかではないその声にユジュは一生懸命答える。
「あのっ、アリトって人がっ、その人に会いたくてっ、それでっ」
「ああもうニャーニャーニャーニャーうるさいね。落ち着いて、筋道立てて話しな」
「ニャーニャー!?」
もしや言葉が通じてないのでは、と焦ったユジュを見て魔法使いは首を降る。
「言葉は分かるよ。これでも魔法使いと呼ばれる者だからねぇ。だからゆっくり話せと言っているんだ。」
魔法使いに諌められて少し落ち込む。そして、頭のなかで纏めてから今度こそ筋道立てて話始めた。
「……だから、私は人間になりたいんです。」
事情を聞き終わった魔法使いは、しばらく真っ直ぐこっちを見て目を細めていた。
「いいのかい?いくら私でもそんなに長い間はしてあげられない。持って一日。その程度だよ。」
「いいんです。」
ユジュは速答する。たとえ一日でも、あの人と話せるなら。迷いないユジュの瞳を見ながら、魔法使いは厳しい顔をする。
「それに……」
魔法使いが話した内容はユジュを驚かせたが、それでも、ユジュは頷いた。
「いいの。大丈夫。」
一歩も引かないユジュの様子に魔法使いはしばらく考えたあと、はーっ、とため息をついて頷いた。
「仕方がないね。いいかい、もう少しで日付が変わる。これから、明日まで。あんたが人間でいられるのは一日だけだよ。分かったね。」
「うんっ!」
人目が全く無く、袋小路な路地の中。
「おい、嬢ちゃんつれないこと言うなよ。」
「ちょーっと遊ぼうぜ、って言ってるだけじゃねえか。」
「なぁ?」
「「げひひっ、ははっ」」
迷子な上知らない人に絡まれました。ユジュです。怖いです。
「おーい、だんまりじゃわかんねぇぞ~」
「っひゃっ!」
にやにやと笑いながらこっちに伸ばそうとしてきた手をユジュは慌てて避ける。
あーもう、どうしてこんなことになった!?必死で記憶を辿る。
そう、事の起こりは約半日ほど前。
「んんっ、朝……?」
もぞもぞっと体を動かし、目を擦りながらユジュは起き上がった。昨日必死に住み処まで戻ったのは覚えているけど、そのあとまさかの寝落ちしたらしい。
日がのぼりかけていて気持ちのいい正真正銘朝だ。
「なんたる不覚……。」
そう呟いてからはたと気付く。視線が、高い。
「えっ!あっ、そうだった……」
私、人間になったんだ。今更ながら、ふつふつと喜びが込み上げてくる。もしかして一糸纏わぬ姿なんじゃないかと思ったら、木綿のワンピースの様なものを着ていた。そこら辺は魔法使いが気を使ってくれたらしい。
「わー。こんな感じなんだー。」
手を上げ、足を上げ、くるくると回って人間の姿を堪能する。人間って、思ったよりも動きやすい。無意識に手を舐めようとしてはっと気付く。
「そうだ、仕草でばれないようにしないと。」
人間らしい振る舞いなんて知らないけれど、ばれたら大変な事になる。どんな事かはわからないけどとにかく大変なのだ。
今はまだ早朝なので人通りも少なく、というか全く無く、誰かに見られてはいないようだがもうすぐ人が増えてくる。
「あの人は、どこだろう。」
アリト……君?いや、アリトはどこだろう。
え……?あ、れ?
「ぎにゃっ!全然、アリトの事知らない!!」
さーっと顔が青ざめていくのが分かった。私がアリトについて知っているのは冒険者で、ギルド通いで、夕方にこの道を通ること。たったそれだけの条件で、アリトを見つけ出せる訳がない。
「うーわーどうしよう……」
途方にくれてしゃがみこむ。この人間化計画、穴だらけじゃないか。誰だ、よく考えもせずに特攻したのは。……私ですごめんなさい。
「まぁ、とりあえず探すしかないか。」
幸い、この町はあまり大きい町じゃない。それに、流れ者の彼はかなり目立つはず。目撃情報をたどれば、きっとたどり着ける……はず。
「よしっ!」
考えたらすぐ決行。早速ユジュは駆け出した。
「はぁっ、はあっ……」
疲れた。喉が痛い。心臓がどきどきする。結論から言うと、アリトは見つかっていない。……今のところ!どこを探しても、顔と名前は皆知っててもどこの宿に泊まっているか、とかどんな依頼を受けているか、とかは知らないようだ。そりゃそうか。気づけば日はどんどん落ちていき、今はもう夕方と呼ばれる時間になっていた。
「どうしよう……」
オレンジ色の空を見上げ、呟く。
本日二回目所ではない途方にくれる。一回、住処に戻って考え直そう。そう思い付きとぼとぼと足を反対方向に向け、ようとしたところで。
「あれ、ここ、どこ……」
アリトを探すため必死に奔走していたら、いつの間にかよく知らないところに来ていました。そのままうろうろしてたらいつの間にか袋小路に二人組の知らない人に追い詰められてました。解せぬ。
「嬢ちゃん?」
「おい、シカトしてんじゃねーぞっ!」
「っひいっ!」
ばん!とすぐ近くの壁を蹴られ、無駄だとわかりつつも後ずさる。案の定もう十分すぎるほど埋まっていたユジュと壁のスペースは、すぐにくっついてしまった。もう、なんなの。今までずっと我慢していた涙が、じわりと浮かんでくる。
「……っ」
「お?泣いちゃった?」
「俺達なにもしてねーよ?」
暴漢達は、泣きそうなユジュをじわじわと笑いながら追い詰める。怖い。こわい。誰が助けて。怖い!
「っ、くそっ!」
次の瞬間、いきなり上から大剣が人と共に降ってきた。
暴漢達はもちろん、ユジュも驚いて目を向く。
「ったく、手を出すつもりはなかったのに……。」
現れた青年、アリトを見てユジュは思わず今度こそ倒れそうになる。探していた張本人が何故今ここに……
頭にはてなマークを飛ばしているユジュを見て、アリトは苛立たし気に頭を掻いた。
「おいっ!そこのお前!何呑気に突っ立ってんだよ!速く逃げろ!」
飛ばされた罵声にびくっとして、それもそうだと思い逃げ出す。が、そんな簡単に逃げられるはずもなく、先程まで呆然とユジュとアリトのやり取りを眺めていた暴漢達に再び行く手を阻まれた。
「おっと、逃げないでくれよ。」
「おい!そこのお前!いきなりきてなんなんだよ。獲物横取りしようったってそうはいかねーぞ。」
「痛っ!」
一人はユジュの両手首を掴み捻り上げ、もう一人はアリトを睨み付ける。どどどどうしよう。これは、多分私を助けに来てくれたアリトが返り討ちにされてしまう……!私のせいで……!
「ちょっ!」
「っと、大人しくしてろ。」
とりあえず、捕まれた手首を振りほどこうと暴れてみたが全くほどけない。それどころか、警戒した男の手がさらに強くユジュの手を握りしめ、かなり痛くなってきた。
「いっ……!」
一度引っ込んだ涙が再び競り上がってくる。痛い。
その様子を黙って見ていたアリトは、はーっと深くため息をつくと、おもむろにこちらに近付いてきた。
一人目の男を素通りしてユジュの手首を掴んでいる男の真ん前に立つ。素通りされた男が、怒りを露にアリトに殴りかかろうとした。
「っ、てめえっ、なめてんじゃねーぞっ!」
その手には落ちていたブロック塀の塊が握られており、ユジュは思わず息を飲む。
「っ危ない!!!」
その声に、アリトはユジュに視線を寄越してから殴りかかろうとした男を逆に鳩尾に拳を入れる。
「ぐっ」
崩れ落ちた男に、さらに首に手刀を落として完全に意識を無くしてからこちらを向く。
「ひいっ!」
手を掴んでいた男は、思いきり怯えた声を出してから慌ててユジュの手を離した。
「おい!なんなんだよお前!別にこの女の知り合いじゃないんだろ!?ほっとけよ!ここではよくあることじゃねーかよ!」
その声に、アリトは無言で視線を返す。鋭く、どこか残忍な光を秘めたその視線に男が小さく息を飲む音が聞こえた。
「っ、分かった!この女が欲しいんだろ!!譲ってやる!譲ってやるよ!だからっ!」
「うるせぇ。」
大声で捲し立てる男を、アリトは蹴った。足の間を。
「ぎゃっ!いでででっ!痛いっ!」
ぴょんぴょん飛びながら、男が逃げていく。行ったかと思えば、一度引き返してきて伸びている仲間を担いで去っていった。
「はぁ~」
その後ろ姿を見ながら、大きく息をついたユジュをアリトはぎろっ、と睨む。
「おい!お前馬鹿なのか!一人でこんなところに来ちゃいけないって親から教わらなかったのか!?」
教わりませんでした。何せ猫だったので。とはさすがに言いづらく、ユジュは険しい顔で怒鳴るアリトから顔を背け中途半端に俯く。
「おいこら聞いてんのか。」
ぐいっと指で顎を上げられた。否応なしに合わせられる口は悪いが驚きと、心配とが入り雑じった瞳にばつの悪い気持ちが増幅する。
「……ごめんなさい。」
ぽつり、と呟かれた声にアリトはあからさまに困惑した様子を見せた。
「えっ、いや、謝らせたい訳じゃなくて……。」
「迷惑かけてごめんなさいっ……」
言ってて涙が出てきた。出来ることなら、もう少し無様じゃない初対面をしたかった。ずっとずっと会いたかった人との初対面がこれって。
「っ、うぇっ……」
「うぉ泣くのか!?えっと、悪かった。すまなかったから泣き止んでくれ!あーもうどうすりゃいいんだ……。」
途方に暮れたような声を聞きながら、慌てて涙を隠そうとがむしゃらに顔を拭う。それでも、指の隙間から滴る水滴を見てアリトは更に困った顔をした。
「っ、あーもう!」
いきなり、暖かい物に包まれる。それがアリトの体温であることに、気付くのは少し後だった。
「え?」
「あーもう、泣くな。大丈夫だから。もう、大丈夫だ。」
慣れてないからか若干力が強い。それでも、落ち着かせるようにそっと回された手と低く、でも優しい声音に少しずつ、ユジュは落ち着くのが分かった。
「ぐずっ」
大きく鼻をすすり、もう泣いてないことを示す。それに気づいたアリトは、そっとユジュを離した。
「……大丈夫か?」
「うん。」
ありがとう。そんな気持ちを込めて、アリトを見上げる。ユジュの視線を受け止めたアリトは、柔らかく笑い、そして思い出したように顔を背けてみせた。立ち上がったアリトに手を引かれてユジュも立ち上がる。
「じゃあな。俺は行くけど、お前は?」
「大丈夫。」
心配そうな視線に笑って見せる。それを見たアリトは、口のはじっこだけで微笑んで、歩き去っていった。
「っはあっ……!」
大きく息をはいて、再びしゃがみこむ。
緊張した。会いたかった人に会えて、しかも話せた!それはユジュを満足させるに十分だった。
「あっ」
キラキラと足先から消えていく。それを見てユジュは
「そっか。終わりなんだ……。」
と呟いた。魔法使いに言われたことを思い出す。
「それに……この魔法を使うと、お前は消えちまうよ。魔法をかけられた者が満足したら終わり。そのあとは消えていくんだ。」
それはとても衝撃的な言葉だったけど、迷い無く頷いた事を、今も後悔していない。どんどん消えていく体を見つめながら、今日一番満ち足りた笑顔を、ユジュは浮かべた。
ああ、今さら気づいても遅いけど。
今なら人魚姫の気持ちがわかる。馬鹿な人魚姫。愛する人のために、自分を犠牲にした女の子。そして馬鹿な私。きっと私は……アリトの事が……。
「……きだった……」
最後に知らなかった気持ちを教えてくれて、ありがとう。アリトの顔を思い浮かべながら微笑む。
ついに消え始めた胴体を眺めながら、ゆっくりと目を閉じる。
もしも、また会えたなら。今度こそあなたに伝えたい。もしも、生まれ変わることが出来るなら。今度こそ、魔法なんかに頼らず人間として、貴方の隣に並びたい。
「ありがと……」
そこには、きらきらとした光の余韻が残っているだけだった。その光は舞い上がり、白く、冷たく姿を変え、人々の上に舞い落ちる。
その雪に触れた人々は、何故か幸せな暖かい気持ちになり、それぞれの恋人や、家族のもとへ、足を急がせるのであった。
「……い!おい!」
「ん……?なによ……?」
そこは柔らかい光に満ちた小さな部屋。この部屋の主である少女を、突撃した襲撃者は眠っていたらしい少女を揺り起こす。
「おい!おいったら!ユジュ!」
「何よ、もう!何なの?アリト。」
寝ていたところをたたき起こされ、少々不機嫌なユジュは、アリトを湿度の高い目で睨み付ける。まだあどけない顔立ちに浮かんだ、可愛らしい表情にユジュの幼馴染みであるアリトは緩む頬を抑えられなかった。
「起こして悪かったな!外!外みてみろよ!」
口先では謝罪するがちっとも謝る気がない……。そう思って膨らんだユジュの頬をつつきながら、アリトはユジュの手をとって窓の側へと誘導した。
「わぁっ……」
そこには、一面の銀世界が広がっていて、まだ雪を見たことがなかったユジュは、先程までの不機嫌を何処かにやって、大きい瞳を輝かせた。
「な?な?凄いだろ!」
「うん……!」
まるで自分の手柄のように、アリトはユジュに話し掛ける。それを気にした風もなくユジュはアリトに微笑みかけた。
「綺麗ね……!ありがとう、アリト!」
見せてくれたことへのお礼の言葉と、満面の笑みにアリトは少々ノックアウト気味に笑い返す。と、そこに何故かユジュの表情が陰った。
「ん?どうした?ユジュ。」
アリトは少し不安になって、ユジュに問いかける。ユジュは一瞬の間をおいてから、取り繕うように笑おうとしたがそれに失敗して、切なげな表情がその白く幼い顔に浮かんだ。
「あのね……。見覚えがあると思ったの。」
「何に?」
その問いに、ユジュはただ笑って返す。
「雪に。何でかしらね。何だか、凄く昔に見たような気がしたの。」
この世界では、滅多に降らない雪を、見たことがあるというユジュにアリトは戸惑う。
そんなアリトにユジュは悪戯気に笑う。
「ねぇ、アリト……。」
「ん?」
「……何でもない!」
あの時は言えなかった台詞を言おうかと思ったけれど、やめておいた。そもそもあの時がいつか分からないけれど。しかし、ふと思い直して口を開く。
「アリト!」
「なに?」
「大好きよ!」
「俺も。」
雪空の下、幼い恋人達は幸せそうに微笑みあっていた。
end
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