06
二日目、三日目と順調に進んだ商隊は、四日目になって今度こそ危ない地域に差しかかっていた。
この辺りでは随分と有名になったという、盗賊のいる森付近。
僕達は今日、その場所を通過しなくてはならない。
昨日の夜の内に、僕達護衛を交えての打ち合わせはしてあったけれど、それでも不安は大きいのだろう、商隊の人達は今朝から口数も少なくなっていた。
ここ三日で、この商隊の人達の気安さはよく判っていた。
馬を歩かせている時にも、休憩を取っている時にでも、彼らは陽気に話し掛けてくる。
母のことも大事に扱ってくれるし、途中では彼女の体を考えての休憩も多めに入れてくれていた。
商隊長は厳しい人ではあるけれど、決して融通の利かない人ではないらしく、やはり僕の母を気遣ってくれているらしい。
また、僕の傷のことを知り、商隊長自ら傷に良いという薬草の話を聞かせてもくれた。
そんな気さくな彼らが、今朝出発した時から、一切の無駄話をしないのだ。
彼らには、もしもの時の注意事項だけは伝えておいた。
何しろ、相手は人の命すら狙ってくる連中だ。
いくら腕に覚えのある人間が数人居たからと言って適うものじゃない。
商隊の中には、元々護衛として参加している腕の立つ人も居るけれど、その人達さえも守るのが僕達雇われた人間の仕事だ。
もしも――どうしても逃げ切れない時には、僕達が囮になるしか方法がない。
その時に、彼ら全員がまともにやりあっていたなら逃げ切ることは不可能に近いだろう。
だから――母にもそれは伝えてあるけれど――もしも盗賊に遭ってしまった時には一目散に逃げてもらいたいのだ。
商隊優先。
何があっても、それだけは変わることがないのだ、と。
「不気味――な森だな」
そう言ったのは、商隊の一人、シオという人だった。
僕の隣に並び、馬に乗っているその人は、相当の剣の腕前を誇りにしている人だと商隊長が言っていた。
けれど、それは誇張でも何でもなく、本当にそうなのだと知ったのは、昨日の休憩中にハルと剣の打ち合い稽古をしているのを見た時。
彼と同等以上に剣を扱う姿を見て、全員が感嘆してしまった程だ。
それだけの腕を持って商隊に身を置いているのは、彼が商隊長の息子であるからに他ならない。
元々は神殿騎士や、王宮騎士に憧れて剣を手にしたらしいけれど、結局の所、父親の商隊長と一緒に旅をするのが楽しくて仕方ないことに気付き、そちらを選んだのだと笑っていた。
「確かに――けれど、それは天候のせいでもあるでしょうね」
「ああ…そういえば、今日はやけに雲が多いな」
「ええ。雨が降る事はないでしょうけれど」
「そうなのか?」
「はい。空気がそれほど湿ってないですから。これなら、この森の先へ行くまでは天気も保ちます」
僕のはっきりとした意見に、一瞬だけ目を細めた彼だったけれど、ここに来るまでの間に天候を気にする商隊長へ進言していた僕を見ていた彼は、それ以上何も疑うこともなく「そうか」とだけ言って押し黙った。
確かに――天候自体の心配はいらないんだけどね――。
内心で、そんなことを付けたした僕は、何時も以上に警戒を怠らなかった。
それというのも、どうやら盗賊は既に僕達の商隊に狙いを付けているようだったから。
視線が――纏わりつく。
どうやって攻めようか、どうやって荷物を奪うか、そんな算段をしているのだろうか。
それとも、いつ攻めようかと考えているのだろうか。
どうやら、僕以外の護衛達も、それは気付いていることみたいだけれど……。
そうこうしている内に、森から一番近い場所までやってきていた僕達は、先ほどよりも緊迫した空気を感じ取っていた。
後ろの方でハルが、僕と馬車を挟んで反対側にいるアロウが、戦いの準備を始めている。
僕の隣付近に並んでいたシオもまた、剣がすぐに出せるよう準備しているのが判った。
けれど、僕だけは知らぬ顔をしながら、少しずつ後方へと移動し始めた。
守るのは商隊。
僕達は―――彼らを逃がすための囮。
どんなことをしても、商隊を守らないとならないのだ。
母も気付いたのだろう、一瞬だけ僕へ視線を寄越したけれど、それに小さく頷いて見せると小さく嘆息し諦めたように手綱を持ち直した。
心の中で小さく謝る。
本当は一緒に逃げたいんだよ、僕だって。
けれど、そういう訳にはいかないんだ。
どうせ、これからだって戦うことが何度もあるんだから――許して。
そう心の中で言い訳じみた呟きを漏らして…。
そして――それは唐突にやってきた。
後方に居たハルが大きな声を出して、商隊長に合図を送る。
それと同時に前衛で守っていたブレアンが後方へと移動し、左右で守っていた商隊護衛達が馬車の周りを取り囲む。
僕は既にハルの近くで待機していたため、襲ってきた一団を隠してあった長剣で斬りつけていた。
横からやってくる一団は、数人。
後ろからは十数人。
前には――どうやら数人いたようだけれど、既にブレアンが退治してから後方にやってきたようだ。
そして一気に走り出す商隊。
どこにこんな人数が隠れていたのか、と疑いたくなるような人数に、僕達はそれでも怯むことなく斬りつけていく。
油断すれば、こちらがやられるだろうことは、彼らの動きを見れば判った。
彼らには躊躇という言葉がないのだ。
馬に乗り、商隊を追いかけていく盗賊へ斬り掛かるのはアロウ。
持ち前の素早さと足技、それに細身の剣二本を器用に使いこなし、彼らの足を奪っていく。
ハルはその大技を生かし、大勢で斬り掛かってくる連中を薙ぎ倒し、足止めをしていた。
一方ブレアンは、あの細身の体から考えられないくらいな大剣を振るい、一人で何人もの盗賊へと斬り掛かっている。
そして僕はと言えば……この小さな体だからこそ出来る技。
敵の懐に飛び込んでいき、剣を振るい、時には蹴りを入れ数人を相手にしてはいたけれど――それでも、やっぱり僕は他の人よりも体力の限界が早い。
それでも、商隊を逃がす時間くらいは稼げる余裕はあるはずだ。
どのくらい――後もう少し、そんな風に考えながら、盗賊へ斬り掛かる時間は、酷く長い時間にすら思える。
あちこちで血の臭いが濃厚になっていき、眩暈すら感じられた。
そうして、盗賊達の足止めをして数分、ブレアンが大剣を大きく振り回し、近くに居た敵を薙ぎ払った頃、僕が皆に合図を送った。
「行くよっ!」
その声へ一番に反応したのはアロウだった。
一瞬、敵に突っ込んでいくように見せかけて、何人かを斬りつけた後、僕達は一気に走り出した。
盗賊達も慌てて僕達を追いかけようとしていたけれど、何せ、それなりに傷を負わせている。
もちろん、こっちだって無傷なわけじゃないけれど、彼らよりは余裕がある。
敵の乗っていた馬を奪い、アロウがブレアンの手を取って後ろに乗せると同時に走り出し、僕は自分に宛がわれていた商隊の馬に飛び乗り走り出す。その後をハルが自分の馬に乗って走り出したのを確認すると、僕は隠していた小さな玉を後ろに投げつけた。
それが盗賊の足を止めてくれるはずだと信じて―――。
どのくらい馬を走らせただろう。
まだ商隊の姿は見えなかったけれど、後ろから盗賊が追いかけてくることがないと判った時点で、僕達は疾走していた馬を落ち着かせた。
「やったな」
ハルが笑いながら声を掛けてくると、前を走っていた筈のアロウ達が近づいてきて、やはり『お疲れ』と労いの声を掛けてきた。
「無事に――脱出、出来た、みたいですね」
「ああ、もう追っ手もないだろうな」
四人で後ろを振り向きながら、大きく溜め息を吐いて、それでもまだ警戒は怠らない。
だけど、無事に森の盗賊からは逃げ切れたようだった。
「それにしても、最後のあれは何だ?」
そう聞いてきたのはブレアン――この人、こんな声をしてたんだ、と思うほど彼とは会話らしい会話をしたことがなかったことに、今更ながら気付いた。
低く落ち着いた声。
しかも、凄く耳に染み入るような凛とした、そんな声だ。
「ああ、あれなあ。俺も初めて見たときには吃驚したもんだ」
とハルが続き、思わずブレアンの声に聞き入ってしまっていたことに赤面しそうになった。
まあ、フードを被っている僕の顔なんか、彼らに見られる心配はないんだけれど、それでもつい慌ててしまう。
「で、何なんだ?」
そうもう一度聞かれて、僕は小さく頷いてから返事をした。
「あれは、僕達の村で【ビックリ玉】と呼んでいたものです。踏みつけたり、大きな衝撃を与えると玉が弾けて大きな音を出す、そんなものです」
「何か特別な術でもかけてあるのか?」
「はい…神官さまから村を出る時に頂いたものです」
「ほお……」
「たくさんは貰わなかったので、あんまり使いたくないんですが…今回みたいな時には有効的ですので」
「ああ…確かにな――だが、それなら最初から使えば…」
「一度だけしか使えないんです。じゃないと相手はすぐに自分達を傷つけるものじゃないと気付いてしまう」
「なるほど…それもそうだな」
ブレアンは、そう返事をすると納得したように小さく頷いていた。
そう――初めに使えば、少しの間は逃げられるかも知れない。
けれど、相手の戦意喪失を狙った作戦なだけに、たった一度しか使えない。となれば、ある程度戦い、逃げる時になってから使った方が効果的なのだ。
村を出る時、危ない時にだけ使いなさいと神官さまが下さったこれは、確かに使い方によってはいいものなのだけれど…。
「とにかく商隊に合流しよう。皆、無事に逃げ延びているはずだ」
アロウがそう言うと、僕達は大きく頷いて馬に指示を出したのだった。