05
村を旅立つ前日、母には秘密で神官さまに呼び出されたのは、何故僕が『男』でなければならなかったのかということを聞かされる為だった。
この世界に来たのは今から七年前のこと。
その時に僕を拾い、村へ連れ帰ってくれたのは、神官さまとそのお弟子さん達だった。
異なる言葉で泣き喚いている僕を見て、神官さまは『守らなくては』と思ってくれたのだと言う。
それは――彼の中にあった、大神殿に古くからある言い伝えのせい。
『竜の力、弱まる時
遥か遠い世界より春の乙女 舞い降りる
竜の孤独
乙女の力
二つが交わる時
新しい世界が生まれるだろう』
この謎解きのような言い伝えは、代々、大神官さまと信頼の置ける神官さま達だけに言い伝えられてきたものなのだと教えてくれた。
そして――その【乙女】というのが、僕なのだということも―――。
何故、僕が【乙女】だと思ったのかは、彼らの能力がものを言う。
決して僕たちのような一般人では判らない、彼ら独特の能力――それを魔力と呼ぶ人も居るというけれど、それとも違うと神官さまは仰っていた。
そうして様々な話をしている間に、僕が何故【乙女】でなくてはならなかったのか――それが理解出来てしまったのだ。
あくまでも竜に会うまでは【乙女】でなくてはならなかったからだ。
女になってしまっては意味がない、とも言う。
そう―――処女性だ。
この世界に来た時から、僕は男の子として扱われてきた。
神官さまからは、『女の子では危ないから』ということと『お前の容姿はこの世界では珍しいから』ということを言い聞かせられていた。
初めこそ、言葉の判らない僕を根気強く、そして村の人達からも秘密で大事に扱ってくれた神官さまだったけれど、僕にはまだ家族が必要だと考え、十分に言葉を操れるようになった二ヵ月後には、村の子供の居なかった今の母の元へと連れて行ってくれたのだ。
神官さまにも信頼ある夫婦であった二人に、僕は引き合わされ、そして全ての理由を聞かされた上で預けられたのだと聞いたのは、村を出る前日になって初めての事だった。
それまでは、何も判らない子供のまま、ただ神官さまと両親から懇々と『危ないから』と言われ続け、男の子として育ってきた。
もちろん、顔や髪、肌の色に至るまで、僕はこの世界で異質な存在となってしまう。
その為、神官さまから術を施されていた。
この六年間、ずっと―――神官さまに教えられ、両親に守られ、お弟子さん達にも可愛がってもらい、そして村の人達からも大事にされてきた僕。
そんな僕が旅立たなくてはいけなくなった理由は――僕を守ってくれた村の人達に異変が起きたからだった。
それは二年前のこと。
その年は、村の畑も順調に育たず、少ない人口の半分が流行り病に掛かり、死人も出てしまっていた。
僕に剣を教え、自分を守ることを伝授してくれた父もまた、流行り病で倒れた人の一人。
あっという間の事だった。
流行り病如きで死ぬような、そんな軟じゃないと言っていた父が、ある日突然に還らぬ人になってしまった。
母も僕も、呆然とするしかないほどに――。
それから二年間、神官さまの傍で様々なことを学ばされた。
剣と読み書きに始まり、それまで以上に教え込まれた。
村の人達と田畑を耕すことも、神殿の手伝いをすることも、何もかもさせてくれながら――。
そうして二年経ったあの日、神官さまから『旅に出るように』と言い渡されたのだった。
時期が来たのだと神官さまは仰っていた。
『お前には本当に関係のない話なのかも知れない。知らない世界へ一人連れてこられ、こちらの勝手でお前の力を借りるのだから――けれど、お前に託すしかないのだよ。今は――お前がその【乙女】だと信じて……』
僕の手を握り締め、真剣に話し聞かせてくれた神官さまに、僕は何を返せば良かったのだろう。
いつまでも村で過ごせると思っていた。
いつまでも村の皆と力を合わせ生きていけると思っていた。
ううん、本当には――いつか自分の世界へ戻れるかも知れないとさえ思っていたのだ。
だけど――僕には、どうやら使命があるのだ――と聞かされて、どう返事をすれば良かったのか。
たくさんの『ありがとう』を心の中に持っていた僕に、『嫌だ』と言える筈がない。
その為に、僕は様々なことを学んできたのだと知ったら、どうして『否』を言えるだろう。
僕に言えたのは、たった一つのことだけ。
『判りました』
僕は、その日、小さな覚悟を決めたのだ。
本当には自分の世界へ戻りたいと思う気持ちを押し隠して――。
真実には怖いという気持ちを押し込めて―――。
ルーダンの街を出る時、僕達は神官さまから新たな封筒を一つ貰い、次の街に居る『アスレン神官さま』に会うよう言い付かった。
今までは、その街の神官さまに会うことが目的だったのだけれど、次からはより力のある神官さまに会うように、と言付けられたのだ。
商隊に合流するため宿屋に行けば、まだ時間には早かったのか、荷物を二つの馬車に積み込んでいる最中だった。
結構大きな商隊なんだな、と感想を抱きながら母と二人で馬車の方へ近寄れば、ハルが大きな声で挨拶をしてきた。
「よお、おはようさん。今日から数日、よろしくな」
それに挨拶を返し、僕達は商隊の人達と一緒に仕事を手伝うことにした。
母は、それほど重い物を運ぶことが出来ないけれど、馬の世話ならお手の物。
馬達を厩舎から連れ出してくる役目を仰せつかると、にこりと微笑んでそちらの方へと行ってしまった。
それを見送り、僕は次々に荷物を運んでいる人達の手助けをする。
小さな体に似合わず、力持ちだなと笑う商隊の人達に、思わず苦笑を零しながら作業をした。
そのうち、僕達の他に雇われているという傭兵二人がやってきて挨拶を交わす。
一人は見事な長身に長い銀に近い色の髪を一つに結い、珍しい赤にも近い目の色が綺麗な男で、腰には細身の剣を二本差している。
もう一人は女性かと見紛う程、綺麗な人。髪はこの地方でも珍しい金に近い色合いの茶色で緑っぽい目に良く似合ってる気がした。そして、その体には見合わないような大剣を背負っている。
どうやら二人は連れらしく、二人一組で仕事をしているのだとハルが言っていた。
彼らもまた、商隊の人達と一緒になって荷運びを手伝い、あっという間に山ほど積まれていた荷物が馬車の中へと押し込まれる。
そうして準備万端となった頃、商隊長がやってきて、僕達は出立することになったのだった。
初めの日は何事もなく夜を迎えた。
馬と馬車を使っての移動は、今までの旅の中でかなり楽が出来ていると思う。
それは母の様子を見ていれば一目瞭然だった。
馬車を上手く扱う彼女は、炊飯の仕事をしなくてはならないというのに、まるで顔色が悪くなっていない。
また、商隊の中には女性が居ないこともあり、かなり他の人達からも大事に扱ってもらっている。
それを見て、ホッと息を吐いた。
今まで、随分と疲れる旅ばかりだった。
確かに商隊へ入り込めたときもあったけれど、ここまで優遇されたことがなかったようにも思う。
母は、依頼されている仕事以上に張り切って、皆の賄いを作ってくれている。
商隊の人達も、そんな母を見て何か感じるものがあるのか、下心もないその目で彼女の手伝いをしてくれているようだ。
そんな中、僕達は夜に向けて準備をしていた。
夜こそが、僕達にとっての領分だ。
夜盗が、こんな時に襲ってくることもある。
ましてや、結構な大所帯の商隊なのだと知れば、彼らは恰好の餌食とばかりに食いついてくる。
それを守るのが、僕達の仕事。
「火の番は交代制でいいよな」
そう言いながら温かいお茶を口にしているのは、長身の男――名前をアロウと言っていた。
もう一人の男はブレアンと言い、口数の一番少ない人だ。
ハルは何時も通り、どこでも一緒でオシャベリが大好きな人。
前の時にもそうだったけれど、静かに火の番なんかさせてくれなかった。
「二人一組で、でいいんだろう?」
そう返事をしたのは当然のようにハル。
僕はそれに頷くだけで、声にはしないでおいた。
だって、ハルとオシャベリをし出すと止まらないのだもの。
「いいだろう。その方が何かあった時に対処しやすい」
「じゃあ、夜半になったら交代するとして、どっちが先に休む?」
「お前達が先に番をしてくれ。俺達が後から番をする」
「判った」
これで成立。
言わなくても二人一組は、僕とハル、そしてアロウとブレアン。
そうして、初めての夜が過ぎていったのだった。