03
この世界は、僕の居た世界に比べて中世のヨーロッパとかそんな感じかも知れない。
電気もなければ、車とか電話とか、とにかく生まれた世界から考えると原始的な生活をしていると思える。
だから、と言うにはあんまりかも知れないけれど、大きな街へ来たとしても車が通っていることもない。
交通手段は歩きと馬(と言っても、向こうでよくテレビの中に居た馬とも違って足も太くガッツリしてる)、それに馬車を使っている。
旅をすると言えば、当然のことだけれどお金の無い人達は足を使って移動するしかない。
そんな世界の人々は、皆、中世ヨーロッパの頃に着ていたであろう服を身に着けている。
男はシャツとズボンで女はワンピースに近い服。
それなりの地位になると、女性はドレスを着ているけれど、上質な物を着ている人は、たぶん貴族以上だと思う。
そして、この世界で一般的な常識――それは容姿。
王族とかになると、随分違ってくるらしいけれど、基本的には茶色い髪と茶色の目、そして白い肌。ということで、たぶん元の世界でいうなれば白人さん系な感じだろう。
それでも、髪の色は様々で、時には魅力的な色をしている人も居たりする。
茶色と一言では言えないということと、もう一つは目の色もそれぞれ大陸でも違うらしい。
ただ――僕のような日本人――所謂、黄色人種で黒髪というのは、一切居ないのも本当のこと。
だから、僕の存在は凄く珍しいということになるのだ。
「母さん、あそこの神殿がそうみたいだね」
「ええ。良い神官さまだったら良いのだけど……」
彼女は、不安そうにそう言うと大きな溜息を落とした。
それもその筈。
この大き目の街ルーダンには神殿が三つあると聞いてきた僕達だったのに、その内の二つは既に神官さまが亡くなり、新しい人が着任したばかりとのことで、村から持ってきた依頼書にすら目を通すこともないまま追い出されたのだ。
古くからいる司祭さまであれば判る筈の依頼書に記された紋章にすら気付かず、それ以前に怪しい者だと言わんばかりの顔つきで追い出してくれた。
本来、神殿では民に対してそのような態度を取る事はない筈なのに…。
また、神殿同士の付き合いのため、使いを出すのは過去にも今でもよくあることであった。それも本来なら神殿に居る者が役目を果たすことが多かったが、ココ100年くらいの間に、神官になろうと言うものが少なくなりつつあったため、その街、その村の者が代わりをするのも珍しくないのだ。
それなのに、今回のように追い出されるなど――と、僕と母は吃驚してしまったのは言うまでもないこと。
それが一つの神殿ならまだしも、二つとも、だ。
漸く、神殿の目の前までは来たものの、前回、前々回のことを考えると気軽にその門を通るのが憚れてならない。
とは言え、このまま行かない訳にもいかないのが現実。
僕達は、その為に旅をしているのだから―――。
意を決して神殿へと入ろうとしたその時、神殿の扉が開き、中から老いた神官さまなのだろう人が顔を出した。
そして―――。
「お待ちしてましたよ、ローデンのお方達よ」
そう言いながら手招きをしたのだった。
「最近では、あまりにも世情が腐敗してしまったため、神殿へと足を運ぶ者の中には不穏な連中も少なくない。その所為で新しい神官達は怖い思いも、さぞかししたのだろうね」
そう言いながら、僕達を招き入れてくれた神官さまは神殿の奥深くにある自分の部屋へと案内してくれた。
彼が僕達の訪問を知っていたのは、他の神殿から伝達があったからだとのこと。
どうやら不審な人物が神殿を回っているから、注意して欲しいとの注進がきたらしいのだ。
不審な人物というのは、どういう意味なのか――と思わず顔を顰めてしまったけれど、最近、この街では神殿荒らしをする輩が増えているのだと教えてくれた。
それでも僕達を『ローデンの人物』だと判ったのは、前に行った神殿で村の神殿に居た神官さまの名前を出していた為。
この神官さまは、特に僕達の村にいた神官さまとは古い仲なのだそうだ。
「私の名前はクシルと言う」
「僕はアンジー。こちらは僕の母、アルティです」
「そうか、アンジー…よく来てくれたね。貴方も…それでは――訪問の用件をお伺いしましょうかな?」
「はい」
神妙に且つ静かに返事をすると、老人特有の、本当に温かみのある笑みを見せた神官さまは、母が差し出した封筒を受け取った。
中に何が書かれているのか、本当には知らない僕達ではあったけれど、どんなに繕っても自分がその一端にあることは判っている。
とは言っても、それを口に出して言うことは出来ない。
それを知ってか知らずか、中を読み終わった神官さまは僕の事をジッと見つめた後、小さく息を吐き出して頷いて見せた。
「マントを…脱いでそちらに置きなさい」
彼の声は静かで厳かで…けれど決して僕達を責めてないことも判る。
僕はその言葉に従い、ゆっくりとマントを脱いで自分を晒して見せた。
「上手く――術が施されているようだね。けれど、それも一月が限度か――確かに、これでは一月程度しか保てないだろう」
そう言いながら僕の醜い顔を見つめられ、けれどその奥の、本当の…ううん、全てを見透かされているように思えた――否、真実、彼には僕の全てが見えているのかも知れない。
「まさか自分の代に、この現実に出会うことになるとは思わなかった。見事なことだ――その髪にその瞳――そして…本当にそなたが我らを―――」
感嘆しながら言う彼の声は、少しだけ掠れているようにも思えたけれど―――。
「今は先に、術を施すことにしようかね。今日はゆっくり、この神殿で休んでいきなさい」
そう言いながら神官さまは僕の傍まで来ると、目の前に立って額へと手をかざした。
その手が僕の額にくっつくと、途端にジンワリと暖かいものが体に流れてくる。そして、ゆっくりと神官さまの口が呪文を唱えだした。
それは、まるで遠い昔に聞いた事のあるような懐かしい感じがして、けれど決して聞いた事のない難しい呪文。
途端、ブワッと体中の血が沸騰したみたいな錯覚に陥り、一瞬だけクラリと眩暈がした。
だけど座って居られない感覚ではなくて――ほんの一瞬だけのこと。
そうして神官さまの声が止んだ時には、ふわりと温かい手が僕の頬を撫でていた。
「これで当分は大丈夫。次の街へ行くまでにも、その途中にでも、決して解けることはあるまいよ」
頬を撫でていた手が頭へと移動し、そしてポフポフと数回撫でられた。
その手が余りにも懐かしい感じがして、胸が熱くなる。
「見る人が見れば、その術は何も意味は成さないが、普通の人の目だけは誤魔化せるはずだ。まだ大神殿までは遠い。それまでは辛抱して欲しい」
神官さまの声に小さく頷いて見せれば、彼は一瞬だけ悲しそうな笑みを見せ、けれどその一瞬後には神官さま独特の優しい穏やかな顔に戻してしまった。
「この世界の話は、村の神官さまから聞いて来ました」
「うむ」
「それが、どこまで本当のコトかは判らないけれど――とも、言われました」
「確かに――神殿に纏わる文献を読んでみても、実際の事は決して今の私達には判らん」
「はい」
「今まで、このような自体になるとは誰も信じていなかったし、研究すらされてこなかっただろうしね」
神殿へ泊まる事となった僕達は、神官さまに母と二人で眠れる小さな部屋へと案内された。
その後、せめてのお返しにと、僕達は神官さまについて学んでいるのだというお弟子さん達と一緒に台所の手伝いをしたり、薪割りの手伝いをしていた。
どこにこれだけの人が居たのか?と疑いたくなるくらい、実は神殿の中には結構な人達が居たのを、その時になって知った僕達。
話を聞けば、神官さまに言われて奥の仕事をしたり、お使いに出かけたりしていたらしい。
それも――神官さまからの計らい。
僕の存在は、決して良いものとして見る人ばかりじゃない。
もちろん、僕自身が何か悪いことをする訳ではないのだけれど、術を施したりするのを見られるのは決して良い事じゃないのだ。
そればかりか、僕の存在を知った者が悪さをする為に利用しようと考えるかもしれない。そんな理由から、神官さまは人払いをして僕達を迎え入れてくれたのだ。
この神殿に居る人々は、まだまだ修行中の身で、僕に術が施されているのに気付く者は居ないという。
何しろ、その術は神官さまになれば使えるという、そんな簡単なものでもないらしいのだ。
だからこそ、この街にある他の神殿の人達は、僕達の真実の姿には気付くことなく、怪しい者として追い返したのだろうと、この神官さまが教えてくれた。
今は、夕刻。
他のお弟子さん達は大きな広間で食事をし、僕達は神官さまのお客様として彼の部屋で食事をしていた。
「だが――実際に起こってしまっている事態は真実。そなたが来たのも、きっとその事が起因してるに違いないと、ヴェスリー神官は考えたのだろうね」
こくり、と小さく頷いたのは僕の隣に座っていた母。
僕はどうやって返事をして良いのか判らないまま、神官さまの顔をジッと見つめていた。
だって――まだ、僕には実感が湧かないのだ。
どうして、ココへ来てしまったのか、何故この世界で生きていかないといけなくなったのか、この世界が破滅に瀕している今、どうして僕が何かをしなくてはいけないのか――。
確かに、それなりの覚悟は出来ている。
けれど、それが全部じゃない。
もしかしたら――そう言われた言葉に、僕は賭けているだけ……。
「そなたも―――大変な運命を背負ってしまったね」
そう言われた言葉に僕は頷くこともしないまま、神官さまの顔だけを見つめていた。