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テイトの家は、僕達が村で住んでいた家よりも少しだけ大きかった。と言うのも、元々、この家は新しい客人(この集落へ逃げ込んできた人)を迎え入れる為に作られているのだと言う。
親のない子は、子の少ない家へ連れていかれる事が多いらしいけれど、まずはこの村に慣れるためテイトの家で預かるのだそうだ。
親を失った半妖の子が、この集落へ来る事も多いらしく、また人に追いかけられ人間不信な半妖も多い。
その為、かなりの割り合いで、この集落に来ると馴染むのに時間が掛かるらしい。
何しろ、ここには人間も多く暮らしているのだから……。
そんな訳で、ここで馴染むまで生活しているのだという。
だから、彼の家は部屋数が他の家よりも多いのだと笑って教えてもらった。
「そうか――大神殿へ…ねえ」
「はい」
「アンタの母さんと二人じゃ、大変だっただろう?」
「…どうなんでしょう。僕は旅に出たのが今回初めてだし…」
「ローデンから来たんだろ?」
「はい」
「あの辺りには妖魔の森の入り口が一つあるだけか…」
「え?!」
「知らないのかぃ」
「…全然…そんなことは…聞いた事もなかったです」
「まあ…妖魔の森は、他のどこよりも結界が強いからな…竜の加護があるせいでさ」
「はあ…そうなんですか…」
「俺達の村の結界は、俺達の村に来てくれた妖魔達と、力の強い半妖とで作ったモンだから――人間を拒む事はないが、妖魔の森の結界は、決して人を受け入れてくれないからな」
「…そう…なんですか?」
「ああ。だから知らなくても当然ってことだな」
テイトは、そう言いながら朗らかに笑っていた。
僕は、何が何だか、まだ頭の中を整理することすら出来なくて、クエスチョンマークを連発させるしかない。
「後で妖魔のセイに紹介する。これは仕来りってか…ここでの掟だから許せな?」
そう言われて神妙に頷いた。
きっと、色んな事を聞かれるんだろう…と思うと胃がキュウッと小さくなる思いがする。
だって、言えないんだ…僕の本当は…。
まだ、知らないことも多いし…制約が多すぎるんだ…。
だから――妖魔に会う事で、自分の本当を知られてしまうのが怖い――それに、妖魔という未知だった存在に会う事も……。
「そういや、何でアンジーはマントを脱がないの?」
マルがテーブルの向かいで、キョトンとした顔をしながら聞いてくる。
あ…と思いはしたものの、この人達には僕の掛けられている術が利かないことを思い出して、余計にマントを脱げないことに気付いた。
「こいつ、全身に火傷の痕があるんだよ――だからな…恥ずかしいんだってさ」
「…ふーん…でも……そんなの、気にしないでもいいのに」
口を尖らせて言うマルに、けれどテイトがポンと頭に大きな手を置いてから言った。
「人には嫌だと思うことが多い。見せたくないっていう気持ちもある。そういうのを思いやってやるのも大切だ」
その言葉に、『えーー!?』と大きな反論をしたマルに、今度はガルドが『お前みたいな無神経なヤツには難しいよな』と笑いながら言う。
その内に、ガルドとマルの言い争いが始まると、テイトが楽しそうに笑い出した。
そして――――。
「あ、お目覚めなようだぜ。お前の母さん」
と、唐突にガルドから言われて、母を寝かした部屋へ視線を向けた。
けれど、部屋から出てきた様子はない…。
そこで、漸く気付くガルドの力。
どうやら、彼には色んな力があるみたいだ…。
今もだけれど、この間はマルが移動していたのも判っていたし…なんて考えていると、ポンとテイトが僕を突付く。
「きっと、混乱してると思うから、呼んでおいで」
テイトに言われて僕が席を立つと、ガルドも一緒に来てくれるらしく隣りに並び歩き出した。
と言っても、直ぐ見える扉を開けるだけなんだけどね…と、そこで思い立つ。
「ガルドは待ってて――」
「はあ?何でだよ」
「だって…」
だって、君はずっと顔を隠してたんだよ?
それなのに、いきなりその顔を見せたら母が混乱するじゃないか。
そう言いかけて止めた。
あの人のことだ。きっと、そんなことも関係なく受け止めてしまうことだろう、と。
「何だよ、変なヤツだな」
「そうだね…ごめん」
そう返事をしてから、改めて扉を開ける――と、母が身じろぎしながら起き上がった。
でもって言った言葉が――。
「アンジー、私達、いつ家に戻ってきたの?」
その後は、もう一頻り僕とガルドで大笑いしてしまっていた。
母は、そんな僕達を見て良い歳をしながら口を尖らせ拗ねてしまったし、テイトとマルは何が起こったのか判らないままに僕達を呆れて見ていたと思う。
だけど、そのせいだったのかも知れない。
母は、何の説明も聞かなかったくせに、何故かすんなりと全てを受け入れていた。
確かに、それなりの驚きはあったみたいだけれど、ガルドを見ても拒否反応を見せる事も、驚愕して固まることも無かったのだ。
それどころか――何だか、やっぱり薄々感づいていたみたいで……ガルドの声を聞いて、『素敵な子だわ』とすら言ってのけてくれたのである。
「それにしても、よくここまで来たね」
そう言ったのは、この集落というか村の長だという妖魔のセイという人物。
温厚な声とは似つかない、少し強面な人。
とは言っても、元々妖魔となんて出会った事のない僕達にとって、これが普通だと言われたらそれだけで信じてしまいそうな容姿だ。
肌の浅黒さは半妖と同じく、目が金とも銀ともつかない光り輝く瞳を持ち、髪は灰色と緑が混ざり合ったような色をしている。耳が尖っているのは、妖魔も精霊も一緒だと聞いていたけれど、彼の耳は鋭く尖り、口元には牙さえも見えていた。
そんな姿を見て、怖いと思わない人間は居ないかもしれない。
けれど、母も僕も何故か彼に惹かれていた。
整った顔もそうだけれど、均整の取れた体つきは、決して簡単には手に入れられないもの。
そんな彼は、何も知らない僕達を快く受け入れてくれた。
いや、この村にいる全ての人達が、本来なら憎むべき存在であろう人間の僕達を心から受け入れてくれたのだ。
まあ、実質、ここには人間も居るんだから、当然の事として受け入れているのかも知れないのだけれど……。
「ローデンからというと、随分と長い旅をされてきたんでしょうね」
セイは、僕達の様子を見ながら静かに言うと、テイトが出してくれたお茶に口をつける。
そして――ここにきて驚く事が僕に起きた。
『君に直接話し掛けているよ。判るね?』
いきなり頭の中へセイの声が響いたのだ。
ドキンと心臓が高鳴った…というより、止まるかと思った。
けれど、僕の様子なんか気にせずに声が続く。
『明日、テイトとガルドを連れて私の家まで来なさい』
そう言われて、どう返事をすればいいのか判らなかった。
けれど、その声は有無を言わせず、そのまま終わりを告げていた。
これは間違いなく、『来い』という意味で、決して否は聞かないということなのかも知れない。
とは言っても、彼の声はとても優しく頭に響いていた。
それだけが、僕を救ってくれたと言っても過言じゃないだろう。
だけど、実のところはどうなのか判らない……だって、彼はずっと、僕に話し掛けている間にも、母達と普通に会話していたのだから――。
「この集落には、たくさんの半妖達が守ってもらうためにやってくる――このマルやガルドのように、ね」
「ええ、その様ですね…セイさんがいらっしゃる前に、テイトさんから少し聞かせて頂きました」
母がそう答えると、セイは小さく頷いてみせる。と同時に茶器を置いて、僕達のことを真っ直ぐに見つめてきた。
「あなた達は、私達妖魔や半妖を怖れないのですね」
「もちろんです…というより、私達の村では妖魔や精霊、そして半分人間の血が混ざった方達のことを神話のように伝え聞かされていただけです。ですから、こうして近づくなど畏れ多い、という言葉の方が適当ですわ」
母は、彼の問いかけにも物怖じする事なく答える。
普段、少し抜けているように思える母ではあるけれど、やはりこういう時には本来の性格が出てくるのだろう。
しっかりとしていて、自分の意思を守り通す。そこが父の惚れたところだと、昔聞かされたことがあったっけ。
決して頑固じゃないけれど、それでも自分の筋というものを通す部分がある。
また――彼女は僕という守る者を手にしてから、もっと強くなったのだと――父が言っていたな――そんな風に思い出しながら、僕は母の事を見つめていた。
「畏れ多い――ですか…」
そう言いながら笑うセイは、僕達の事を莫迦にしてる訳でも、言われたことを皮肉っている訳でも無い様子で、何となく擽ったい顔つきをしている。
「私達は、確かに人とは違いますけれど、決して相容れない関係ではないと、そう信じております」
「そうですわね――こうして、お話が出来るのですもの…きっと良い関係を作ることも出来ると、私自身も信じたいですわ」
二人は、そう言い合いながら小さく笑った。
母は、本当に強くて頼もしい。
こんな風に、僕達が聞いてきた童話や神話の中にしか存在しなかった妖魔に対してでも、打ち解けてしまえるのだから。
僕は――まだ少しだけ母が言うように畏れ多いと思ってしまって、言葉を綴る事は出来そうにない。
だって――本当に、こんな目の前に――すぐ手の届くところに、神官さまの仰っていた妖魔が居るんだもの。
まるで夢を見ているかのようで――。
「さあ、今日はお疲れでしょう。ゆっくり休んで下さいね」
セイがそれを最後に帰宅してしまうと、僕とガルドが母に散々言い募られたのは、想像に難くないと思う。
何しろ――彼女の承諾もなく、ココへ連れてきてしまったのだから―――。
それを楽しそうに見つめるマルとテイト。
何だか少しだけ、恥ずかしくて…少しだけ嬉しくて…何て言うんだろうね、この気持ちは。
そんな風に思いながら、母の叱責を聞いていた。




