20
森の中心付近に差し掛かる頃、ガルドが合図を送ってきた。
既に母は、先ほどの休憩時に眠り薬を飲ませて意識を失わせ、ガルドが背負っている。
僕は、その合図で母を受け取り、と言っても流石に彼女の体を抱き上げる事は不可能だったから、地面へと寝かせて静かに待つことにした。
ふいに、ガルドが何もない筈の場所で手を翳す――と同時に、彼がよく使っていた姿隠しの術とかいうのと同じように空間が歪みを見せる。
そうして見えたものは―――彼の言っていた集落などというものではなく、一つの村が現れたのだった。
広々としたそこには、民家なのだろう家がいくつも立ち並び、また田畑も多く見受けられる。
今まで鬱蒼とした森にしか見えなかったその場所が、一つの整えられた村に変貌したのだ。
吃驚しない筈はない。
そして、そこには普通に生活しているのだろう人々が、それぞれの仕事をしていたり、子供達が遊んで居たり――まるで異空間だと思えるのに余りにも普通すぎて言葉を失う。
「凄いだろ?」
自慢気に言うガルドの台詞が、頭の上を通り過ぎる。
余りの事に、頭がついていかないのだ。
それなのに、ガルドは僕のことなんかお構いなしに母を抱き上げ、中へと入って行ってしまった。
僕は、その場に取り残され茫然自失――だ。
確かに、話には聞いていたけれど…どこか見える場所に小さな集落というか、野営みたいなのを組んで生活をしてるんだって思ってたんだ。
それなのに、今、僕の目の前にあるのは間違うことなく、僕の居た村と何ら変わりない一つの風景。
そんなのを見て、正常な状態でいられる人が居たら、教えて欲しい…というか、僕も一緒に気絶していたかった。
だけど、ガルドはそんな僕に気付いたのか訝しげな顔をフードに隠すことなく見せ付けてくる。
「おい、早く来いよ…扉が閉まらねぇだろっ!?」
投げつけるように言われて漸く自分を取り戻した僕は、借りてきた猫のように、コソコソと彼の後を付いて行った。
フードを被ったまま、ガルドの後を追いかけるように歩く僕を、誰一人として変に見てくることはない。
何でだろう?
もしかして、姿隠しでもしてるのかな?
とガルドを見てみる。
が、彼は『何だ?』と見返すだけで、普通に目的地へと向かい歩いていく。
だから…どうやら違うのか?と思って悩んでしまう。
だって――ここの人達は、僕達をまるで意識してないのだから…。
「ガルドーーーー!」
少し歩いていくと、離れた場所から大きな声でガルドを呼ぶ声が聞えてきた。
幼い、可愛らしい声。
その声の主が、この間助けた子だと気付くのには、然程の時間も要さなかった。
「マル、お前、ちゃんと皆の手伝いをしていたか?」
ガルドが明るくそう返すと、走り寄ってきたマルが嬉しそうに『もちろん!』と頷いた。
そして、その時になって僕達を認めると、今度こそ可愛らしい笑顔を見せて挨拶をしてくる。
「この間の人!僕の足、治してくれた人!」
興奮したように言うマルに、僕は呆気にとられてばかりだ。
まだ、怪我した足は完治してないのか、少しだけ引き摺るようにはしているものの、動かなくなるような怪我じゃなかったようで、その事だけにはホッとしたけれど…。
「この人、誰?」
「ああ、こいつの母さんだってさ」
「へえ……生きてる?」
「大丈夫、寝てるだけだ」
「そっか……」
ガルドの抱えている母を見て、マルが恐々と聞いてくる。
それに答えたガルドが、心配すんなと言うとホッとしたように相槌をうった。
なんて…優しい子なんだろう…何て、温かい人達なんだろう。
思わず、そんな感想が心の中を温めてくれた。
「俺達の家は決まったか?」
「あ、うん。決まった」
「どこだ?」
「僕達を一番に見つけてくれたテイトの家」
「ああ…あの人か…」
「うん。僕のお部屋も貰ったよ」
「そっか…んじゃ、行こうか」
最後の部分は、僕に向けてガルドが言った。
村の人達は、それでも僕達に関心を持っていないようで、まるで旅人を迎えるかのように通り過ぎていく。
時々、僕達を見る人もいたけれど、マルに声を掛けたりガルドに挨拶をしたり、と至って普通。
マルには母も僕も見えているってことは、他の人達にも見えている筈なのに――ここの人達は意を介さないみたいだ。
「不思議か?」
「え?」
「結界なんか作ってるのに、お前達を追い出そうとしないってこと」
「…うん…ここの人達も、人間に酷いことを…されてたんじゃないのかな?って…思ったから」
「ああ、酷い目に遭わされたヤツのが断然に多い――けど、それでも半分は人間なんだよ、俺達は…それに、ここには人間も居るし、妖魔も居る」
「え!?」
「吃驚だろう?」
その言葉に、大きく何度も頷いて見せれば、ガルドが楽しそうに笑い出す。
それに釣られたように、マルまで笑い出して、僕は何でなのか判らないまま、まだ頷き続けていた。
「あ、あそこだよ」
村に入ってきて数分も歩かない内に、一軒の家へ到着。どうやら、そこが目的地のようだった。
あまり豪華な感じはしないけれど、それなりの大きさを持つ、けれど質素な家――それが彼らの家らしい。
「ただいまーーー!」
「おお、マル。今日は早いなあ」
「うん、約束通り、ガルドが帰ってきたよ」
「そうか、そうか!」
そう言って中から顔を出したのは、父と同じくらいの男の人――と言っても、どうやら半妖らしい彼は、肌が浅黒く、目が金色をしている。
髪の毛も、赤と茶と混ぜこぜたような色合いをしていて、ある意味では綺麗に見えるその人は、少し粗暴そうな感じはするものの、やっぱりどこか父を思い出させて、僕は懐かしい気持ちで見つめてしまっていた。
彼は?と言えば、僕達を認めた瞬間、動きが止まり凝視している。
この時になるとやはり――迷惑なんじゃ…という思いにかられ始めた頃、ガルドが彼に向かって母を見せつけた。
そして――。
「テイト、悪いんだけど、この人を休ませたいんだ。ベッドを貸してもらってもいいか?」
「あ、ああ…」
テイトは、僕と母を交互に見やり、けれどガルドの申し出には拒否を示さなかった。
だけど…と思う。
やはり、僕達は迷惑な存在なんじゃないのかな?と―――。
「おい、アンジー、お前も来いよ」
「…え?」
「お前の母さんだろうがよ」
「あ、う、うん…」
ガルドの呼びかけに、僕はそれでもテイトの家に足を踏み入れることが出来ないで居た。
だって…やっぱり…悪いじゃないか…迷惑を掛けるなんて出来ないよ…。
そう思っていると――。
「アンジーって言うのか…どうぞ、狭苦しい我が家だけどな、入りなさい」
テイトが今まで作っていた驚きの顔を崩し、優しい笑みを作り僕に言ってくれた。
それでも戸惑って居ると、背中をドンッと押してくる彼の大きな手。
「気にしなくて良い」
上から振ってきたテイトの声は、とっても温かくて優しくて…やっぱり何でだか父を思い出させてくれた。
ほんの少し、涙が出そうになったのは、フードで隠れているから誰にも秘密にしておこう…。
僕は、そう思ってから今度こそ、彼らと共に家の中へと足を踏み入れたのだった。




