02
この世界は、四つの大陸と大国、そしてそれに準ずる小国で成り立っている。
それぞれの大陸には、それぞれの特徴があり、北は夏でも山の上には雪が解けずに残るほどの、冬が厳しい極寒の大陸、南の大陸は冬でも常夏な状態を保つほど暖かく、夏には燃える程に暑くなる大陸、西は夏前になると酷い雨期に覆われ、一年の半分が薄雲に覆われている大陸、東だけは四季折々の顔を見せる、厳しいということのない温和な大陸であった。
そして、その大陸には一頭ずつ、まるで大陸を守るように竜が存在しているという。
遥か昔、その竜によって四つの大陸が混乱の時期を救われたという伝説がある程に、守護神的な存在。
その竜に会えるのは、大陸の中でも最も大きな大国である、それぞれの大陸を司る国王と神殿の大神官さまのみと言われていた。
それと――この世界には人間や動物以外にも、目にはしたことのない種族が存在した。
精霊と妖魔と呼ばれている種族。
各、大陸ごとにそれぞれ一つずつ以上あると言われている彼らの棲む森には結界が張られ護られている。
まだ、この世界が出来て間もない頃から、その二つの種族はこの世界に存在し、そして人間のせいで深い森へと追いやられてしまったのだと言う。
否、そうすることで二つの種族を守っているのだ。
そんな精霊と妖魔に出会う人間は皆無……とまで言われているが、しかし稀にその姿を目にすることもあると聞いた事がある。
ただし、彼らの棲むというそれぞれの森には、決して人間が踏み込むことは出来ない。
何故なのか――それは神殿から伝えられた、童話の中に込められている。
けれど、それを紐解くことが出来るのは、きっと大神官さまや神官さま達のみなのだろう。
民は、それを疑問に思うこともなく、またそれらを紐解くこともなく、平穏な世界での生活だけを夢見ている。
それが、この世界―――ガイアディールである。
僕達の住んでいる大陸は東の蒼竜が守ると言う、ミードという名を持つ大陸で、その中にある大国はミードラグース。
その大陸でも最も小さい国と言われている属国、ミードアルスと言うところに僕達は住んでいた。
この世界――と言っても、僕にとっては自分が生まれ育った世界ではないのだけれど――は、最近になって頻繁に暴動が起こり、大陸を治めるミードラグースの力によって守られていた筈の秩序が少しずつだけれど壊れ始めている。
そんな中での旅路は危険が伴うと言われていた。
けれど、その中でも僕達の居る大陸は、まだ良い方なのだとも言われている。
それと言うのも、他の大陸から逃げ延びてきた人々が多く見られていたから。
その人達の話によれば、北の白竜が守る大陸ニーブンスでは大国の力が傾きつつあり、その属国だった小国が手を取り合い大国を攻めようとしているのだ言っていた。
西の黄竜が守る大陸ヨールでは、大国が軍事力に物を言わせ、王都以外の街や村はもちろんのこと、属国にも過酷な税を課し苦しめ続けているという。
南の紅竜が守る大陸ムールスでは、大国自体が享楽に耽り、貴族以下の民を人とも思わぬ扱いをしていると聞いた。
その為、どこでも良いからと逃げ出す人々に、大国はどこも酷い処刑を行っているとも耳にした。
僕達の大陸から逃げ出す人は、極僅かだと伝え聞いたけれど、それも本当かどうか判らない程に、今の世情は酷い状態だと思う。
それぞれの大陸に棲まう竜は、力を失ってしまったのだろうか――と嘆く声も聞えているが、しかしそれならば結界が外れてしまっていても可笑しくない。
残念ながら――と言おうか、それとも幸いながら――と言えばいいのか、結界が壊れたという知らせはどこからも耳にしたことがないことから、竜の力が衰えているとは思えなかった。
それでも―――。
「やあ、君だね?セージさんからは聞いたけれど、君みたいな小さな体で、あの仕事は勤まるのかね?」
気さくに声を掛けてきてくれたのは、今朝宿屋の女将に口利きをしてもらった農家のオヤジさん。
路銀を少しでも稼ごうという僕に、宿屋の女将さんは凄く親切に、『ココから十分程歩いた先にある農家で仕事があるよ』と教えてくれたのだ。
仕事内容は、確かに小さな子供が出来るものではないと思うものだろうけれど、決して体の大きさは関係のないものであった。
力は必要になるだろう。
何しろ、農家の柵が老朽化したせいで腐り落ちてしまっているものを、新しいものへと替える作業なのだから。
けれど、決して出来ないことじゃない。
それが例えば、女の子だったとしても―――だ。
日頃から、それなりに鍛えているため、そのくらいの作業は大した事はない。
僕が育った村でも、その程度のことは家を守る女性も簡単にこなしていたことなのだから。
「大丈夫ですよ。お手伝い出来ます」
そう大きく頷いて返事をすれば、彼らは小さく嘆息しながらも替えの木材がある場所を教えてくれ、そして必要な物がある場所へと案内してくれた。
「それにしても、そのマントじゃ作業し辛くないかい?」
そう言われて苦笑してしまった。
確かに――今、僕が身に付けているマントを見れば、人はそう思うだろうし気味悪く感じることもあることだろう。
けれど、それを外すこそは出来ないのだ。
何しろ、その下には――――。
「ご心配なく――それに、これを外してしまって気分を悪くさせては申し訳ないですから――」
「は?」
「実は――僕の顔には大きな火傷の痕があるんです」
そう軽く言ってみせれば、相手はそれを簡単に納得してくれた。
それもその筈。
この世界では、決して珍しいことではないからだ。
顔に傷を負う人間は、得てして隠したがるもの。それは、決して差別される恐れがあるからではなく、その顔を見せびらかせて人の気分を害したくないという気持ちから。
大きな戦争らしいものはないにしても、最近では盗賊やら義賊やらと絶えない日々に、そのせいで顔に傷を負う者が多くいるらしい。
それに倣って、僕もまた顔を隠すために大きなマントについているフードを被ったままでいるのだ。
それは顔を半分以上隠す事が出来るというもの。マントのお陰で口元すらも隠すことが出来る。
「それじゃ、後は頼むよ」
そう言って、農家の主人が居なくなると、僕は早速作業を始めた。
夕刻、空が暗くなり始める頃、全ての作業を終えて家主に挨拶へと出向くと駄賃だと言われていたものよりも多い金額を渡された。
『思っていたよりも良い柵を作ってくれてありがとう』と、笑顔で言われただけでもありがたいと言うのに、持たされた金額は彼らにとっても本当に良い仕事をしたからこその金額だったのかも知れない。
その金を持って宿に戻れば、随分と顔色の良くなった母が迎え入れてくれた。
「結構な金額を貰ってきたよ」
「そう…良かったわね…」
「何?」
「だって―――」
そう言いながら俯く彼女の言いたい事に見当がつく。
とは言っても、それを言うことだけは禁じられていること…それなのに…。
「貴方…」
「母さん」
唇に人差し指を持っていきながら少しだけきつい口調で彼女の言葉を遮れば、ハッと顔を上げて口を噤んだ。
今、この場でそれを口にする事が、どれほどの危険を伴うのか、彼女だって知らない訳じゃない。
けれど、どうしても気になってしまうのは仕方ないことなのだろう。
本来、僕達が生活していた村でも、ずっとこうして隠してきた事実――二人っきりになった時、コソリと口にするこもあった彼女ではあるけれど、それでも言ってはいけないと言い聞かせられてきたのだ。
否――言い聞かせてきたのは、自分達にこそかもしれない。
この秘密は――まだ口にして良いことではないと―――僕が…本来は女であるということを……。
「せっかく稼いで来た事だし、宿屋の女将さんに言って、少し精の付く料理でも出してもらおう」
気を取り直し、そう言うと彼女はホッとしたように微笑み、けれど少しだけ悲しそうな瞳を隠すようにして頷いてくれた。
今はこれで良い。
そうでなければ、僕達の旅はそこで終わってしまう。
それでは――せっかくの決心も無駄になってしまうのだから――まだ、旅は始まって間もない。まだまだ続くこの旅の終わりを想像しながら、僕は階下へと足を運んだのだった。