17
ケルーの街に着いたのは、それから二日後の事。
ミンの怪我も心配することはなく、怪我をした夜には予想通り熱は出たものの、彼の旅慣れしていた体には、それほどの影響は与えなかったようだった。
また、商隊の人達も素早く動いてくれた為、カオンの襲撃にあうこともなく、無事に過ごせたとお礼を言っていた。
街に着くと、僕達はミンから惜しまれつつも給金を貰い、別行動をすることになった。
ブレアンとアロウもまた、自分達で宿屋を探すと言って、皆から離れていく。
そうして僕と母は、また二人に戻ったのだった。
「狭いけど、綺麗な部屋だね」
「ええ」
僕達が選んだ宿屋は、町の中心から少し離れた小さな所。
人の良さそうな店主と女将さん二人で営んでいるという宿屋には、一階に小さな食堂もついている。
母と二人で泊まるにしては、少し小さめな部屋ではあったけれど、とても清潔で小さなベッドも糊の利いたシーツとふかふかの布団。
お風呂は階下の奥に小さな共同のお風呂があるけれど、人と一緒に入る程の大きさはないとのことで、順番制。
僕達の他には、もう一組が泊まっているとのことだけれど、昼間はどこかへ出かけているらしい。
国境付近にある街だけあって、結構な規模だというケルーには、それでも神殿が一つしかないと聞いた。
しかも、まだこの街に来て数ヶ月だという神官さまと、そのお弟子さん達しかいないという神殿には、街の人達も少し距離を置いているらしい。
というのも――若いからなのか、赴任してまだ日が浅いからなのか、気を張っているのかは定かでは無いけれど、教えを押し付ける節があるとのこと。
アスレン神官さまには、この街の神殿へは立ち寄らなくて良いと言われていたし、母の体調を考えても神殿まで足を伸ばす必要は無いと考え、僕はそのまま部屋に留まる事にした。
「母さんは休んでて――後で食事は部屋に持ってきてくれるようお願いしてあるから」
「大丈夫よ…そんなに心配なんかしなくても」
そうは言うけれど、はっきり言って顔色は既に悪い母。
ここへ来る前の騒動で、随分と神経をすり減らしたのは言うまでもないことだろう。
今までの中でも一番の長旅で、途中の休憩も一日だけ。
今回は少し様子を見ながら、と考えている僕は、四日分の宿賃を既に店主へ支払ってある。
ここまでの給金を使っても、まだお釣りがくる程の安い宿賃で四日も泊まれるのだから、本当にいい宿屋だ。
そりゃ――贅沢を言えば、広くてノンビリ出来そうな所が良いんだろうけれど…。
「四日はこの街にいられるよ」
「まあ、そんなに居るつもりなの?!」
「うん――母さんの体調も整えないと――国境を越えるには、まだまだ時間が掛かるんだよ」
「そう…かもしれないけれど…」
「母さんも自分の体の事を優先してくれないと、僕は安心出来ないよ」
ちょっとだけ強い口調で言えば、彼女も反論することはなかった。
確かに、急ぐ旅じゃないとは言っても、それなりに早く大神殿へと向かいたい気持ちはある。
それでも――母に無理をさせてまで急ぐ必要はないんだ。
何よりも――僕は、もうこれ以上、大切な人を失いたくないのだから……。
「とにかく、今日から四日は体を休める時間。母さんも、うろうろしないで、ゆっくりしないとね」
マントを脱いで、にっこりと笑えば、彼女も釣られたように笑みをみせてくれた。
火傷だらけの酷い顔だけれど――彼女には見慣れているもの…どうやらそれだけでも少し気が楽になってくれたらしい。
夜、食事を済ました母は、あっという間に夢の中へと堕ちていった。
それだけ彼女も疲れていたのだろうことが、これだけでも判ってしまう。
宿屋の店主達は、僕の火傷を心配してくれて、食べる物にも栄養のあるものを――と心尽くしの品を揃えてくれた。
実は――部屋をお願いした時に、フードが少しズレてしまって、彼らに傷跡を見られてしまったのだ。
だけれど、彼らはそれを怖がる事も無く、『実は自分の体にも火傷の痕があるんだよ』と店主が見せてくれた。
店主が言うには、一度、この街全体が大火事に見まわれた事が遭ったのだと言う。
そして、その時には多くの人達が火傷を負って死んでいったのだと話し聞かせてくれた。
彼もまた、一時は死ぬかもしれないと思っていたところに、前の神官さまがお弟子さん達と一緒に薬草を配って下さったのだと言っていた。
随分と長い時間、その薬草を使って多くの人が助かったけれど、僕ほど酷い火傷を負った人は皆亡くなっていると話していた。
だからこそ、僕の火傷の痕を怖がる事もなく、それ以上に優しい言葉をかけてくれる。
母の事も心配してくれて、消化の良いものを用意してくれた。
お陰で彼女も安心したのだろう、ベッドの中でゆっくりと眠りに堕ちることが出来ているのだ。
次の日の朝、僕は宿屋の店主にお願いして、雑用を手伝わせてもらうことにした。
給金が欲しいのではなく――四日間、ずっと何もしないで居る事が苦痛だったから。
それと――母を見張っておくにも、宿屋から離れないでいるのが一番と考えてのことだ。
女将さんが、時々母の様子を見てはくれるけれど、あの人も元々が働き者なだけに、すぐ起き上がっては何かしら用事をしようとする。
それを止めることが出来るのも、僕だけ――となると、ギルドで仕事をもらって宿屋を出るのは得策じゃないと考えたのだ。
宿屋の店主は、最初、給金が払えないから――と苦い顔をしていたけれど、そんなものは求めて無かった僕だったから美味しいものを母に食べさせてくださいとお願いして、漸く許しを貰った。
「アンジー、そこの薪をお願い」
「はい。どのくらい?」
「そうね――二束ほど、持ってきて」
女将さんに言われて薪を手にすると、台所へと持っていく。
この世界には、もちろんだけどガスがある訳じゃないから、火を使うにしても薪を使っている。
「そう言えば、お母さんは好き嫌いとかないのかい?」
「うーん…あんまり肉料理は好きじゃなかったけど、食べないこともないなー。でも野菜の方が好きだってことは間違いない」
「あら、そうなの――美味しいハムが手に入ったから、と思ったんだけど…じゃあ、それはスープかサラダに混ぜて出しましょうかね」
「ありがとう」
「いえいえ。アンジーが手伝ってくれるから、家の人も今まで出来なかった仕事が出来て一安心なのよ。こっちこそありがとうだわ」
「そんな…僕が我がままを言ってしまってるから…」
「いいのよおー。あの人、本当に助かったって言ってるし、私もそうよ。本当に助かるわ」
にこにこと笑ってくれる女将さんに、何だか嬉しくなって他の仕事まで引き受けてしまった。
あの人、結構なやり手かもしれない――なんて思ったのは、秘密だけれど…。
そうして僕達は、二日間丸々、宿屋から出る事もなく、ゆっくりと過ごすことが出来た。
母も、二日目の夜には随分と顔色が良くなり、食事も多めに摂れるようになった。
体を横にしているのは苦痛だと笑う彼女に、それなら少し体を動かすためにも、明日は宿屋の女将さんと二人で台所仕事でもさせてもらうといいのじゃないか?と提案した。
すると、その顔が嬉しそうに笑みを作る。
「それにしても――四日も宿屋に泊まったら、路銀がなくなるんじゃないの?」
「それが、ここの宿屋は凄く安かったんだよ。後で旅に必要なものを仕入れても充分にお金が残ると思うよ…って言っても、微々たるものだけどね」
「まあ――それじゃあ…心配じゃないの…」
「大丈夫だよ。今までも充分に節約してきたんだから――これからは、もう少しだけ節約が必要だけど」
そう言って笑うと、母も安心したように笑い返してくれた。
「さあ、今日もゆっくりと眠って。明日には女将さんと交渉しないといけないんだから」
「そうね――それじゃ、もう眠る事にしましょう」
僕は、母をベッドで横になるのを確認すると、同じように自分もベッドへ身を沈め、ランプの明かりを消したのだった。