12
ミードラグースの国境付近にある町までは、一月余り掛かることは判っていた。
商隊の人達も、急ぐ旅ではないと言いつつも、それなりに時間を見ては行動している。
町から町を繋ぐ道も平坦ではないことも知っているからこそ、僕達のような傭兵を雇ってまで旅をしているのだ。
けれど、無難な道、無難な行動を取るのは当然で、僕達の旅路はゆっくりと、けれど安全だと言われている道を進んでいく。
その日の夜も、安全だと言われている場所での野営だった。
人里離れた場所ではあるものの、見晴らしの良い場所だ。
ましてや今日は天候の崩れもなく、月が出ているせいで辺りは明るく照らし出され、ある意味でとても安心出来る場所だった。
近くには小さな森とも言えない、木の茂る場所はあるけれど、そこから流れてくる風が気持ちよくもある。
火の番は、最近、僕とアロウ、そしてブレアンの三人で交代しながら務めているけれど、護衛の人達も一緒に手伝ってくれるため割と楽が出来る。
今日の夜の番は、僕とブレアンだった。
いつもはアロウとブレアンが組むことも多かったらしいけれど、この商隊では毎回毎回、その番を変える事が出来るため、彼と僕が組むのはこれで片手で数える程にはなっている。
静かな――とても、優しい夜だと思えた。
僕達二人は、決して口を開くことはなかったけれど、火を見つめ、時には何も言わないままにお茶を飲み交わし、共に空を見上げ…本当に静かで心地よい夜だった。
それが――唐突に崩された。
「何か…遠くで泣いてる…声がする」
そう静かに言ったのは僕。
けれど、僕が言う前にブレアンも気付いていたのだろう、お互いに見ている方向が同じだったのだ。
小さな小さな、けれどハッキリと聞えてくる泣き声。
まだ小さな子供の声に聞えるそれは、どうやら木の生い茂る場所から聞えてくるようだ。
「見に行って来る…」
僕がそう言うと、彼がそれを制した。
「お前――大丈夫か?」
一瞬、何を言われているのか判らなかった。
は?と彼を見やれば、それが心配しているのだろう事に気付ける…けれど、だからと言って、何故ココでそれを言われるんだろうと、不思議に思わずには居られなかった。
「いや――そうだな、任せる」
と今度は反対のことを言われ、また焦った。
もしかして――バレているのだろうか…と…。
すると、ブレアンが小さく苦笑してみせた。
「時々…お前が夜、魘されるから――夜が苦手なのかと思ってただけだ…」
「は?」
「気にしないでくれ――たまに居るんだ。夜が苦手なヤツがさ」
そう言いながら苦笑してみせるブレアンに、何を言い出すのかと思わず吹き出しそうになった。
けれど、心配されていたのかと思えば、それも悪く取る必要はなさそうだとも思えた。
夜――魘される…それを言われたのは初めてだったけれど…確かに時々魘されているのは自分でも気付いていることだったし…だけど誰かに気付かれたのは初めての事。
それで戸惑いが生じないと言えば嘘になるけれど、まあ、そんなことかと思えば大した事はない。
正体がバレていなければ、それでいいのだから。
そう思って、僕は小さく笑った後には立ち上がり、その泣き声の方へと向かって行った。
森というには小規模ではあるけれど、木の生い茂った場所は月明かりも届かない。
ジッと目を凝らし、木々の合間に神経を集中しながら泣き声のする方を見やる。
こちら側が月明かりのあるせいなのだろうか、なかなか正体が掴めず焦れてきた頃、ようやくそれを見つけた。
小さな、小さな体が大きな木の下で蹲っているのを―――。
少しだけ感じる血の香り。
小さな体が必死に何かを求めているのも感じられる。
まるで―――そう、僕がこの世界へ来てしまった時を思い起こす、そんな感じだった。
その小さな体すらも、あの頃の僕に見えて…気付けば僕は、その子の元へと走り寄っていた。
そして見えたものは……まだ10歳にも満たないだろう小さな子供が、どうやら獣を捕らえるために作られた罠に掛かっていたのだった。
「大丈夫??」
小さな小さな声で、その子供を驚かせないように話し掛ければ、ビクリと体を揺らし僕のことを見やる。
その目は、今まで見たこともない金色をしていた。
子供も驚いているけれど、僕も驚きを隠せなかった。
木が生い茂っている所為で、月明かりも届かないというのに、その子の目はまるで猫のようにキラリと金色に光ったのだ。
僕の言葉に驚いて、泣くのを止めたその子供…それは、神官さまから話に聞いた事がある、妖魔のそれに似ていて、けれど人間であるとも思える。
どこか――そう、妖魔だとは思えない感があるのだ。
僕は、どうにか自分を取り戻すことが出来たと同時に、その子供を怯えさせないよう近づくと、足に掛かっている罠を取り外すことにした。
「大丈夫、大丈夫。怖くないから」
何度となくそう言って、まるで言い聞かせるように何度も――。
そうして、どうにか罠を取り外すことに成功した後は、足の治療だ。
可哀想に、その足は罠のせいで酷く傷ついている。
こんな小さな体では、歩くことも難しいかも知れない――とさえ思える程に…。
「大丈夫だよ、コレは薬。君の足の手当てをさせて?」
ずっと、小さな声で何度も何度も子供を安心させるように言いながら僕はマントの中にしまって置いた薬草を出し、足に擦り付けていった。
子供は、きっと驚いたまま固まってしまっているのだろう、僕の言葉に反応すら示さず、ただただ僕のすることを見つめているだけだった。
「ほら、少し痛いのが治まったでしょう?もう大丈夫――大丈夫だからね」
そう言いながら、僕は子供に言い聞かせているのか自分に言い聞かせているのか判らなくなっていた。
だって――やっぱり、思い出してしまうのだ。僕がこの世界へ来たばかりのことを――。
「あっ……」
どうやら子供も我に返ったのだろう、急に小さな体を揺らし始めた。
そして、唐突に僕から数歩、後退すると何度も何度も顔を横に振り始める。
「どうしたの?大丈夫だよ。僕は君を傷つけたりしないから」
そう言っているのにも関わらず、その子のその行動は治まる気配がない。
何度も何度も首を振って、今度こそ怯えすら見せ始めた。
「僕の名前はアンジーというの。大丈夫だよ、君の足もお薬を塗ったから、すぐによくなるはず」
僕は安心させるように――よく、神殿で小さな子達が怪我をした時にするように、その子へと声を掛ける。が、しかし、その子供は、本当に怯えていた。
まるで、何かとんでもない間違えをしてしまった子供のように……。
そして――僕は気付いてしまった。
後ろの方にある気配を……。
「誰っ!?」
ふいに大きな声を出してしまって、失敗したと思った。
だって――そうしたことで、子供をまた怯えさせてしまったかもしれないから…それなのに…。
「ち、違うのっ!この人、僕を――僕を助けてくれたっ!」
その子供が、唐突に声をあげた。
それも、僕の後ろに居るだろう人に、だ。
殺気だ…と、理解した時には、僕の首にナイフの冷たさを感じていた。
そして、僕の真後ろには、今までに感じた事のない殺気を放つ男が居たのだった。