第54話 消せない業
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魔獣は微動だにせず、こちらを睨んでいる。私たちの一挙手一投足を捉えて、渾身の一撃を加えようとしているかのように身構えている。
私たちも魔獣を取り囲み、スキをうかがう。お互いに相手の出方を見ているため動きはないが、刺すような空気が張り詰め、一瞬も気を抜けない。
この膠着状態を破ったのは、魔獣の咆哮だった。ヤツはじれたように私たちに向かって吠える。ヤツの咆哮が衝撃波となって私たちに襲いかかる。
「ぐっ……」
WADを盾にして、衝撃波を耐える。チリや砂粒が巻き上げられ、叩きつけられる。まさにサンドブラスト状態。地味に削られる肌が痛い。
『痛いか? その痛み、魔導術によって理不尽極まりない死にかたをした死者の痛みと知れ!』
魔獣は相変わらず、勝手な理屈を並べて悦に入る。あくまで死者の代弁者の立場を取ろうとしている。
乙女の柔肌になんてことするのよ! 地味にすり傷いっぱいになっちゃったじゃない! あとのお手入れが大変なんだから!
声を大にして、魔獣に抗議したかった。しかし当然のことながら、相手は魔獣で人間様のことなどヤツにとってはどうでもいいこと。私の魂の叫びは魔獣には届かない。魔獣に乙女の悩みなんてわかるはずもない。
「まったく……」
考えれば考えるほど、理不尽極まりない存在なのね、魔獣って。ほんと頭に来るわ、この負の想念の塊は! 全力でつぶす!
私は意識を集中し、術を発動させる。とびっきりきっついのをヤツにおみまいしてやる!
術が発動し、私は冷気をまとう。その冷気が速度を急速に上げながら、私のまわりを回る。私を中心とした冷気の渦は拡大し、ほとんど吹雪と見分けがつかないほどの激しいものになる。
「あなたのその恨みの火、私の冷気で消してあげるわ!」
発生させた全冷気をヤツにぶつける。ヤツは頭を低くし、縮こまるような格好で冷気に耐えている。
この程度で、ヤツが倒れるとは思えないけど、動きをとめるだけでも……。
すると、ヤツの身体から黒い炎が吹き出す。その火の勢いにあおられ、冷気が霧散する。
『これしきの冷気なぞ……我が纏いし、憎しみの炎を消し去ることなど、できはせん!』
ヤツが吠える。本当に忌々しい魔獣……何としても止めてみせる!
でもどうやって……? ヤツへの攻撃はほとんど効いていないのに。
「バラバラに攻撃していてはダメだ! 全員で同時攻撃するんだっ!」
もはや、私たちのチームの司令塔になりつつあるマスターの声が辺りに響く。その声に全員、即反応する。最上くんは当然として、まなみも戦線復帰するのが見えた。
……よかった。まなみが復活した。それだけでもかなり心強い。そのうえ、マスターがそばで見てくれるんだ。今の私たちはきっと最強。どんな敵でも勝てると思う。目の前の最強の魔獣でさえきっと打倒せる!
『愚かな魔導術士どもよ。お前たちが何人束になったとしても我を打ち滅ぼすことなぞ、できはしない。我は復讐者なり。魔導術に虐げられた魂のよりどころなり』
「何えらそうなこと言っているの! アナタなんて、ただの負の想念がこもった魔導素子の塊じゃない。自分で言うほどアリガタイ存在じゃないわ。アナタは言ってみれば、部屋の隅にたまったホコリの塊みたいなモノなのよ。ただのホコリの塊がえらそうな口を利くんじゃないわ!」
まなみさん、復活したとたんに絶好調……。んでも、まなみはこうでなくっちゃ。
まなみの言葉に驚きを隠しきれない魔獣。思ってもみないところからの攻撃に戸惑いを感じたようだ。
『我をホコリとな……? ありえぬ……ありえぬ……アリエヌ……』
魔獣は自分の言葉を反芻して黙り込む。何かに耐えるように身構え、力をためているように見えた。突如、魔獣が咆哮する。さっきにもまして強烈な衝撃波が私たちを襲う。
『愚か者どもが! 己の立場を知れ! 本来なら直接口を聞くことすら慎まねばならない立場の貴様らが言うに事欠いて、我を、死者の代弁者たる我をホコリの塊とは何事かっ!』
魔獣が心底怒りを感じていることがありありとわかる。強烈な衝撃波はヤツが言葉を発するたびに発生し、私たちを切り刻む。それでも怒りの収まらないヤツは畳みかけるように攻撃を続ける。
『我の怒りを知れ! 死者の怒りを知れ! 死者の怒りを知らぬ愚か者どもめ!』
魔獣は口から激しい炎を吐き出し、火炎放射器のようにあたりにまき散らす。私たちは何とかその炎を回避するが、辺り一面炎に包まれる。炎を背景にたたずむ魔獣の姿は激しい怒りが可視化されているように見える。しかしその一方で、どうしてだかヤツが怒りの炎を燃やせば燃やすほど、なぜかヤツの孤独が強調されていくように私には見えた。
負の想念の塊であるヤツがさびしさを感じる……? それはありえない。あくまで、ヤツはヒトの感情のいわば残りカス。感情の残りカスが独自の感情を持つなんてことはありえない。なのになぜ……理屈でスッキリと割り切れない。
「杏! 敵は目の前よ! 集中して!」
まなみの叫びが私を現実に引き戻す。
今はとにかくヤツを止めなければ。私のやるべきことに集中しないと。
「タイミングを合わせろ! ……いまだ!」
マスターの合図にあわせ、ヤツに一斉攻撃をかける。最上くんが火炎放射で、まなみが雷撃で、そして私が氷撃でヤツをたたく。
火炎、雷、氷が色の違う三本の矢のようにヤツに向かう。その矢はほぼ同時にヤツに当たる。当たると同時にすざまじ爆発が起き、ヤツの姿を隠した。
「やった……?」
三身一体の攻撃は確かにきいていた。しかし、爆炎がはれ現れた姿はますます異形の物体になっていた。かろじて原型を推測できたが、初見ではあの魔獣とは思えないほど変形していた。身体は崩れ、どす黒いスライムに頭と四肢がついているような姿に私たちは息を飲む。
『お……の……れ……ま……ど……う……じゅ……つ……し……ど……も……め』
薄汚れたスライムと化した魔獣は恨めしい声を上げ、ズルズルと身体を引きずり、私たちのもとへにじり寄ってくる。元魔獣からは黒い蒸気のようなものが立ち上っている。あたりには肉が腐ったような鼻を突く臭いが漂いだす。
「……あれ? 地面が揺れる?」
どういうわけか、地面がフラフラ揺れ出した。おまけに頭が回らなくなってきた。このままでは、術の行使にも影響が……。
悪臭のせいか、意識が混濁し始める。
せっかく、ヤツにダメージを与えたみたいなのに。ここ一番てときにどうして……?
意識が混濁し、攻撃の手が止まった私たちにマスターの言葉が飛ぶ。
「あと一息だ! 攻撃をつづけろ!」
そう言うと同時にマスターも術を行使する。マスターの術は変わっていた。WADを作動させ、光の粒子を生成するとその粒子を薄汚れたスライムになっている元魔獣に浴びせかける。特にダメージを与えた様子はなかった。ダメージを与えない術……?
マスターは浄化の術を行使したようだ。初めてみた術だったので、どんな術かわからなかった。
すると、鼻を突く臭いが薄れだした。それとともにぼんやりとした頭もスッキリする。
「さ、ぼんやりとしている暇はない! 徹底的にやってしまえ!」
マスターにしては珍しい激しい言葉で私たちに再攻撃を促す。当然、私たちは拒否などするはずもない。
「まなみ、最上くん、行くよ! これで……これで……終わりにするよ!」
まなみも、最上くんもうなずき、構える。
『お……の……れ、……ま……ど……う……じゅ……つ……し……ど……も』
魔獣は形態が維持できなくなると思考も維持できなくなるのか、話す言葉もたどたどしくはっきりと聞き取れる言葉が断片的になり、他に聞こえるのは空気を吐き出すような音ばかりだった。
そんな息も絶え絶えのような魔獣にとどめを刺すべく、術に集中する。他のみんなも同じ思いのようだった。
「行くよ! 異端の存在よ、この世からされ!」
最大出力で術を行使した私たち。冷気、電撃、火炎、三つの力が魔獣だったものに命中する。激しい閃光と爆風が魔物だったものをかき消す。轟音と衝撃波が私たちのそばを駆け抜けると、半分消し炭のようになったそれがあった。
『う……がぁぁ……ぎゃぁ……』
魔獣だったものが、この世のものと思えないような不気味な叫び声を上げ、分解していく。汚れたスライムは黒い蒸気を上げだんだんと小さくなっていく。
『ま……どう……術士……ども、我が……消滅……しても……死者……死者の……う……恨みは……き……消えはせんぞっ! ぐがぁぁぁ……』
魔獣だった薄汚れたスライムは断末魔の声を上げて、消滅する。黒い靄を残して……。
……やっと倒した。これで……すべてが終わる……? え?
魔獣を倒したと思ったら、魔獣の残り香のような、うっすらとしか見えない魔導粒子の霧に包まれる。それと同時に誰かの思いが私の中に流れ込む。微かな、ほんの微かな思いではあったが、私の中に流れ込んだ。
この思いは……誰? 何を伝えたいの?
私は流れ込む思いに集中した。全神経を傾けないと聞き取れないほどのか細い思いを聞き取るために。
……痛い……悲しい……寂しい……辛い……苦しい。
そんなありきたりの感情が私の中で渦巻く。
それも一人二人ではない。
百人……?
千人……?
ううん……たぶん幾万人単位の感情の奔流。
どの感情もみんな助けを求めている。自分に起こった不幸に押しつぶされて、自分が何者だったかさえ見失い、ただ負の感情に呑み込まれているものいる。自分の身上に起きたことがあまりにも不幸すぎて、何に嘆いているのかわからなくなってもただ嘆き続ける感情もいる。
……ほとんど一瞬にしてこの世とお別れしたみたい。自分に何が起きたかわからないまま、自分自身が消えていく恐怖。やり残したこと、大切な人と突然永遠の別れをしなければならくなった悲しみ。まだ幼い家族の成長を見守ることなく逝った魂の嘆き。その逆に自分の未来に希望を膨らませ、将来に向けて大きく羽ばたこうした矢先にその希望が無残に奪われた悲しみ、苦しみ。
これが魔獣の孤独の正体……? たぶん、そう……。
幾人もの消えていった人生の慟哭が光を見いだせずさまよっている。ここに漂うのは魔導素子。消えてしまった人たちの魂の残滓。でも、例え魂の残滓であってもその人たちが確かに生きていたことの証でもある。魔導素子を通じて流れ込む感情は残りカスなんかじゃない。本物のそれぞれの人が確かに生きていたことの証拠。
……私は何をすればいいのだろう?
「杏、大丈夫? 何か感じたの?」
まなみに声をかけられ、現実に引き戻される。その時私の頬には伝うものが一筋、二筋……。
まなみは膝をつき放心状態だった私を心配して、軽く私の肩を揺らしていた。
「……大丈夫。魔導素子にのった感情に少しあてられただけ。心配ないわ」
「そう……それならいいけれど……」
まっすぐ私の目を見て、ふっとそらしたまなみの視線が少し私には痛かった。
ごめんね、心配かけたね。
「……ヤツの、あの魔獣の言っていたことは本当のようね。ヤツからあふれた魔導素子にのった感情はみんな突然この世にお別れしてまって、どうしようもない悲しみ苦しみ……憎しみ恨みを背負ってしまった感情ばかりだった……それが万単位の数となると……」
「……例の魔導術テロの犠牲者」
私はまなみの目をみてうなづく。まなみはやれやれといった態度を隠さず、大きく息を吐き出すだけだった。
「きっと、それぞれはそんなに強い感情じゃなかったのかもしれない。吹けば飛ぶようなか細い感情だったかもしれない。でもそんなものが一斉に発生して、一つにまとまったとしたら……万単位で」
私は魔獣化した負の感情について自分の推測を話した。はっきりとした証拠はないけれど、たぶんこの推測は大きく間違ってはないはず。
「魔獣化した負の感情が暴れて、さらに犠牲者を出せば、その感情が次の魔獣を生み出すかもしれない……おそらくはこの連鎖を狙ったのがテロリストの思惑だったんじゃないかな?」
私は思うところをまなみに話してみた。まなみは最後まで聞いていたが、聞き終わると再び大きく息を吐き出し、もうお手上げといわんばかりに両手を肩のところで広げる。
「魔獣を生み出すほどの負の感情の塊がさらに次の憎しみ、恨みを生み出す……ある意味、魔導テロを引き起こしたテロリストたちの思惑は完成していたってことね。本当にテロリストって厄介な存在ね」
そういうとまなみは鋭い目をした。
「……そしてその負の連鎖にかかわったのがお爺様の財閥。それにそのきっかけを作ったのは……」
「そう、魔導術ね。……魔導術の負の面、これが魔導術士として背負っていかなければならない業かもね……」
私とまなみの出した結論はなんとも救いのない結論だった。魔導術が存在し続ける限り、魔導術テロのことは永遠に忘れ去られることない汚点としてこれからも語り継がれるだろう。そして魔導術士である私たちはその業を背負ってこれからも魔導術士として生きていかなければならない。
いつの間にか小雨が降りだし、ただでさえ陰鬱な雰囲気に輪をかけて重苦しい雰囲気となった。
どんなに頑張っても消せない過去を背負って生きていくってどうなんだろう?
どう考えても答えが出ない問いを抱えつつ霧雨の中、たたずむしかなかった。