第53話 魔導術士の矜持
雷蔵氏から現れた悪意の権化のような魔獣。魔獣の討伐に手を焼くいたりんたち。
すると野獣がいたりんたちに問いかける。
『何故抗うのか』と
いたりんの出した答えは――
お読みください。
「このままではらちが明かない。外に追い出して、そこでやるわよ!」
室内でめちゃくちゃに暴れる魔獣に手を焼いた私は少しでも動きやすくなるよう魔獣を建物の外へ追い出すよう、最上くんに指示した。まなみは何とか落ち着いたものの、魂がぬけたようになり、今しばらく使い物になりそうになかった。
さすがは軍人の端くれ最上くん、魔獣の顔に一撃を加え、指示通り外へ誘う。魔獣は一撃を加えられたことに怒りを感じたのか、うなり声を上げながら最上くんを追う。
「ここならっ! 凍えて眠れ!」
屋敷の中庭に出た魔獣は、私たちを威嚇するために吠える。その鳴き声は建物を震わし、私たちの腹に響くような音を通り越して衝撃波に近いものだった。その魔獣の興奮を冷ますように冷気で応酬する。しかし魔獣は簡単に冷気を振り払い何のダメージもうけていない。
「さすがにしぶといわね……」
あまりのしぶとさに苦笑いが自然とこみ上げた。最上くんも火炎放射を続けるが、大したダメージを与えていないようだった。流石の最上くんも手を焼いているのがわかる。
「えぇい……いいかげん、倒れなさいよ!」
私はすこし焦れて、大粒の氷の礫を魔獣に浴びせかける。手元では米粒大の氷の粒が魔獣に当たる寸前ではバスケットボール大になり、連続して魔獣の身体を打つ。さすがに氷の質量が今までより格段に大きくなったせいか、魔獣はわずかに後ずさりし、はじめて受け身な姿をわずかながら見せる。魔獣はそのことに怒りを覚えたのか、私のほうを向き牙をむき、強烈に威嚇する。そしてヤツは襲ってきた。
魔獣は大きな爪で私を打倒そうと前足を振り回す。丸太のような前足についた三つの爪は日本刀のような鋭さを持ち、空気さえ切り裂く。私は紙一重でその攻撃を何とかかわし走って距離を取る。逃げる私を援護するために最上くんは威嚇射撃とばかりに火の球を放ち、魔獣の注意をそらす。例によって、大したダメージを受けてはいないようだったが魔獣はますますいきり立っているようだった。
「ほんと……しぶといっ!」
魔獣のタフさは尋常ではなく、蔭山さん事件の時のもの比べると比較にならないほど強靭で狂暴だった。あのときの魔獣が子犬のように思える日が来るなんて思いもしなかった。あのときも結構てこずったのにそれ以上の魔獣じゃ、私だけでは……。
まなみが加わってくれたら、状況は変わるかもしれないけれど、今すぐは無理そう。まだ雷蔵氏のそばを離れようとしない。とにかく、最上くんと何とかしないといけない。
スキを見て氷の塊を当てつづけているけれど、いっこうに弱る気配がない。このままじゃ、先にこっちがへばってしまう。
あー、頭にくる! やってしまえ!
「最上くん、時間を稼いで! きっついのをヤツにお見舞いするっ!」
私の声にすぐさま反応する最上くん。彼は私へ注意が向かないよう、炎弾をヤツの顔に連射し、誘った。
さすが、軍人さん! よし、このスキに!
私は詠唱に入る。かなり強力な術なので確実な発動には少しの時間が必要だった。詠唱により確実に術は発動する。かなり大げさな術だから、詠唱なしに発動は無理!
魔獣に対し、私一番の術を使った。魔獣を中心に半径十数メートルに冷気を凝集し、局所的な極低温の閉鎖空間を構築、その中にヤツを閉じ込めた――つもりだった。
「え? なんで?」
閉鎖空間の境界にひびが入ったかと思うと、強化ガラスが砕けるように閉鎖空間の境界が崩壊する。姿を現した魔獣は怒りに満ちた目で私をにらむ。
『愚かな小さき魔導術士よ。なにゆえ抗う? 元はウヌらの眷族が過ちが原因。無抵抗であるべきではないのか?』
突然の魔獣からの語り掛けに驚き、頭の中が完全に真っ白になった。魔獣が語り掛けてくるなんて思いもよらないことだった。その場にいた全員が魔獣を見る。
「勝手なこと言わないで! 元がどうあれ、命の危機であれば抗うのが当然でしょう!」
今まで蚊帳の外だったまなみは魔獣の言葉が癇に障ったのか、魔獣の前に駆け出し、即座に完全否定した。しかし魔獣はその程度の反論では論破されることはなかった。私には魔獣がニヤリと笑ったような気がした。
『ならば、抗うこともできずウヌらの術で命を落としていったもの意を受け、ウヌらを打つことも正当化できよう。再び問う。なにゆえ抗う?』
「それは……」
まなみには珍しく言いよどむ。彼女も何か思うところがあるのだろう。
何となくではあるが魔獣の言い分にも一分の理があるように思えてくる。少なくとも私には負の想念が凝集し、魔獣化した時点でその想念の強さは明らかで……つまりその恨みは一朝一夕に霧散する程度のものではなく、凝り固まりまるでタールのようによどみ切った恨み憎しみ……その深さははかり知ることはできないほどの深い井戸の暗闇と同じ。それだけ恨みが深いということはそれ相応の行いがあった――術を用いて残虐に殺害されたか、大量虐殺だったか、今となってはうかがい知ることはできないが、それは間違いないことだろう。
しかし、それだからと言って、今生きているものの命を代償にすればその罪は贖えるのだろうか? それが私の中ではっきりとしない疑問として浮かび上がる。
“恨みを抱えた死者には生者の生殺与奪の権利が独占的に与えられるのだろうか?”
私には答えが出なかった。仮にも死者の声を代弁するイタコとして、死者の気持ちが理解できた。“この恨み晴らさずにおくべきか……”なんて大昔の幽霊ものの映画なんかのセリフが必要以上にリアルに感じられる。とはいえ、国家魔導術士としてはたとえ恨み持つ死者が生者に強烈な殺意を向けるのならば、生者を守るのが使命。術を駆使し、生者の生命、身体などの安全を確保するのが国家魔導術士。たとえ生者に原因があったとしても……私は守らなければいけない。
イタコと国家魔導術士との使命の板挟みになり立ち尽くす。魔獣は目の前でほくそ笑んでいるように見えた。こっちの葛藤を十分理解しているように。
『……我が意を解したか、愚かなる国家魔導術士どもよ。我が意こそ、否我こそが正義なり!』
勝ち誇るように魔獣は高らかに宣言する。その目は明らかにこちらを見下し、さげすむ目をしている。
屈辱……想念の塊に見下されるなんて……悪意が単に物質化しただけの存在に……。
たぶん、今私が感じていることを最上くんも感じている。もちろん、まなみも。
『ふふふ……愚昧なるウヌらもやっと理解に至ったみたいだな。我こそが正義。我こそ――がっ!』
突如、魔獣の横っ面をひっぱたくように激しい爆発が起きる。あまりの爆圧にさすがの魔獣も大きくのけぞった。
『何者ぞ!』
魔獣は怒りに任せ、大きく頭を振り乱し、あたりを見渡す。
「惑わされるな! 守るべきものは何か思い出せ!」
その叫び声とともに黒い影が飛び込んできた。私たちだけでなく魔獣までもががその影に気を取られる。
「……死者にはもう可能性がない。新たな可能性を模索できるのは生者だけだ。守るべきは可能性……ここまで言えばわかるだろう」
ゆっくりその“影”が建物の影から私のもとへ近づいてくる。それと同時に足元から敷地内の起きる爆発の光が当たり、はっきりしなかったシルエットが明確になってくる。爆発光が当たるたび、ディテールもはっきりしてくる。そしてついに私の目前に……。
そのシルエットは見間違うはずのない人のもの。やっぱり……。
なぜだか、心満たすものがあり、こみ上げた思いが両目からこぼれ落ちる。
マスター……ありがとう。
感慨にふける私を無視するように魔獣は闖入者を憎々しくにらみ、怒りを隠さない。
『何者ぞ? また我の業を妨げるものか!』
魔獣は敵愾心も露わに、マスターに対し怒気を放つ。しかしマスターはこともなげに魔獣に反論する。
「……キサマのような存在に何者か名乗るほどもない。死者の残滓ふぜいが正義を語るな。所詮は恨みつらみの塊でしかないお前が、生者の生殺与奪を握るなど笑止! 消え去るがいい!」
マスターは魔獣を指差し、睨み返す。巨大な魔獣を前に一歩も引かず、堂々と仁王立ちし、指さす姿は神々しくもあった。
「ますたー……マスター……」
私の目の前にはマスターがいる。マスターは多くを語らず、私に微笑む。
そうよ……マスターの言うとおりよ。マスターの言葉は私に力を与えてくれる。暖かく、力強い意志……マスターの熱い思いが私の中に言葉を通じて入ってくる感じがする。
「そうよ、死んだものが生きているものの邪魔をしないで!」
マスターの言葉に勇気づけられ、魔獣に対し私も反論する。
『ならば死んだものは生きているものの理不尽を受け入れなければならないのか? 生者とは死者に理不尽を押し付けるものなのか?』
さらに憎々しげに怒りをあらわにし、魔獣もさらに言葉を続ける。私はそんな魔獣を許せなかった。
「何か勘違いしているみたいだけれど、死んだものの恨みつらみをはらしても、死んだものはもう帰らないのよ? 死者の代弁者みたいに振る舞っているけれど、貴方のしていることは死者に未来をもたらすものではなく、むしろ死者の安息を乱すもの。独りよがりなことなのよ!」
私の中から息せき切るように言葉があふれる。今までの疑問が、言葉を紡ぐうちに氷解していく感じがした。私の役割、イタコとして、国家魔導術士として何を守り何をすべきか、生者と死者との関係……そんなものが頭の中で整理されていく。
「……生者には生の希望を死者には死の安息を。生者は産み育て、死者は死に消えゆく。死者の思いは生者に受け継ぐもの。生者は死者の思いを受け継ぎ新たな未来を紡ぐ。生者は未来、死者は過去。過去が未来を阻害してはならない。これが生と死の理。貴方はその理から外れている」
私の言葉が私の言葉ではないみたいな感じがする。何か別の人格に取りつかれて話しているようなおかしな感覚。言葉を紡ぎ続ける私を訝しげに魔獣が睥睨する。
『ウヌは何者ぞ……我に、生者の理不尽に嘆く死者の代弁者たる我に生と死の理を説くとは……』
魔獣は憎々しげに私につぶやく。その視線は訝しげで驚愕に満ちているように見えた。
魔獣に驚きの目で見られる日が来るなんて思いもいもしなかった。
「私はただの一介のイタコにして国家魔導術士。生と死の理をゆがめ、独りよがりな復讐劇に酔う貴方のような存在がほっとけないお節介とでも言っておきましょうか」
そう私はイタコにして国家魔導術士。その力で人々を守るよう義務付けられた者。ただ、私はその責務を果たすだけ。誰がなんと言おうとそれが私だけの真実であり、私だけの正義。これは譲れない私の存在理由。他の人にはお節介かもしれないけれど。
『愚かなり。我が意は独りよがりにあらず。我が意こそが正義。死者の声を聴かぬ愚か者どもに天誅を加えるものなり』
ほんと頑迷ね。人の話を聞かないというか、自らの正義に酔っているようにしかみえない。
「そのセリフよ、貴方がすでに傲慢な存在になっているってわかるのは。『我が意こそ正義』なんて言いきっちゃったら、おかしなことになるでしょう? 本当にあなただけが正義なの?」
駄々をこねる幼子に諭すよう問いかけてみる。無駄かもしれないけど、一縷の可能性を捨て去るのはもったいない。
しかし、ヤツの回答はひどくそっけない残念なものだった。
『我に一点の曇りなし。我こそは死者の声、死者の正義なり』
……ここまで言われたら、もう交渉の余地はないようね。
「いくら言っても無駄なようね。力ずくでもやめてもらうわ。貴方はもうこの世の理からはみ出した危険な存在なのよ」
最後通牒を叩きつけなければならないなんて、たとえ魔獣相手であっても、自分の不甲斐なさを感じる。それでもヤツを止めなければ、多くの人が困る。術を使うことが最善の方法でないとしても、現状他に変わる方法がなければ、術の行使をためらうことは許されない。
全力でヤツを倒す!
『是非もない』
魔獣も私の覚悟を感じ取ったのか、短く答えて、戦闘態勢をとる。
魔獣との最終決戦の幕が今開かれた。