第34話 真夏の大乱 1
お読みください。
あぁ、空が日の光で満たされている。痛いぐらいに強い光に。
空には、大きな入道雲が列をなしている。まるで紺碧の平原を疾駆する白い獣。
お日様は空の一番高いところへ登る。空気もそれに合わせて暑くなる。
あっという間の夏を生きる蝉の声が騒々しくも物悲しい。
……
あの事件以来ここ数日、これと言って大きな事件は起きてない。お蔭様で、のんびりとした時間を過ごせる。やっぱり、こういう優雅な時間を持たないとだめねぇ。
ぱしっ!
痛い! 頭に何かぶつかった! 何なの!? 何が起きたの!? まさか、連中が……。
私が必死になって、周りを見回しているとまなみが呆れ顔でこっちを見ていた。
「……何してんのよ。いい加減書類がたまっているんだから、処理してよ。あなたの仕事でしょう。このクソ暑いなかイライラさせないで、お願いだから」
夏の刹那の優雅な時間を満喫していたら、夏の暑さにいら立っているまなみに、頭をはたかれたようだ。
いいじゃない、せっかく連中も動きを止めて夏休みみたいなんだし、私たちも…………。
はっ……!! 私の背筋に強烈な悪寒が走る!
はい、すいません。ハンコ押します、押させていただきます。誠心誠意、ハンコ押します。
思わず、平身低頭でハンコを押すことになった。
だってまなみの背後に黒いオーラが見えたし、まなみが一瞬、般若に……。
あぁーれぇー………。
殺人的な暑さの夏の日、いつものようにまなみさんが鞭をふるい、私が奴隷のように書類にハンコを押す。その横で何も起きていないかのように最上くんが淡々と自分の仕事をかたずける。
そんな私の事務所は今日も平和です……。
――――☆――――☆――――
「……あらら、もうこんな時間。お昼にしないとね」
鞭でしばかれ続け、ぼろ布のように燃え尽きた私を尻目に、まなみお嬢様は優雅に宣う。
「杏、今日はピザにしない?」
ピザですか……? 唐突に何でしょう……。嫌いじゃないけれど、いい店を見つけたの?
「実はねぇ、海辺によさげなピザ屋さんがあるらしくね。行ってみたいの」
とまなみは言い、チラシを取り出す。古い海の家を改造した、窯焼きピザ屋の写真が載っていた。ひなびた感じがいい雰囲気を醸し出し、新装開店とは思えない。隠れ家的な趣もある。
いいねぇ。行きましょうか。
「それじゃ、最上くんはお留守番ね。帰りに何か買ってきてあげるわ」
まなみは最上くんにそういうと、なぜか最上くんは直立不動で敬礼する。
……時々わからなくなるわ。本当にどういう関係なの、あんたたちは?
多少理解に苦しむ出来事はあったが、私とまなみは最上くんにお留守番をお願いして、出かけることにした。
事務所からはまなみの車で移動することになった。彼女、今日はお昼はピザと決めていたので、その店に行くため珍しく自分の車で出勤したという。彼女の愛車は真っ赤な○アット500。てんとう虫のような形の車で、有名なフランス出身怪盗紳士の孫の愛車でもある。
私には意外だった。まなみのことだから、もっと走り屋志向のファイ○ーバードト○ンザムとか傍若無人志向のフェ○ーリF40とかそんな車にすると思っていたんだけど……。
「この街みたいな道の狭い街で、そんな車にするなんておバカさんのすることよ」とのこと。確かにこの街の道は広いところでも軽自動車二台がすれ違うのがやっと。ちょっと大型の車が入るだけで、すれ違い渋滞が発生してしまう。何せ四〇〇年以上前からの潮待ちの港街、自動車が通ることなんて考慮していない。
それはともかく、私たちはピザ屋に向けて出発した。山沿いの幹線道路を海を左手に見ながら西へ走る。車窓から見える海は真夏の太陽に照らされ、目が眩むほど輝いている。海面で反射した光でさえ圧力を持っている。
「あっ、あそこ、あそこ。あそこから海へ向かって降りるの」
まなみが指差す方向をみると、幹線道路から左へ降りる道が見える。どうもこの道が海辺へつながる道らしい。控えめなピザ屋の看板も見える。車は左へ曲がる。
海辺へ向かう道は曲がりくねり、緩やかに下っている。道の両側には雑木が生い茂り、道を覆い隠す。本当に街外れもいいところ。行き交う人もほとんどいなさそうな田舎道を車は進んでいく。
すごいところにあるのね、そのピザ屋。こんな僻地でよく商売が成り立つなぁ……。
そんな感慨にふけっていると、急に目の前が開け、海が見える。
「すぐそこよ」とまなみが言う。
どうやら、目的地へ到着したようだ。
浜辺のすぐそばにある建物にそのピザ屋はあった。一見しただけでは、ピザ屋とはわからないほど地味なたたずまいである。入り口の近くに小さく自己主張する看板がなければ、私には営業中のピザ屋と認識できないほどだった。
「こんにちは。席、開いてますか?」
まなみが先に店内へ入り、席が開いているか尋ねる。店員は入り口付近の席が空いていると答えたらしく、店内に私が入るとまなみはその席へ座って私を手招きする。その席は横並び二人掛けになっている席で、海が真正面に見える席だった。席数は十数人も来れば満席になるような小さな店だったが、店の厨房の奥にはごく小さいステージがあり、定期的に小さな演奏会なども開かれているらしい。それらしいチラシやポスターが入り口付近にあった。
席に着くと「ご注文は?」と赤ん坊を背中にしょった女性が注文を取りに来た。厨房奥では男性がせわしく働いている。どうやらこの二人は夫婦で、店を切り盛りしているらしい。
まなみは地物海産物のジェノベーゼをたのんだ。私はパスタの注文もできるので、ナポリタンを注文しようとしたが、なぜかまなみさんに視線で注文を止められる。
……いいじゃない、好きなんだから。
好きなものが頼めず結局、照り焼きチキンのピザを頼むことになった。
出されたお冷を飲みながら、しばし海を二人して見つめている。ここまで来て思う。まなみは何でここへ誘ったんだろう? 単に手作り窯焼きピザを一緒に食べたかっただけなんだろうか?
今一つまなみの真意を図りかねる私は、お冷をあおりながら、店の外に広がる夏の海を見つめていた。夏の光に照らされた海は店の中でも光の圧力を感じた。海面で散乱する光でさえ、私の目を刺す。昼を過ぎ、風が出てきたのか波が荒くなる。私の心にも漣が立つ。
心のざわめきを抑えつつ、煌めく海をあてもなく見つめ、注文したものを待っている。窯焼きなので少し時間がかかる。
ちょっと気になって、まなみの様子を伺う。まなみはお冷を煽りながら、煌めく海を当てもなく見ていた。
私はどう切り出していいかわからず、同じようにしていた。すると、香ばしい香りとともに、お待ちかねのものがやってきた。
「お待ちどうさまでした」
赤ん坊を背負いながら、ピザをテーブルの上に置く若奥さん。テーブルには、手作り感満載の素朴な窯焼きピザが二枚並ぶ。
私は心のざわめきの処理より、目の前のご馳走の処理を優先することにした。
まなみのジェノベーゼは近くの海で取れた小エビが散りばめられ、アサリがその隙間から顔を出している。私のテリヤキはごくシンプルなモノで、細かく切られた鶏モモのタレが外の光に照らされ輝いている。
「いただきます」
私たちは脇目もふらず、目の前のピザにパクついた。二人して、沈黙してしばしピザの味を堪能する。空腹が少し落ち着いて、私は気になっていることを切り出す。
「……まなみ、あの時のあれって何?」
「あれって?」
「いや、その……あのどんちゃん騒ぎの時に連中に見せていたあれよ」
「だからどれよ?」
「……あれ……あの許可証って、なんで持っているの?」
うまく遠回しに言おうと考えたが、言葉が見つからなくて、結局ストレートに聞いてしまった。
「ああ、あれね。特に理由はないわ。持っておいて損はないって思っただけよ」
まなみはさらりと受け流す。しかし、その答えでは私は納得できない。確かに街中など、術行使によって多くの人が影響を受けるような場所、状況では、緊急時などやむを得ない状況を除き原則術行使は禁止されている。しかもやむを得ない行使でも、事後速やかに申告しなければ罰せられる。でも、原則WADがあれば術行使は可能。市井の魔導術士にはそれで十分のはず。
しかしまなみの持っている特別許可証は違う。
所有者が必要と認める場合、原則いつでもどこでも術行使を許可するもの。つまり、好きなときに好きなように術行使をしたとしても、公権力によって咎められることがない。
今の魔導術士稼業でそこまでの許可は必要ない。まなみがそこまでしなければならない理由が分からなかった。
「でも、あの許可証は魔導術士にとって“殺しのライセンス”みたいなものよ。市井の魔導術士に必要な許可証とは思えないし、何を考えてそんな物騒な許可証を取ったのか教えてよ、お願いだから」
詰問する気はないけれど、どうしても今一つ納得がいかない。そんな気持ちをまなみへぶつける。まなみは珍しく押し黙り、静かに私の話を聞いている。
「ねぇ、まなみ! 教えてよ!」
まなみがあまりに沈黙を守るので、いいかげん情けなくなってきた。だんだん感情も高ぶってくる。それでもまなみは静かに目を伏せ、答えない。店の外の海を見つめ、押し黙る。窓の外の海は風が出てきたせいか、白波がたち始めている。
「杏の気持ちはわかるわ……。でも今は詳しいことが言えないの。お願いだから信じてほしいの……信じて」
遠くの海を見つめていたまなみが私のほうを向いて懇願する。その目はわずかに潤み、心なしか小刻みに震えているように見えた。初めて見るまなみの姿だった。
私はただ驚くしかなかった。ゴーマンがドレスを着て街を闊歩しているようなまなみが目を潤ませ懇願するなんて……。
「……わかった。この話はしないわ」
あのまなみがそこまで言うのだから、よっぽどの事情を抱えているんだなと察して、それ以上の追求を止める。
「……ありがとう」
まなみはそう言ったきりしばらく何も言わなかった。
私は決して納得したわけではなかった。ただ、まなみにはまなみの事情があるみたいだし、それを無視して彼女の領分へ土足で上がりこむことは私にはできない。仕方なく、追及をやめるしか選択肢はなかった。
二人して黙ったまま、ピザをむさぼる。奇妙な静寂が二人を包む。
そんな静寂を携帯の着信音が破った。
お読みいただきありがとうございます。
かなり前置きの長い話になってしまったような(^▽^;)
これからどうなることやら。