長い一日の終わりに 中篇
ぎりぎり半年未更新を回避!
あまり話が進んでません。申し訳ないです。
見返してないので(ry
寂し気な表情を見せたシリウス王は、しかしすぐに表情を変えた。
その表情は悪くは無いが良くも無い。どこか浮世離れした感じで、焦点が離れ、遠くを見ているようだった。
その表情は、鉄兵にとって見慣れた表情であった。少し前まで割とよく見ていたその表情は、人が考え事に集中している時の表情である。
そんなシリウス王の表情だが、しかし次の瞬間にはすぐまた変わったものになっていた。少しばかり自分の考えに没頭していたらしいシリウス王だが、何事も無かったかのように表情を戻し、わざとらしく伸びをする。
「悪い。頭を使いすぎてちょいと疲れちまった。ヘリオス、少し任せる」
「はい、父上」
むくっと立ち上がったシリウス王の言葉に、ヘリオスはにこやかに頷いた。言葉通り新しい考え方を処理するのに疲れてしまったためなのか、それともただ考えに集中したいためなのかはわからないが、シリウス王はヘリオスと席を替わり、ヘリオスが座っていた長椅子に横になった。
席を譲って立ち上がったヘリオスがどこへ座ったかといえば、それは当然シリウス王が座っていた上座である。正面からすぐ横へ、ほんの少し距離が近くなることにより鉄兵はなぜか少し緊張感を覚えたが、そんな鉄兵の心中を察したのか、ヘリオスは鉄兵と目を合わせると安心させるようににこっと笑った。
「それじゃ鉄兵君。もう少しだけ話を聞いても良いかな?」
「はい、よろこんで」
にっこりと笑いかけてきたヘリオスに、鉄兵は愛想笑いで応えた。そう、愛想笑いである。
自分ですらそう思ったのだから恐らく相手にはバレバレだろう。鉄兵としてはそんな表情をする予定もしたい訳でもなかったのだが、なぜかとっさに出てきた表情はそれだった。
鉄兵はあまり愛想笑いをした事がない。我が事ながら割と傍若無人な性格なので、教師方だろうが先輩方だろうが敬意を持って接しはするが無遠慮に、率直に意見を言ったり感情を表したりするため愛想笑いというものはあまりした事がないのだ。
それなのに、なぜここで愛想笑いが出てしまったのか。自分の行動ながら戸惑った鉄兵が自問したところ、答えは至極単純なものであり、自分が緊張しているというものだった。
一次的な解答は出たものの、それは新たな疑問の始まりである。ヒューバートやガブリエルなどアリスの他の兄弟には緊張など微塵も感じなかったのに、ヘリオスに対してはなぜか妙に緊張しているのだろうか?
自分の事なのに自分の感情と行動が理解できずに躊躇っていると、ヘリオスも何かを察したようで、クスクスと鉄兵に笑いかけてきた。
「そんなに緊張しなくてもいいよ。アリスも退屈そうだし、少し砕けた話をしようか」
鉄兵を和ませるための言葉だろうが、話のダシにされてアリスが憮然とする。
「兄上、そんな事はありませんよ」
「はは、わかってるさ」
憮然としているとは言ったが、アリスは別に怒っているわけではない。どちらかというと拗ねているようで、周囲に他人がいる状況では絶対に見せないだろう表情は非常に可愛らしかった。
目の前のなんとも和やかなやりとりに、鉄兵は和むと同時にちょっとだけホームシックにかかった気分になった。
隣に座った時に話して以来、アリスはじっと鉄兵達の話に穏やかな表情で耳を傾けていた。アリスの立場を考えればそれは当然なのかもしれないが、しかしどうも必要以上に緊張している様子が感じられて、いつものアリスらしくないように感じていたのだ。
なので密かにヘリオスはアリスが緊張しないといけないよな人物なのかと密かに案じていたりもしたのだが、しかし今のやり取りで全てが腑に落ちた気がした。
つまり、アリスはアリスで父や兄の邪魔になってはいけないと緊張していたようである。敬愛する父や兄の足を引っ張るまいと常とは違うベクトルで澄ましていたようだ。
そんな二人の様子をヘリオスから見れば、妙に緊張している二人が並んでいたわけで、それはさぞかし滑稽ながらも、どうしようもなくやりにくい空間であっただろう。シリウス王は気にしなかったようだが、どうやらヘリオスには耐え切れなかったようで、妙な緊張感をほぐすためにアリスをダシにしたらしい。
真面目すぎる妹とその友人を気遣うヘリオスの行動に、鉄兵は和みもしたが、しかし同時にさびしくもなってしまった。
ヘリオスとアリスは心許せる家族なのだろう。
互いを思いやるような家族のじゃれあいに、鉄兵は少し家族が懐かしくなってしまった。
家族の事を思い出す。
鉄兵には姉が二人ほどいる……が、いや、やはり思い出すのは止めておこう。
ここで回想に入ろうかと思った鉄兵だったが、割と良くない事ばかり思い出されてその回想を中断した。いや、姉と言うのは確かに暖かいもので、自分もシスコンと言われれば否定できない程度に尊敬と愛情を持って接していたのだが、しかし同時に異性の兄弟姉妹というのは異性への幻想を打ち砕くに最適の人材でもあるのだ。
幻想無くして人は他人を自分の領域に招き入れられない。つまり、世の中には騙されている方が幸せな事が多々あるものである。良い姉ではあるし良い思い出も多いのだが、正直なところアリスの前ではちょっと思い出したくなかったので、鉄兵はホームシックを後回しにする事にした。こういう時、我が事ながら切り替えの容易な自分の思考回路に感心する。
「さて、難しい話は少し退屈だし、そっちは父上に任せてのんびり話そうか」
「はい。お手柔らかにお願いします」
ちらりと長椅子に寝転がり目を瞑っているシリウス王を見やると、ヘリオスはただ苦笑だけを返した。
「それにしても鉄兵君の国は色々なものが進んでるんだね。正直驚いたよ」
「いえいえ、うちの国には魔法が無かったですから。正直に言うと、この国に来てから僕は驚いてばかりです」
「そうか、鉄兵君の国は魔法もサクヤ様の加護も無いところだったとは聞いているよ。それと鉄兵君が学生だったと言う事もね。
君の国の学生はどんな生活をしてるのかな?」
問われた鉄兵は何を話すべきかと思ったが、結局素直に自分の生活していた環境について話す事にした。つまりは学生である自分の生活と、学校でどんな事をしていたかである。
親の家業を手伝い労働法違反でバイトをしていた事、野郎友達とつるんで馬鹿な発明ばかりしていた事、それが元になって教授に気に入られて学生ながら代理で教鞭を振るっていた事、研究が楽しくて果ては研究室に寝泊りし始め、今ではあまり家に帰ってない事、たまには友人連中で酒盛りをしたり、歌は歌わないものの、この国の酒場と同じように時には肩を組み馬鹿騒ぎをしていた事。
その中には腐った友人の被害にあっていた話などもあってアリスがうつむいて頬を赤く染める事もあったが、概ねヘリオスには鉄兵の話が好みだったようで、上品ながらも本当に楽しそうに鉄兵の言葉に耳を傾けていた。
「あっはっは! 楽しそうだね。僕もそんな生活がしてみたいな」
「あくまで自分の日常ですから、他の人とは少し違うのかもしれないですけどね」
「そう、君の常識だ。僕の常識とはぜんぜん違う。それが重要なんだろう。
父上が何を思って君を雇い入れたのかは聞いてないけど、今の話で分かった気がするよ。話を聞いた限りでは、君の国の文化は遊び心……そうだね、より豊かな精神的娯楽を楽しむ事に傾注しているようだね。それも、人を傷つけないような」
流石は次期国王なのだろう。会話自体は穏やかなものの、その着眼点は鋭いものであった。その言葉自体は鉄兵に得も言われぬ不安を微かに感じさせるものであり、本来口に出すのは褒められた事ではない。しかしそれは計算ずくの言葉であるようで、特に大した事ではないという風情で軽く口にするヘリオスの姿は逆に鉄兵を安心させるものであった。
「でも、そんなに進んでいるのに、君の国には植民地や奴隷制度なんてあるんだね」
「……へ?」
そんな事を内心密かに思っていた矢先に予想もしていなかった言葉を聞かされて、鉄兵は思わず絶句した。なにやら誤解があったようである。
「違うのかな? さっきの話を聞いてる限りでは
「それは昔の話です。いや、結構最近まではありましたが、僕が生まれた時にはもうありませんでした」
元の世界では法的拘束は無いものの、およそ70年くらい前に世界人権宣言という宣言がなされている。実質的なものは別として、鉄兵が知る限り奴隷と名の付く身分は表面上、存在しない。
と、反射的に言葉を返したと事で鉄兵は一つ気になる発言に気が付いた。ヘリオスは君の国『には』と言った。それはつまり、奴隷制度は存在した事があったが、今はそういった制度がないということなのだろうか?
山賊が問答無用で縛り首になるような世界である。あまり良い感情は無いが、別に奴隷制度があったところでおかしくはないと鉄兵は考えていたのだが、しかしヘリオスの言葉を考えるにこの国には奴隷制度が存在しないのだろうか?
「この国には奴隷制度はないんですか?」
「そうなのか」とどこか感心したように頷くヘリオスに鉄兵が逆に問う。
「あるけど無い。というのが正しいかな」
煮え切らないヘリオスの言葉に言葉に鉄兵は首を傾げる。
「つまり?」
「古い奴隷はまだいるけど、新しい奴隷を作る事は禁止されているんだよ」
古い奴隷がいると言う事は、昔は奴隷制度があり、新しい奴隷が禁じられていると言う事は今は奴隷制度が禁じられていると言う事だろうか? しかし奴隷制度が禁じられているのに奴隷がいるとはどういうことだろうか?
どうにも要領を得ない様子の鉄兵を察して、ヘリオスが居住まいを正して口を開く。
「この国は我がオズワルト王家が君主として統治しているが、全ての土地をオズワルド王家が管理しているわけじゃないんだ。我が国は建国の際に力を貸してくれた全ての豪族の領地を安堵することで成り立っている」
要はこの国は王様が居て領主が居るという封建制度を取っていると言う話であるらしいが、それが今の話とどう関わってくるのだろうか?
「建国に力を貸してくれた豪族はどちらかというと人間族以外の種族が多くてね。例えば精霊族のオスマンタスや巨人族のイスマイルは元々建国戦争の際に力を貸してくれた集落の長だった。
建国して今の地位に封じられた際に長の地位は後進に引き継いでいるけどね」
「え……そうなんですか!?」
良く分からぬ話の流れから思いもよらぬ話が出てきて、鉄兵は素直に驚く。仮にその様子にテロップをつけたなら『今明かされた衝撃の事実!!』といったところになるだろうか。
「イスマイルさんが長……似合ってるような似合ってないような」
失礼な話ではあるが、思わず本音が出た。そんな鉄兵の様子にヘリオスが苦笑する。
「今のイスマイルはサクヤ様一筋だからね。でも、今も昔もイスマイルは人を束ねるに十分な能力と人格を持っているのは確かな事だよ」
言われてみればそうである。と言う事は世が世ならリードも精霊族のお姫様だったって事だろうか?
「話が反れたが、そういう理由で建国時に法律を作る際にオズワルド王家以外からも広く意見を取り入れられてね。その中に一つ、人間族以外の種族から強く言われて作った法律が制度があってね。それが奴隷制度の廃止というわけさ」
そんな風に話をまとめられ、少しだけ考え込んだ鉄兵は『なるほど』と一応は納得した。が、良く分からない点がいくつかある。
「なんで人間族以外の種族が奴隷制度の廃止を求めたんですか?」
それまで奴隷制度が普通にあったなら、既得権益をそう簡単に否定するものではないだろう。それなのに、なぜ人間族以外の種族は強く制度に反対したのだろう?
その言葉に対する返事は簡潔なものだった。
「当時は人間族が強かった。と言えば理解してくれるかな」
「……なるほど」
それは今度こそ「なるほど」と納得するしかない言葉であった。
少し考えてみよう。同じ身分のものが奴隷になる可能性があるという事は、自分も何かの拍子に奴隷になる可能性があるという事である。普通に考えればそんな現実が目の前にあるのは精神衛生上よろしくないだろう。
ならば、奴隷として扱うならどんな人物になるかといえば、それは自分と同じ身分に無い者である。
そしてこの世界ではそれが異種族だったというわけなのだろう。人間族が強くて他を圧倒していたなら、搾取の対象として目を向けられるのはそういった異種族になるのは想像に難く、そんな制度が強く求められてもおかしくない。
個々の力は弱くとも、それがまとまれば大きな力になる。なんとなく想像できたが、シリウス王がこの国の統一に成功したのはそういった弱者を束ねる事に成功したのも大きな要因なのだろう。
「だから今ではこの国に奴隷制度は無いし、人間族以外の奴隷はいない」
そんな風に言葉を締めるヘリオスを前にして、何もかもが一件落着したような空気が流れたが、しかし鉄兵にはまだ納得できない部分が残っていた。
色々と思うところはあるが、まず第一に思うところは法律で決まっているからといって甘い蜜を吸っていた人物がそう易々とミツバチを開放するとは思えないと言う事だ。
そして鉄兵の常であるように、自分で考えて分からない事は疑問と言う形で口から自然とこぼれ出た。
「でも、こっそり法を侵す人はでるんじゃないですか?」
「まあ……ね。
……鉄兵君。人はなぜ犯罪を侵すと思う?」
質問に質問で返されて、鉄兵は一瞬、言いよどむ。今まで考えた事も無かった話ではあるが、少し考えてみたところ、その答えは意外なほどにあっさりと出た。
「利益があるから……ですか?」
別に犯罪に限った事ではないが、人が倫理に背く行為を行うのはリスクに対してリターンが大きい場合である。
「そう、利益があるから犯罪は成り立つ。なら、犯罪行為が割に合わないなら君は犯罪を侵すかな」
とヘリオスに問われたが、鉄兵は残念ながらといおうか、公権力にお世話にならずに人生を過ごしてきたためあまり自分が犯罪を侵すという状況が想像できなかった。
そんな一瞬の躊躇を見てあまりピンと来ていない事を悟ったのか、ヘリオスが具体的に例を出す。
「そうだね……例えば、人の物を盗んだ罪が盗んだその手を切り取られる。そんな法律があったなら鉄兵君は窃盗という行為をするかな?」
「……しません」
別にそんな罰が待っているからやらないわけではないが、それでももし腕を失う可能性があると考えたなら、よほど切羽詰っていない限りそんな行為に手を染める気にならないのは想像するに難しくないところだろう。
かつて元の世界にも「目には目を、歯には歯を」という言葉で知られる法律があった。確か異民族がごった返す土地で治安を維持するために作成された法典であるが、その本質は有無を言わさぬ平等な裁きであり、罪に対する容赦の無い罰である。
「なら、こうは考えられないかな。
人の尊厳を奪う賊行為が縛り首になるなら、同様に人の尊厳を侵す人の奴隷化という行為に死に値する罰が与えられてもおかしくはない」
「……かもしれませんね」
理論で言えば一つもおかしいところは無い。でもなにやらきな臭いものを感じた鉄兵は精神衛生的な意味で深く考えるのを辞めた。
「そんなわけで出来たのが奴隷廃止令。法律によって不当に人間族を奴隷にするか、もしくは人間族以外の種族を奴隷にしたものは地位と財産が没収されると決まっている。また、この時に抵抗するようだったら全ての種族は合法的に軍を起こして討伐していい事になっている。
それでも最近はともかく昔はそんな人もいて、結構な数の貴族が討伐された。
当事はこんな法律があるのに破る人がいたのも驚きだったけど、まあ今ではそんな事をする人もいないよ」
何気なく聞いてみたら予想以上にえげつない答えが返ってきた。
当たり前のように人権が保障されている平和な世界に暮らしてきた鉄兵には意識が希薄だったのだが、今の話を聞いて人権とは本当に勝ち取るものなのだと生々しく実感する。
ヘリオスは軽い感じで言っているが、今の話を聞いた限り、恐らく当初は大規模な反乱も起こったのじゃないだろうか。そして予測が正しいのなら、今のこの国は、そんな内部との戦いも乗り越えてきたのだろう。
でも、と鉄兵はそんな事を考えながら引っかかっている事があった。ヘリオスが最初に口にした言葉は「今ではこの国に奴隷制度は無いし、人間族以外の奴隷はいない」である。その言葉が本当なら、奴隷制度がなくなったというのになぜ人間族の奴隷はいるのであろうか。
「でも、人間族の奴隷はいるんですよね?」
「人間族には奴隷を禁止してくれという領主がいなかったからね。平等の意味で新しい奴隷は禁止されたけど、それまでの奴隷は解放の義務が無いからまだ存在してるんだよ」
率直に聞いてみると、その答えはなんとも情けないものであった。他の種族が一致団結して奴隷という存在を撤廃させようとしたのに、当の人間族にはそんな心意気のある者はいなかったようである。まあ既得権益が侵されるわけだから損失を最低限に抑えたいというのは分かるが、やはりちと情けない気がする。
だが、そう考えた後で冷静に考えてみると、ある意味これは丁度良い落とし所だったのだろうという気もした。
人にも依るが、一般的に支配欲というものが満たされるのは自分と同等かそれ以上の者を自分の意のままに出来る時である。言い方は悪いが犬や猫を隷属させても満足度は低い訳で、やはり他の種族より自分と同じ種族を隷属させた方が満足度が高いのだろう。中々に胸糞悪い話ではあるが、あえて人間族のみ奴隷の解放義務を与えない事である程度のガス抜きをしたように感じる。
「……君はこういう話をあまり好まないようだね」
「すいません……」
色々と考えてしまい、気分が悪くなったのが顔に出てたのだろう。気遣うようなヘリオスに鉄兵は謝罪の言葉を口にした。
「いや、僕としても好ましいよ。どうせなら楽しい話がしたいからね。でも、そうだね。話題を変えようか。
鉄兵君にはなにか話題はあるかい?」
気を使ってもらった鉄兵は有り難く申し出に乗り、代わりに話題を提出する事にした。
さて何を話そうと思い、今までの話の流れからいって自分の国とこの国の差についての話題が好ましいのだろうと考え付き、ふと思った言葉を口にする。
「そうですね……自分の国と比べて娯楽は少ないけど、この国はかなり豊かですよね。自分の国と比べても料理が美味しいし、スラムの子でさえ栄養状態がよさそうですしね……って?
ひょっとして、これは何か、魔法とか絡んでますか?」
ふと思いついた言葉だったが、自分の言葉に何か重大な事が含まれていた気がする。今までこの世界で過ごしてきた中で、あまり気にしなかった違和感が今となって急激にこみ上げてきた。
「そういえば鉄兵君の国にはサクヤ教が無かったんだったね」
そんな鉄兵に「あぁ、なるほど」と言わんばかりにヘリオスが頷く。鉄兵の知る限り、サクヤ教の神官とは治癒に特化した魔法が無制限に使えるというだけだったが、他にも何かあるのだろうか?
「どういうことです?」
「そうか、鉄兵君は知らないんだね。
サクヤ様は人だけじゃなく、大地の恵みも癒してくれるんだよ」
事も無げにヘリオスが言う。
「それはつまり……」
「サクヤ様の教えが広まってから八百年弱、この大陸には不作の年が無いんだよ」
衝撃的な言葉に鉄兵は言葉を失った。
八百年。その間不作の年が無いというのは元の世界ですら考えられない事であった。
生命を管理する以上、農業というのは想像以上に繊細なものである。日照りや大雨、病気などの大きな災害はもとより、いつぞや食べたリンゴを思い出してもこの世界には品種改良などという知識は無いはずである。ましてや肥料や農薬なども無いというのに現代の日本ですら容易に有り得る不作というものが八百年に渡って存在しないというのはある意味、農業科学を馬鹿にしているような事実である。何をしているか知らないが、これもやはり魔法の国と言わざるを得ないだろう。
「ようやく鉄兵君の国と比べて秀でたところを探す事が出来たかな」
今まで話してきた中でヘリオスは自分の国と鉄兵の国を比べて優れている部分がないと感じていたらしい。そう言ったヘリオスの顔は少し嬉しそうだった。
「そうですね。うちの国の農業は農薬や肥料や農耕機械や品種改良で生産を安定してるみたいですが、八百年も不作が無いなんて有り得ないです……」
「農薬? 肥料? 農耕機械? 品種改良?」
ヘリオスが聞き慣れぬ単語にクエスチョンマークを浮かべていたが、しかし冒頭のシリウス王の如く考えに没頭してしまった鉄兵は気が付かなかった。
「そうなると……そうか、そういうことなんですね。だからこの国の産業は偏っているんですね」
しばし自分の思考に没頭していた鉄兵は、ヘリオスの言葉から今まで感じていた違和感の正体を突き止めてそう呟いた。
この国は未だネジや歯車どころか蝶番もなく、戸が全て引き戸であるような世界である。
にも拘らず、デニム生地のジーパンがあったり香辛料がふんだんに使われてて食事がうまかったりと、自分が知る産業の発達順位に比べて差がありすぎたのだ。
「偏っている?」
「あ、いや、あくまで自分の国の大系と比べてです。うちの国は魔法が無いですからね」
現代の文明は魔法という道の技術体系無しに栄えてきた文明である。故にこの世界とは文明の進化の仕方が違うようだが、それは利となる技術の違いにより容易に異なるものである。この世界はサクヤという治癒に特化した個人の技術により進化したため、大系に違いが生じるのは当然であろう。
「でも、そうなるとサクヤ様の力が悪用されたら大変ですね」
「そうだね。ここだけの話、サクヤ様があのような人となりの人物で本当に良かったと思ってる」
……今の会話に、鉄兵はなにかとてつもない違和感を感じた気がする。というか、会話が成り立っていなかった気がするが。
「いえ、サクヤ様の名を騙って悪事を働く人が出たらたいへんだなぁといったのですが……」
「なにか齟齬があるようだね」
お互い違和感に気が付いたらしく、顔をあわせる。
「つまりどういうことだい?」
「いや、この国ではサクヤ様の影響が大きいようですから、サクヤ様の名を騙って政治に口を出す人が出たら大変だなと思いまして」
元の世界では政教は分離されているが、この世界ではどうかはしらない。元の世界ですら完全に分離されていないのだから、宗教という皮を被って世を動かそうという人は出そうなものという話だったのだが、しかしヘリオスには不思議そうな顔をされてしまった。
「力を持たない聖職者の言葉を誰が聞くと言うんだ?」
「というと?」
お互いクエスチョンマークを頭に浮かべ、にっちもさっちも行かない状況に陥る。
そこに口添えをしたのはアリスだった。
「鉄兵、サクヤ様はサクヤ様の考えに近いものにだけ力を分けてくださるのだ。だから、サクヤ様が力を分けてくださらない者の発言はサクヤ教の信者の間では重く取り入られない」
「そ、そっか……」
アリスの言葉を聞いて行き違いの原因を理解し、なるほどと鉄兵は理解した。
鉄兵は技術は使う人次第という固定概念を持っていたため故に壮大に勘違いしてしまったが、そもそもサクヤ教徒の神官の力は文字通りサクヤからの借り物の力であるのだ。
さてその後は意見のすり合わせに長くなったために少し会話を省くが、サクヤの名前を利用して詐欺をしようとする人物には文字通り天罰が下るらしく、騙るような者は存在しないらしい。ちなみにそれでも教義を誤解する人物が出そうな気もするが、そもそも神官は文字通り神の言葉を聞くものであり、思想が違ければ恩恵は与えられず、恩恵を受けた後に教義に反するようなら力を失うらしい。この世界ではそれが常識であり、故に鉄兵が危惧したような人物の台頭は有り得ないとのことである。
ある意味でサクヤは潔癖な神様のようであるが、現世利益という点では分かりやすく、だからこそ広く信じられてもいるのだろう。
さらに聞いてみたところでは、この世界にはサクヤ教の他に宗教が無いらしい。昔はあったらしいのだが、サクヤ教が出来てから廃れてしまったようである。鉄兵はどちらかといえば無宗教であるため実際のところはわからないが、元の世界の宗教は色々と奇跡的な挿話はあるものの、そこに科学の手が入り込んだことは無い。ところが、この世界はある意味サクヤ教は奇跡の大盤振る舞い状態で存在しているため、現世利益という目に見えて分かりやすい宗教による八百年に渡る統一効果のせいか、例えば来世での利益という目に見えぬ形での利益について話に上る以前に歯牙にもかけられず、その事実を不審にすら思わないようだ。
鉄兵はいうなればこの世界をファンタジー的な世界だと思っていた。その中でも宗教というのは大きな違いが出るものだとは予測していたが、しかし宗教の違いによりここまで大きな進化の違いが出るというのは実に興味深いところであった。
そんなことに感心しながらも、しかし鉄兵には思うことがあった。
「なら、なんで戦争なんてしてたんですか?」
「それは、どういう意味かな?」
突拍子も無い鉄兵の言葉にヘリオスが首を傾げる。仕草を見るに本当に理解していないようだ。
「いや、自分勝手な感想ですが、国が豊かで安定してるなら争う理由なんて無いんじゃないかなと思ったんです」
「あぁ、それはサクヤ様がそれを望んでいるからね」
「へ?」
「ん? なにかおかしな事を言ったかな」
そもそもサクヤは戦争を終わらせるために動き、果てには神となった人物であると認識している。
それなのに、目の前のヘリオスは戦争をするのが当然であり、ましてやそれはサクヤが望んだ事だと真顔で言っている。
その態度に、鉄兵は根が深そうなものを感じるとともに、何か嫌な予感を感じて言葉を詰まらせた。
次回は民主主義・学校制度、昔話・統一王の奮起理由、鉄兵の告白、シロとシリウス・ルナスの関係の四本立て予定。
ようやく一区切り付けれるわけですがさてそこまでたどり着けるやら?
近いうちに更新したいです(願望
2012/7/17:指摘いただいた誤字修正
サクヤ教は[軌跡]の大盤振る舞い状態で
→サクヤ教は[奇跡]の大盤振る舞い状態で
2012/7/21:ご指摘いただいた表現修正
豪族の土地を安寧を保障することで成り立っている
→豪族の領地を安堵することで成り立っている