魔法鉱物ミスラルさんの秘密
「ミスラルは生き物だ」
鉄兵がその言葉を口にした瞬間、鉄兵はなぜか強い違和感に襲われた。
急激に胃の中の物が逆流する感覚が湧き上がり、咄嗟に口を押さえ必死に我慢する。
不意に浮遊感に襲われ、吐き気を堪えるだけで精一杯だった鉄兵は為すすべも無く倒れ、地面に寝転がる。
数瞬の後、回復した鉄兵が何が起きたのかと思い慌てて周囲を見回すと、自分の身体を支えていたルナスが同じように地面に手を付き、頭を抱えて唸っているのが見えた。
「すまない。なぜか目の前が急に暗くなって……」
ルナスの口からついぞ聞いた事が無いような弱々しい声が漏れた。見れば、ルナスだけでなく、ホーリィやイズムもつらそうに地面に膝を突き、ルナスと同じように頭を抑えている。何があったのかわからないが、恐らくみんなも自分と同じような感覚に襲われたのだろう。
「大丈夫か?」
「大丈夫かの?」
呻くルナスに鉄兵は声をかけた。いやかけたは良いが、またも違和感を感じて鉄兵は状況すら一瞬忘れ、ん? と首をかしげた。今、確かに妙に近くから聞き慣れたような聞き慣れないような声が聞こえたのだ。
違和感から開放された鉄兵が声のした方を向く。すると、そこには見覚えの無い人物が心配そうにルナスの様子を窺っていた。
「……子供?」
その人物を見て、鉄兵は思わずその人物についてありのままの姿を口にした。そう、そこにいたのは言葉の通り子供であったのだ。具体的に言えば、黒目黒髪のぽっちゃりとした、妙に綺麗な顔をしたお子様である。
なぜか見覚えのある剣道着を身にまとった少年は、太ってはいるのだが顔のパーツは一つ一つが整っていてどことなく愛嬌があり、非常に保護欲を誘うお子様である。が、今問題にすべきはそこではないだろう。鉄兵が違和感に襲われてからここまではほんの十秒ぐらいの事である。ここはイズムの私有地であり、割と奥まった場所にあるので異変を知って駆けつけたとしてもこの僅かな時間で駆けつけたと考えるのはおかしい事である。
覚えている限り足音一つ無かったはずであるし、するとこの子供はいつの間に現れたのだろうか? というか、見覚えが無いとは言ったのだが、どこかで見た事がある気がする……
状況を忘れ、思わず鉄兵は胸に引っかかったこの少年の正体を思い出すためにまじまじと少年の姿を観察する。自分を襲った違和感よりも、恐らくは同じ経験をして倒れた周囲の仲間達よりも、鉄兵にはなぜかこの少年の正体を知る事のほうが重要に思えたのだ。
「あ!」
じろじろと見られてきょとんとするその少年の顔をまじまじと見て、鉄兵はその少年をどこで見たのかを思い出した。
それはもう10年程も前によく見ていた顔であった。主に鏡の前で。というか自分である。
「え、なんで?」
少年の姿の正体を思い出した鉄兵は思わず我を忘れて素っ頓狂な疑問の声を上げてしまった。なぜなら、少年のその姿は、10年前の自分の姿そのものだったからだ。
流石にこれは鉄兵にとっても意味不明な展開であった。よく見れば身に着けている剣道着も小学生当時に自分が着ていたところどころ修繕の跡がある見覚えのあるものであった。とっさになんとなく懐かしい気分になりはしたが、それは同時に酷く気持ちが悪い光景でもあった。なにせ自分は確かにここにいるのに、生々しい昔の自分がそこにいるのだ。
「うろたえるな。貴様の姿を借りているだけじゃ」
混乱に陥りそうになった鉄兵に、少年の言葉が深く刺さった。
驚いて見て見れば、少年は喜色満面の笑顔でこちらに向けている。
「ほう、これが愉快と言う感情か。ならば現し世の身体という奴は中々愉快といえるであろう」
中々に意味不明な言葉に鉄兵は少したじろいだが、しかし混乱して問題を放棄したいと願う自分とは別に、いつでも冷静な思考を辿る自分は冷徹に考えを巡らせ始めた。
とりあえず現状で分かる重要な事実は二つである。
それは目の前の少年が自分にとって恐らくは害が無いと思われる存在である事と、危険なほどに得体の知れない人物であるという事だ。信頼性が無いそのソースは心底楽しそうにころころと笑う目の前の少年の表情とその言動である。
鉄兵には敵意の有無など見破れる能力は無い故、だからこそそこは考えるだけ無駄である。その得体の知れなさに防衛本能が働きそうになるが、まずは落ち着こう。
冷静に考える。不意の違和感とその後に現れた少年。さらにはその少年は自分の昔と同じ姿をしていて意味深な発言をしている。総合的に考えて、これが全てリンクしていると言うのなら、考えられるところはあまり多くない。
問うべき言葉は色々ある。状況の不自然さを考えれば、恐らく自分がこの少年に対する反応を示す意味を持つ、次に放つ一言は非常に重要な意味を持っているだろう。
そう、ここは慎重に言葉を選ぶべき場面なのだ。
が、しかし、そんな重要なシーンだろうとは理解しつつも、なまじ相手が過去の自分の姿を持つために鉄兵は少年の行動のとある一箇所に強い違和感を感じ、そこに突っ込む事を止められなかった。
それはすなわち……
「……その口調はなんですか?」
それは、心底どうでも良いツッコミである。が、それと同時に鉄兵にとってはっきりしないと動けない一言でもあった。
気持ちが悪い事実ではあるが、言質が取れた以上、少年は幼年期の鉄兵の姿を模していると確信を持っていいだろう。だが、鉄兵は『じゃ』とかいう言葉尻で話す輩を映像や文章でしか聞いた事が無い。なので昔の自分の姿でそんな違和感しか感じない口調で話されてしまっては、追求するより他無かったのである。
「ふむ、この口調はおかしいのか? んーおかしいのう。おぬしらの間では爺様はこのような言葉遣いをするのではないのか?」
少年は鉄兵の言葉に心底不思議そうに首を傾げた。
「いや爺様って……」
少年の態度に鉄兵は思わず突っ込んだが、しかし少年の姿に感化された思考はここに来て急激に回転力を上げ、とある推測に行き着いた。
そしてその結果、恐らく自分の推測は正しいのだろうと少年の発言で鉄兵は確信ができてしまった。
鉄兵には祖父母がいない。正確に言えば知らないだけなのだが。生まれてから一度も会ったことが無いし、そんな話題を自分が振っても自然と二人いる姉がやんわりと話題を消沈させていたので鉄兵は祖父母の事について良く分からないのだ。鉄兵の考えとして、家庭内の雰囲気を察するにまだ存命だろうと当たりはつけているのだが、それはまた別の話なのでここでは脇に置こう。
つまりは、鉄兵が抱く老人像とはおおよそが漫画やゲームなどから受けたものなのだ。そしてその知識にある大半の人物がそんな口調を使っているのである。そんな鉄兵の浅い知識を今目の前の少年は口にしている。
「わしはこの世に生を受けてほんの数十秒じゃが、しかしこの現し世の生命体の内でわしは誰よりも昔から存在しておるからのう。やはり爺様として振舞った方がよかろうよ」
そして少年のこの台詞である。
その少年の言葉に、鉄兵はこの少年の正体を確信した。
率直に考えて、これだけの会話でその事実を確信するのは早計以前に思考が飛び過ぎだと思う。
しかし、その事実を確信してしまった鉄兵は、一先ずの結論に行き着いてしまった故に執着してしまい、まずは事実を確認してみるより他に考えが浮かばなかった。
周りを見れば、既にホーリィやイズムも体調を戻し、この解る様な解らない様な会話に耳を傾けている。
そんな中、鉄兵は少しだけ考えて、素直に自分の考えの確信を口にした。
「それは、僕の記憶から知った知識ですか?」
「さよう。わしは全知ではあるが未だこの世界の事柄はおぬしの知識以上の事を知らぬ」
「なぜその姿をしてるのですか?」
「わしが知るこの世界の知識においてはこの姿以上に言葉を知り警戒心を与えぬ存在は無かった故にな。わしの本来の姿は恐ろしすぎておぬしらの構成が離散してしまうようなのじゃ」
「……名前はミスラルさんでよろしいですか?」
「そうじゃな。それもまたわしの写し身の名前ゆえ、そう呼ばれるのも正しいじゃろう」
イズムの私有地であるこの地に深い沈黙が流れた。
それは無論、環境的にいう完全な沈黙という意味ではない。今気が付いてみれば、周囲はこの場所と同じようにしばし沈黙していたのだが、しかし今ではざわめきが喧騒とも言えるざわめきが戻っている。その喧騒は恐らく自分達と同じように奇妙な違和感に襲われて沈黙していた反動であろうが普段より大きなものであったが、しかし隔離された空間とも言えるこの領域においてはそれは酷く遠い別の世界の出来事に思えた。
黙って話を聞いていた三人が身を固くする気配が察して取れた。この世界に来て常識が崩れてしまった鉄兵とは違い、ここまで目新しい事に触れる機会など少ない三人には衝撃が大きすぎたのかもしれないが、しかし鉄兵はつい先程件のミスラルの樹木に解析魔法をかけ、そのあまりにも異なる精神構造にふれたばかりであり、彼らには咄嗟に受け入れられないらしいその事実もすんなりと受け入れられてしまった。
ふと冷静に考えると、鉄兵は自分は気が触れた人間なのではないかとも思えた。
金属が加工する人を選び、その金属は樹木と同様に成長し、さらには生命体であり、果てには自分の姿を写しとり、自我を持つ個体として自分の前に現れた。
それは元の世界の常識から考えれば一笑に付される事実であるが、しかし鉄兵は違う世界の住人であるがゆえに前提からしてこの世の全てが非常識だった故に今までも様々な非常識を異世界だからという理由で深く考えず受け入れていた。
だからこそ今なら分かる。この世界の人にとって、ミスラルはあくまで樹木的性質を持つ金属でしかなかったのだ。それは、やや常識が崩されてしまっていた鉄兵にとっては衝撃が薄かったが、しかし軽く考えてこの世界の人達にとっては自分の世界で言うところの宇宙人が目の前に現れた程度の衝撃はあるのだろう。
それ故に、この非常識な世界の非常識をすんなりと受け入れてしまった自分はこの世界の基準に照らし合わせれば異常者と言えるだろう。
その事実は今更ながらに鉄兵に非常に肌寒い感覚を感じさせるに十分なギャップを与えたが、しかしその一方で一つの常識から解き放たれたとも言えた。
なぜか呼吸が苦しくなるようなものを感じながらも少しだけ自由になれた気がした鉄兵は、心の奥底で密かに沸き立っていた好奇心が楔を解き放ち、敢えて気にせず鉄兵は目の前の未知の生命体との対話を推し進める事にした。
「それで、具体的に、あなたは何者なのですか?」
こちらが聞き、本人が認めた以上、彼はミスラルなのだろう。それ以上でもそれ以下でもないというのに改めて問うたその問いは、例えばいきなり樹木に「あなたはどんな生き物ですか?」と問いかけられ「俺は人間です」と答えたら「具体的には?」と聞き返されたようなものだろう。が、しかし、半ば事実の確認をするためだけに言葉にした問いには、予想に反して具体的な返答があった。
「ふむ。その問いに関してはおぬしの知識の中に良い言葉があるぞ」
鉄兵の言葉にミスラル(仮称)はにこやかに笑みを浮かべつつ、人差し指を振り振り自慢気に答える。
「わしはおぬし等で言うところの……」
言うところの?
「土の上位精霊と言う奴じゃな」
2012/7/17:指摘いただいた表現修正
すでにホーリィやイズムも体調を戻し、このわかるようなわからないような会話
→既にホーリィやイズムも体調を戻し、この解る様な解らない様な会話