対立
騙された。というのが嘘偽りの無い現在の鉄兵の心情であった。
さて現状を整理しよう。鉄兵は現在文字通り宙を舞っている。空は青々と晴れていて気持ちが良く、液体のような風と落下感は案外心地が良くて癖になってしまいそうなものである。鉄兵が飛び降りたバルコニーは王城の三階にあり、地上からはおよそ20mほどの高さである。現代建築の建物から言えばまあだいたい7階くらいのものだと言えば分かりやすいだろうか。
そんな場所からいきなり人間が飛び降りれば、そりゃまあ誰もが吃驚するものだろう。事実、鉄兵の後ろのバルコニーからはまだ残っていた侍女達からの「キャー!」という悲鳴が上がっているし、下の中庭からはからも侍女達の悲鳴で気がついたらしい騎士達が「ウォー!」という叫ぶむさ苦しい悲鳴が上がっている。現状を考えるにこれは中々に混沌としていると言えるだろう。
なんでこんな状況になっているのかと言えば、それはシロは「マーティン達が近衛の連中と戦ってる」と言ったからである。そして、確かにその言葉に嘘は無かった。
それを聞いた鉄兵はその戦いを止める為に慌ててバルコニーから飛び降りた。そしてこれは想定外の事だったが、鉄兵がバルコニーから飛び降りた様は予想以上にインパクトがあったために、それだけで争いを止めるという目的は達成されてしまった。
これだけを聞けば一見何の問題も無い様に聞こえるかもしれない。
だが、問題は確かに存在していた。
その問題とは、遠まわしにいうなれば、嘘が無ければ真実というわけではなく、時には争いに備えるために争う事も必要だといったところだろうか。
冒頭で鉄兵が騙されたと言ったのはそのせいであり、まあ言ってしまえばマーティン達は確かに近衛騎士達と中庭で戦いを繰り広げていたのだが、それは血が流れるようなものではなく、ただの訓練だったというオチだったのだ。
ここでこれまでの事実を整理しよう。
ようするに鉄兵はマーティン達が訓練しているのを争いと勘違いし、慌ててバルコニーから飛び降りた結果、無駄に派手なパフォーマンスをしてしまい完全に周囲の度肝を抜いてしまい、訓練を妨害してしまっている状態にある。今更どうしようもないが、これは中々に恥ずかしい状況と言えるだろう。
なんとか取り繕おうと言い訳を考えるが、高々20mくらいの高さでは着地までに二三秒の時間しかない。結局、ろくな言い訳を考える間も無く、鉄兵はすぐさまズシーンと軽く地響きを上げて中庭の地面に着地してしまった。
「えーと……」
50対くらいの視線が鉄兵に集まる。いつぞやもこんな状況があってその時は恐怖心を覚えた気がするが、今回は羞恥心が先に上がり、頭が真っ白になる。
「すいません。なんでもありません。続けてください……」
結局のところ鉄兵は、顔を赤らめつつ俯き、やっとの事でそれだけ呟いた。
鉄兵としては精一杯の対応であったが、残念ながら騎士たちのフリーズ状態を解凍するには不十分な台詞だったようである。
特にマーティン達の真剣な表情が目に痛い。
「聞こえたか! 貴様ら手を休めるな。試合を再開しろ!」
どうしたものかと慌てる鉄兵を救ったのはそんな声であった。その声で我に返った騎士達がそれぞれお互いの相手と相対し、訓練に戻っていく。
「随分と派手な登場だったな」
「アリス……助かったよ」
騎士を怒鳴りつけたのと同じ声。だが、騎士に怒鳴りつけた時とは違い、親愛の情に溢れたその声の主であるアリスに話しかけられて、鉄兵はようやく人心地ついたようにほっと胸を撫で下ろした。なぜアリスがこんなところにいるのかとも思ったが、状況から察するにマーティン達と近衛騎士達の訓練の監督をしていた以外は考えられないだろう。
「ごめん。迷惑かけた?」
「それはいいが……一体どうしたのだ?」
迷惑云々に関してはさらりと横に置き、アリスは不思議そうに鉄兵に話しかけた。その表情を見る限り、本当に理解できてないようである。まあそこそこ長い付き合いになってきたので鉄兵が三階から飛び降りようと傷一つ負わない事は理解しているようだが、普段の鉄兵の行動を鑑みるに、普段ならそんな行動をするわけがないというところから出ている疑問のようである。そりゃまあ
「いやまあ……シロに騙されてね。マーティン達が近衛騎士達と争ってるって言うから、慌てて飛び降りたらこのざまなわけ」
「シロに? 珍しい事もあるものだな……っと噂をすれば」
アリスが空を見上げる。釣られて見てみれば、そこには鉄兵と同じようにバルコニーから飛び降りるシロの姿があった。
二度目であるためか、はたまたアリスに怒られたためか、今回は騎士達も注意を逸らしたりはしない。バルコニーから飛び降りたシロは着地の瞬間に傘を広げ、ふわりと着地に成功した。随分と丈夫な傘だなと思ったが、そういえばシロはあれを武器にしていた事もある。恐らくは基本設計からして頑丈に作られているのだろう。
それはともかくちょうど良いタイミングである。騙された鬱憤を晴らすべく、鉄兵はやや八つ当たり気味にシロに詰め寄った。
「シロ、騙したな!」
「騙す? 何の事だ」
鉄兵に言い寄られたシロの表情は、意外なほどにきょとんとしたものであった。これではまるで無実の罪にはめているような気になる。
「とぼけるなよ! さっきマーティン達が戦ってる……って、ん?」
とここで鉄兵は気がついた。確かにシロはマーティン達が戦っていると言っていたが、その様子は落ち着いたものだった。シロは竜人族で人間族の争いにはあまり関与しないという認識があったから落ち着いてるものだと早合点したが、ひょっとしたらシロは最初から事実をありのままに話していただけだったのではないだろうか?
……つまり、これはニュアンスの問題だったような気がしてきたシロの態度を見る限り、鉄兵をからかっている様子も無いし、多分それが本当のところなのだろう。どうやら所謂一人相撲というものをしていたようで、そう思い立った途端にかーっと血が上る感覚を受けた。
「いや、なんでもないです。勘違いだったみたい……」
下手をすればカタカナ表記になってしまいそうなほどに虚ろに鉄兵は独白した。その様子にアリスは微笑み、シロは変な顔をしたが、鉄兵としてはただただ視線を逸らす事しか出来なかった。
「良く分からんが、あいつらはお前さんの部下じゃないのか? 部下の実力ぐらい客観的に確かめておいた方が良いと思ったんだが」
どうやらこれが先ほどのシロの言葉の本来の意味のようである。勘違いの恥ずかしさに逃げ出したいところだったが、シロの言った言葉の内容には興味があった。
「それは……そうだな」
正直なところ、鉄兵はマーティン達の戦闘技術に特に期待していない。無論それが非常に高い事は身を持って知っているのだが、鉄兵がやろうとしている事には関係が無い事なので特に気にしては無いという事である。
ただ、それは別として、鉄兵も剣道少年で育った青年である。単純にマーティン達の技量については興味津々である。
「で、アリス。これ今はなにやってるの?」
もはや先ほどの醜態を忘れたように鉄兵は目の前に繰り広げられる訓練の様子に集中し始めた。
「今はちょうど勝ち抜き式の試合をしているところだ。私も彼らの実力を知っておきたかったのでな」
「それは……面白いな」
そこからはもう、鉄兵は周りの雑音を完全にシャットアウトしてしまった。これはある意味弱点なのかもしれないが、鉄兵は一度本格的に物事に集中してしまうと周りが見えなくなってしまうのだ。やがてホーリィとリード。それにリルも正規のルートでやってきて合流したのだが、それはそれにさえ気がつかないほどの集中ぶりである。
騎士達の試合は面白いものであった。今回の試合での騎士達の戦い方は日本の剣道とは違い面白い技術を使っていた。恐らく分厚い甲冑を敵味方ともに着ているためであろうが、遠心力を利用したもの、また局所を狙った鋭い物が目立つ。装備が違えば戦い方も違うという事であろう。
それにしても、訓練にも関わらず騎士達は全身鎧のフル装備を身に着けているわけだが、確か板金の全身鎧は30~50kgほどあるはずである。そんなものを着てよくもあれだけ動けるものだなと思ったが、よく見れば鎧のそこここには同じ模様の魔術刻印が刻まれているようだった。視力を強化して読んでみると、どうやら『支える』とかそんな意味のようである。これもやはり意味合いがちょっと違う気がするが、恐らくはあの魔術刻印により軽量化されているのだろう。
鉄兵騎士団ともいうべきマーティン達と近衛騎士団の練習試合は、途中経過は省くが凡そにおいて鉄兵騎士団が優勢であった。ベスト16に残ったうち近衛兵が残ったのは二人のみであり、ベスト8になれば一人を残して全てが鉄兵騎士団のものであった。だが、さすがは近衛兵といったところであろう。隊長と思しきその人物は危うげなくそのまま勝ち進み、決勝まで残った。
対する鉄兵騎士団の代表はといえば、マーティンかと思いきや、ちょっと意外な事にヨハネであった。ヨハネは例の決闘で一番初めに鉄兵と相対した相手であり、いつぞや鉄兵の底を探るような視線を送っていた男である。いつも鋭い観察眼をしていたし、まとめ役はマーティンであるものの、実は実力ならばヨハネなのかもしれない。
ヨハネと近衛騎士隊長が向き合い決勝が始まる。奇を衒う事も無い正面からのぶつかり合い。正々堂々とした、あくまでも騎士としての尋常な立会いは、見ているこちらも清々しく、その迫力には思わず圧倒されてしまった。
そういう技術面についても素晴らしいものだったが、鉄兵にとって何より印象的だったのは、近衛騎士隊長に立ち向かうヨハネの楽しそうな姿であった。
考えてみればヨハネを含め、鉄兵の騎士団は元々騎士だったのだ。ある意味これは復権したようなもので、正式な騎士としてこうして競い合えるのは彼らにとってずっと願っていた夢だったのかもしれない。残念ながら復興という形での夢の具現化ではなかったが、それでも現状を楽しんでくれているのならば、鉄兵としてはがむしゃらに頑張った甲斐もあり、ちょっとじんと来てしまった。
決勝は闘志と闘志が正面からぶつかり合う良い試合であった。だが、どんな試合であろうと終わりのときは来る。その理通りにこの試合にも終わりの時は来て、やがて近衛騎士隊長の痛烈な一撃がヨハネを捕らえ、決着がついた。
その素晴らしい試合に感動し、鉄兵は我知らず拍手をしていた。その拍手に皆は少し戸惑っていたようだが、鉄兵の気持ちが通じだのか、やがて誰からとも無く拍手があがり、場は満場の拍手に包まれた。
その拍手に応えるように近衛騎士団長がヨハネに手を差し出す。地面に転がっていたヨハネも近衛騎士団長の手に応え、その手を借りてゆっくりと身体を起こした。身体を起こしたヨハネと近衛騎士団長は、互いの健闘を称する様に腕を組む。これは、鉄兵の騎士団が近衛騎士達に迎え入れられたとも言えるべき場面だろう。そう思うとちょっと感動的なシーンにも思え、鉄兵は温かい目でそれを見守った。
感動的ともいえるシーンが終ると、不意にマーティンが目で騎士団を制した。即座に鉄兵の騎士団がアイコンタクトに応じて動き出す。全身フル装備だというのに一糸乱れぬ動きを見せた鉄兵の騎士団は鉄兵の前に隊列を組み、片膝を落として跪いた。今まではアリスの指示に従っていたが、あくまで主は鉄兵という事なのだろう。鉄兵としてはむず痒いところだが、それを許容するのも責任者としての勤めである。
とはいえ、偉そうにするのは鉄兵の趣味ではない。なのでそこは彼らに無理をしてもらう事にする。
「礼は不要でお願いします。礼儀の重要性は理解していますが、僕はこの国の礼儀に慣れておりません。なので公式の場を除いてはあくまで普通に接してください」
「……了解いたしました」
不本意そうではあったものの、マーティンは素直に頷いた。その口元に微かに苦笑とも思えるような笑みが浮かんでいるところを見ると、マーティンも少しは鉄兵の性格に慣れたといったところであろうか。
「姫様、テツ様とお話をさせていただいく機会を与えてはいただけないでしょうか?」
そんなやり取りをしていた鉄兵の耳に、そんな言葉が聞こえてきた。見れば鉄兵の横では先ほど決勝で勝った近衛騎士団長がアリスに向けて片膝をついていた。
「それは私が許可する事ではない。話したいのなら直接話すがよい」
「感謝いたします」
立ち上がり、近衛騎士団長が握り締めた拳を開いた左手の掌に当てて感謝の意を示す。
近衛騎士団長はゴリラともいえるほどのマッチョだが、兜を脱いだ容姿はといえば美形とまではいかないまでも中々整っていた。金髪碧眼の短髪で、大きな鼻と口。それに愛嬌がありながらも鋭さを失っていない目元は武人としては素晴らしい貫禄を見せている。
「私はトラヴィス・アズマイヤーと申します。仕えるべき主は王家のみである故に、礼を失する態度をお許し下さい」
敬礼も無く、トラヴィスが堂々と自然体で鉄兵に話しかける。礼が必要ないというのは鉄兵にとって好都合である。
「了解いたしました。私に対して礼は不要です」
ややほっとしながらトラヴィスに返事をすると、そんな鉄兵の思考が顔に出ていたのか、トラヴィスはあからさまに緊張を解いたようだった。
「謁見の席での言葉、感動いたしました。あなたのような誉れ高い人物と出会えた事を天に感謝いたします」
「いえ、それほどの事でもありません」
「ところで、話を聞くにテツ様はヨハネ殿より腕が立つと聞き及んでおりますが、どうでしょう。是非一手ご指南いただけませんか?」
要するに立会って欲しいといわれてしまったわけだが、さてそう言われてしまえば困ったところである。恐らくとも言えず、何でもありで立ち会えば鉄兵は間違いなくトラヴィスに勝利できるだろう。だが、魔法抜きで戦えば、相手はヨハネに正面から挑んで勝った相手である。正直勝てる気がしない。
少し考えたが、面倒事はごめんである。なのでここは適当に受け流す事にした。
「残念ながら、ここは遠慮しておきましょう。私は確かにヨハネに勝ちましたが、それは持久戦の末での事です。技術で言うならば私はヨハネよりも何段も格下でしょう。恐らく立会ったとしても得るものはなにもないと思います」
「はは、ご謙遜を」
「いや、本当の事ですよ」
「……そうなのですか」
鉄兵の言葉が本当の事だと悟ったようで、トラヴィスは少し気落ちしたようだった。がっかりさせてしまって悪いが、まあ本当のことなのでここは勘弁してもらおう。
「おい、テツよ」
「ん?」
不意にシロに呼ばれて振り返る。すると、シロはなにやら放り投げてきた。
何かと思い掴んでみると、それは稽古用に刃引きされた練習刀のようである。
何でこんなものを投げて寄こしたのか訝しんだその瞬間、鉄兵の身体は得も言えぬ不吉な予感に総毛立ち、我知らず全身と掴んだ剣を強化し、強化した剣を横に構えて防御した。
その瞬間、単独の人類が起こす音としてはおかしいようなガキーンという激しい金属音が鳴り響き、練習刀が何かを防いだ。
鉄兵の練習刀が防いだものは、もはや見慣れたシロの鉄傘であった。つまり、今の一撃を放ったのはシロである。
手加減したシロの一撃ですら、人間一人をぼろ雑巾にできる威力を秘めている。そんな威力を持つシロの一撃でさえ強化された鉄兵の肉体には通じないために測りにくいが、それでも鉄兵はこれがシロの手加減無しの一撃なのであろう事を本能的に理解した。
一体何が起きているのか、あまりに突飛な出来事に思考する事を拒否した鉄兵の頭脳では分からなかった。青天の霹靂という言葉が使われるべきは、まさに今この瞬間である。
状況を把握できない鉄兵は、ただただ交わった武器の先にある、血走ったシロの瞳に自分の瞳を見つめ合わせる事しか出来なかった。
2011/11/16:指摘いただいた日本語修正
かーっと頭に血が上った
→かーっと血が上る感覚を受けた
2011/11/16:指摘いただいた誤字修正
下手をすれば[カタカタ]表記に
→下手をすればカタカナ表記に