表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/48

英雄の証明

 秘密の会合が始まってからおよそ一時間ほど後の事。


 これから始まる芝居の稽古を終えた鉄兵は、謁見の間にてじっと出番を待っていた。


 片膝を立てた姿勢で出番を待つ鉄兵の横には、リルがちょこんと座っている。リルの首には真新しい黒い首輪が巻かれているのだが、どうにもそれが気になるらしく、リルは先ほどからしきりに首をかきむしるような仕草をしている。


『あるじ、これかゆい』


「ごめんねリル。でも、それは一緒にいるために必要な物なんだ」


 クーンと弱りがちなリルの鳴き声に、鉄兵は周囲を気にして声を低くして侘びた。首を掻いてあげたい所であったが、残念ながら周囲に視線があるために下手に動く事は出来なかった。


 鉄兵の左右には20人を越える近衛兵と思しき兵が横一列に立っており、その兵の後ろには思い思いに集まってグループを作る国の重臣達の姿があった。今回の謁見は略式のために重臣達には出席義務が無いのだが、謁見を見学に来た重臣は少なくない。噂の新英雄の品定めといったところなのだろう、こちらを見てひそひそとしきりに話している。


 話題の中心は間違いなく鉄兵の事についてだろう。意識を集中すれば何を話しているか聞き取れるだろうが、鉄兵はあえてその集中力を逆に使用して勤めてそれを雑音としてそれを処理する事にした。あちらとしては得体の知れぬ新参者に興味津々なのかも知れないが、こちらは緊張でガチガチなのである。下手な事を聞いて集中は乱したくないのだ。


 やがて鐘が鳴らされ、一同が静まった。いよいよ猿芝居の始まりである。


 鐘とともに鉄兵は顔を俯かせた。コツコツという足音だけが謁見の間に響き渡り、やがて歩を止めた。俯いている鉄兵には見えないが、恐らくは10mほど先にある階段の上の謁見用王座の前までたどり着いたのだろう。


「面をあげよ」


「はっ」


 シリウス王の言葉に鉄兵は顔を上げた。シリウス王の右にはイスマイルが。左にはオスマンタスが控えている。


 先程まで一緒に芝居の稽古をしていた相手がこうやって真面目な顔で高い位置にいるのを見ると、意味も無く滑稽なように思えて少しだけ表情筋が緩みそうになってしまう。が、オスマンタスに目で射抜かれてしまって慌てて真面目な顔を作る。


「魔獣及び山賊討伐の件、大儀であった」


「はっ」


「そなたの横にいるのが我が娘がフェンリルと名づけたその魔獣であるか?」


「はっ。名はリルと申します」


 謁見の間に一瞬ざわめきが響いた。噂話を聞いていたであろう重臣達は、鉄兵の横にいるリルが噂の魔獣だと検討はついていたはずである。だが、こうして改めて肯定されるとわかってはいても驚きは隠し切れなかったようだ。


「して、そなたはそれを手懐け、飼育したいと申しておるようだな」


「はっ、仰せの通りです」


「しかしそのような魔獣、いかに手懐けてあろうとも、人の世で飼うには危険ではないのか」


「それについてはすでに対策を打っております。こちらの首輪をご覧くださいませ」


 リルを手元に呼び寄せ、周囲に良く見えるように首輪を示す。


「この首輪は私が自作いたした物です。魔力を練って製作したゆえ魔獣といえども破壊する事適わず、魔獣としての力を現そうとすればたちまちに首が絞まり、自らの力によって倒れる事となりましょう」


 今度はおおっ、という賞賛にも似た歓声が謁見の間に響いた。危険がないという確認が取れた事による安心感。首輪にかけられた魔法具の力に対する関心。さらには強大な魔獣を子狼の姿に封じ込めるという痛快さがその喜色の混じった歓声をあげさせたといったところであろうか。


 その歓声を聞いて、鉄兵はちょっとだけ申し訳なく思ってしまった。名目として、この首輪はそういうものだという事にしているが、実際のところはただのゴム製の首輪なのである。わざと脆く作ってあるので、リルが巨大化しようとすれば大した苦痛も無くぶちんと千切れて終わりだろう。


 この小細工の発案者はオスマンタスである。いくらリルが鉄兵に慣れていて自分勝手に巨大化しないとはいっても、魔獣は魔獣である。危険性が無いといくら説明したとしても、万が一があると思えば無意識が働き危機感は消えないだろう。そんな状況では行動に制約をつけざるを得ないので、ならば嘘でも良いから力は封じてあるという事にしてしまえば周囲も無闇に怯えないだろうというわけである。


「ふむ。いかに凶悪な魔獣といえど、首輪を付けられてしまえばただの犬と変わらんか。よかろう。飼育を許可いたす」


「ありがとうございます」


 これにて鉄兵が王城まで来た最初の目的は達成である。だが、まだまだ問題は片付いていない。


「では次の話に移る。反乱分子の首領を捕らえた功績は大きい。褒美をやろう。望むものはあるか?」


「陛下、それにつきましては先に伺っております」


 横からイスマイルが一歩前に出て恭しくシリウス王に頭を下げた。


「ほう。して?」


「はっ、まずはこちらに目をお通しください」


 イスマイルは懐から取り出した書類をシリウス王に手渡した。受け取ったシリウス王がじっと中身を検分する。


「嘆願書のようであるな」


「はい、テツ殿の望みは捕らえた反乱分子どもの減刑でございます」


 再び謁見の間にざわめきが起こる。今度のざわめきはどちらかというと戸惑いのものが多いようである。


「ほう、それは異な事を申す。説明せよ」


「はっ。テツ殿は心優しいお方ゆえ、反乱分子といえども一人の人間であり、無闇に命を奪うは本意とせぬようでございます。

 確かに反乱分子どもは山賊行為を働こうとしましたが、我らの手によりそれは未遂に終わり、捕縛した後に自らの手で後始末も付けさせております。なれば後は戦犯行為の賠償のみが残るというものであり、その賠償を自ら負おうとも、命ばかりは取らずにおきたいとのことです」


 重臣達の間からは失笑の声と感嘆の溜め息とが漏れていた。割合としてはおよそ半々である。これについてはやはり賛否両論らしく、見事に意見が分かれているようである。


「ふむ。なんとも甘い事だ。

 だが、英雄というものはそういうものかもしれんな。

 よかろう。首領がこちらの手の中にあれば反乱分子どもも下手には動けまい。

 嘆願を受理し、山賊どもは禁固10年の罪に処す。

 だが、それだけでは褒美としては小さいな」


 シリウス王の鷹の目のような鋭い視線が鉄兵を射抜く。


「聞くに、そなたはこの国に仕官する意思があるというな」


「はっ、私は異大陸からこの地に参りました。異大陸にはこの地には無い技術があり、その知識を私は習得しております。

 その知識をもってこの国に貢献できますればと考えております」


 鉄兵がそつなく答える。さて、ここからが盛り上がりどころである。


「ならばこうしよう。そなたには男爵の爵位を与える。ノワールの家名を名乗るがよい。

 魔獣から救ったのも何かの縁だろう。その地位を持って商業都市カティスの領主となるがよい」


 ざわっ! と今日一番のざわめきが謁見の間に響いた。


 それはそうだろう。新興国ゆえ、功績をあげたものが爵位を得るのは珍しくともない事ではない。そちらはいいのだが、問題は与えられた領土である。


 カティスは南方との流通の要であり、国防における要所でもある。重要性は非常に高く、直轄領ではないものの、治めているのはシリウス王の姉、つまり王にとって一番信用が置ける者が治めている土地である。いくら国防を左右する存在とはいえ、たかだか魔獣と山賊を退治した功績として与えるには過分すぎる土地なのだ。


 とはいえ、同時にその発言はここに集まった重臣達にとって一つぴんとくる話でもあった。


 鉄兵の英雄譚が広まり始めた頃より、王都にまことしやかに囁かれている噂がある。王の言葉は、その噂を肯定するに足る発言でもあったのだ。


 その噂とはつまり、新たな英雄とアリス姫が恋仲にあるという噂である。


 片っ端から縁談を切って捨てるアリス姫はシリウス王にとって悩みの種である。自分より劣った者の元に嫁ぐ気は無いと散々公言しているアリスに王はなんとか貰い手をつけようと苦心しているわけだが、国内に該当者は無く、王ならずとも国民の誰もが、半ばアリスが嫁ぎ遅れるのは覚悟していた事なのである。


 そこに、アリス姫が民草から英雄と呼ばれているような男を連れて国に帰ってきた。


 期待とともにそんな噂が流れるのも至極もっともな話だろう。


 そこをもって先程の王の発言である。アリス姫が自ら認めた男というのならば、王とて乗り気なのだろうという事は予想がつく。


 とはいえ、王族を娶るためには体面としてそれなりの地位が必要だ。


 そんな状況を知った上で過分なまでの褒美を与えるという発言を鑑みれば、つまり男爵位とカティスはいわば体面を整えるための持参金代わりなのではないかという考えは誰もが思いつく話であった。


 しかし、だとしてもカティスを与えるというのはやりすぎである。アリス姫の婿候補として王の期待が大きい事はわかったが、それにしても直轄領でもない国の要を与えるのは理解の出来ない話であった。


 それよりも他に適当な場所はいくらでもある。なのに王がなぜあえてカティスの名を出したのかが分からず、謁見の間のざわめきは増すばかりであった。


 余談だが、台本はオスマンタスが作成したものである。なのでシリウス王達三人にとっては重臣達の反応は計算済みのものであったが、無論それは噂を知らぬ鉄兵の理解の外の話である。つまり、王と重役二人によって鉄兵は軽く罠にはめられているわけだが、まあそれはここでは置いておこう。


 オスマンタスが片手を挙げ、周囲のざわめきを治める。


「陛下」


 ざわめきが収まったのを見計らって、オスマンタスは険しい顔でシリウス王に呼びかけた。ここからが本格的な猿芝居の始まりである。


「何事か、オスマンタス」


「恐れながら陛下。たかが山賊を討伐した褒美としては、それは些か過分なものと思われますが」


「過分と申すか」


 謁見の間にはオスマンタスに対する同意が色濃く現れている。王といえども無視の出来ない雰囲気である。


「余はすでにこの者の技術の一部を目の当たりにしておる」


 仰ぐように重臣達を見遣ったシリウス王は、高らかに言葉を述べた。


「この者の知識と技術は目を見張るものがある。

 それこそ音に聞く技術大国アルケンバインを遥かに凌ぐものと思われる。

 この者がこの国に繁栄をもたらす事、疑いは無い。

 その技術を存分に振るわすとするなれば、資材の調達は重大事であろう。

 ならばその功績を先渡しとし、流通の盛んなカティスを与えるが好都合というものではないか」


 謁見の間はさらにざわめきを増した。一応の説明はつく話であるが、残念ながら鉄兵に関する噂はほぼ武勇に関するものであり、鉄兵の技術とやらを重臣達はまだ目にしていない。ゆえに俄には納得が出来ず、ざわめきはいや増すばかりである。


「しかしながら陛下。いきなり財源の要であるカティスを譲渡されてしまっては、姉君のアイダ様も納得しかねるものと思われますが」


「なに、姉ならばこそ弟の頼みの一つも快く聞いてくれようぞ。ここは一つ、姉には弟とこの国のために泣いてもらう事とする」


「しかし陛下、それはあまりもに……!」


 二の句を告げれなったオスマンタスが絶句する。なんとも迫真の演技であるが、感心ばかりもしてられない。


 謁見の間は良い感じにざわめいている。さて、ここからが鉄兵の出番である。


 ちらっちらっと瞬き多くシリウス王を見つめ、用意は整っていると合図を送る。


「ふむ。なにやらテツ殿には言いたいことがあるようだな」


 鉄兵の合図を受け取ったシリウス王が鉄兵に話を振る。自然、ざわめきが止み注目が鉄兵に集まる。


「はっ。恐れながら陛下、もしよろしければ地位や領土ではなく、他のものを頂戴したいと思っております」


 周囲がどよめく。地位も名誉も、これ以上望むべくもない代物である。それを断ってまで、何を欲するというのだろうか。


「ほう、何を望むのだ?」


「はっ、これより国のために職務にあたるにつき、私は大規模な事業を起こそうと思っております。ですが単身で大きな事を成すは適わず、私の手足のように働く部下を頂戴したくあります」


「ふむ。地位や領土ではなく人手をよこせと申すか。しかしそれならば他に用意しよう。褒美を断るには及ばぬ事だ」


 確かに王の言うとおりである。そうでなくても人手など譲渡されたカティスで雇えばいい話である。いったい何を言っているのだという空気が謁見の間には広がっている。


 周囲の人々が疑問に思う事は至極もっともな事だろう。


 だが、鉄兵が望む部下とは、そんな事では雇えない人々なのだ。


「恐れながら陛下。人手を用意してもらうには及びません」


「ほう。手勢を望むが、しかし用意する必要が無いとは面妖な事を申すな。

 それならば、誰をもって手勢と為すのであるか?」


「はっ、私が捕らえた山賊どもです」


 ざわっ、と驚愕の声が一瞬だけあがった。


 鉄兵の発言の奇抜さに、誰もが声を発する事が出来ず謁見の間が静まり返る。


 シリウス王が眉を皺寄せ鉄兵を睨みつける。


「……わけを申せ」


「はっ、山賊どもを信用置けぬと申されましたが、それを言うなら私も同じ事にございます。

 ありがたい事に市中では英雄などと敬ってもらっておりますが、異大陸出身の私もどこの馬の骨か知れたものではありません」


 鉄兵の言を聞いた近衛達が、俄に鉄兵が信用の置けぬ身の上である事を悟りに緊張を見せる。それはその後ろに控える重臣達も同様である。


 そんな周囲の反応を無視するように、鉄兵が言葉を続ける。


「アリス姫に出会わねば、私は捕らえた山賊と同じような境遇に至っていたかも知れませぬ。

 そんな事もあり、王都への旅路の最中、私は山賊達と接触を取りました。

 すると、彼らは山賊に身を落としたといえども元は騎士という事もあり、私などより心根の爽やかなものでございました。

 なれば、このまま朽ち果てさせるは惜しいと考え、私は説得を行ったのです。

 無為に朽ち果てるより、国とそこに住まう民の為にあれと」


 鉄兵はここで一度言葉を切った。いやがおうにも鉄兵の次の言葉への注目が集まる。


「この国に至る旅路の間、私が誠心誠意を持って行った説得により、山賊どもは心変わりをしております。

 今、彼らの心にあるのは、この国のために働きたいという気持ちのみでございます。

 そこで、まずは半年ほどお時間を下さいませぬでしょうか。

 その期間をもってして、我らを見極めていただきたいのです。

 地位も領土も不要。監視をお付けなさってくれても構いません。

 ただ半年。

 その僅かな時をもってして、私を含めた一同全てがこの国のために役に立つものであり、私が語った言葉に嘘偽りがなかった事を証明させていただきたいのです」


 これにて鉄兵の出番は終わりである。鉄兵にとってはまさに猿芝居であったが、周囲の反応は劇的なものだった。


 呻きにも似た感嘆の溜め息がそこかしこから漏れ聞こえてきた。


 謁見の間に何か爽やかな風が流れた気がした。


 近衛を含め、この謁見の間にいる誰もがこの作られた美談に感動を表していた。黙っていれば、鉄兵には一都市の支配者となり、何一つ不自由の無い栄光の道が開かれていたのだ。いや、そればかりではない。シリウス王に認められ、アリス姫と恋仲であるというならば、今後は国の主導者の一員になる可能性すらあったのである。


 それを、高々20人足らずの人間。しかも山賊などの命を救おうとするために投げ出そうというのだ。


 俄には信じ難い、馬鹿げた話である。


 だがそんな、まさに英雄譚の一節を再現したかのような一幕を目の当たりにした一同は、人それぞれに感銘を隠し切れずにいた。


 政に関わる重臣達はその無私に基づく清らかなる志を。


 武に生きる近衛達はその義心に基づく高潔な生き様を。


 そうあれかしと願い正道を歩まんと常に欲しながらも、日常をすり抜けるにつれ藁よりも易く吹き飛んでしまいがちな人として善くあるための本道。


 歩みやすいようでいて何よりも歩みがたいその本道を堂々と歩むその体現者を目の先に見つけた一同は、邪気を払われたかのように純粋な感動の念を示していた。


 同時に、そんな彼こそ民草のために身を粉にする姫様の婿に相応しいという共通認識が生まれたりもしたのだが、まあこれは横に置いておこう。


「噂に偽りは無い……という事か」


 ぽつり。とシリウス王が呟く。


「その言葉が真なら、よほど反乱分子どもはそなたに信服しておるようだな。

 ふむ。名より実を取ると申すか。なれば確かにこちらが用意する手勢よりも遥かに動かしやすいであろうな。

 よかろう。そなたの案を承認するものとする」


 王の采配に惜しみない喝采が起こった。ここが謁見の間では無かったら拍手すら起きそうな雰囲気である。


「しかし、城に出入りするのに地位も無しでは動きにくかろう。民が英雄と呼ぶものが無位無官では都合も悪い。

 よって、テツには一代限りの名誉騎士の称号を与えよう。

 領土についても山賊どもの拠点がある地域のみを贈るものとする。元より弟も手を焼いている土地だ。否はなかろう。

 自領の民なら罪人の裁量を委ねるに不都合はあるまい。罪を贖う為の奉仕を強要するものといたせ」


 国王の名裁きに周囲から賞賛の溜め息が漏れた。


 国の規範として、法は守られねばならない。それが法治国家として歩み始めたこの国の基本方針である。


 だが、一方で民の賞賛を一身に浴びた英雄の頼みを無碍に断る事はできないと言うのも現状である。鉄兵が山賊を部下に置きたいと言い出した時、沈黙に包まれたあの時に、国の重臣達は誰もがそれを思い頭を痛めたのである。


 だが、確かにその領土を与えるならば法の遵守という意味でも最適であり、誰からの文句も無く丸く収まるであろう。それにもっとも高貴な騎士に与えられる聖騎士の別称である名誉騎士の称号を授ければ、英雄と呼ぶに相応しい少年に対して非礼にもならない。


 元の世界で言うならば大岡裁きと言ったところであろうか。シリウス王の一部の隙も無い采配に、さすがは我らの王だという気運が持ち上がる。


「オスマンタス。余の判断に異存はないな」


「ははぁ、見事な裁きでございます」


 オスマンタスが膝を折る。これにて芝居は完成である。


「ではこれをもって謁見を終わる事とする」


 鐘が鳴り、シリウス王が退席する。


 それに続いて鐘が鳴る。


 これ以上にない素晴らしい謁見を無事終えた鉄兵は、賞賛を帯びた視線を一身に浴び、リルを抱えて胸を張って退席した。




「お疲れ様でした」


 謁見の間から出ると、ホーリィが待っていた。労いの言葉に能面のような表情でただ頷き、先に歩き出したホーリィの後に続く。


 やがてホーリィに案内されて一室に通された鉄兵は、ドアが閉まる音を確認すると五体投地で床に突っ伏した。突如宙に投げ出されたリルがキャンと一言驚きの声をあげてガシッと四足を踏ん張り着地する。


「ごめんリルー。ちょっともう限界だったんだ……」


『あるじ、おつかれ?』


「うん、おつかれ」


 とことこと寄ってきてリルが鉄兵の顔を舐め始める。そのリルの頭に手を乗せて、鉄兵はそっと優しく撫で始めた。


 毛の感触に心を癒されながらも、鉄兵は先程までの事を思い返す。


 鉄兵が提案した計画内容は、そのほとんどが今回の芝居では大規模に改変されている。


 ようやくここで白状すると、当初鉄兵が提案した計画というのは非常に簡単な事である。


 鉄兵は、自分の技術と知識はこの世界において非常に高い価値をもっていると自負しているし、それは事実である。そして鉄兵が提案した内容というのは、それを出来うる限り安く提供する代わりにアルテナ達を部下につけて欲しいという事であった。


 実際の話、魔法をリミックスした鉄兵の工学を筆頭とした現代社会の知識を存分に発揮すればこの世界この地域において何倍も豊かな生活を全国民に供与するのは容易い事であり、破格の条件といってもいいだろう。


 とはいえ、それはあくまで鉄兵だけが理解している事であり、シリウス王及び重鎮2人としては国民と重臣に対する説明が不足するところであった。


 ゆえに今回の芝居は鉄兵が先に提案していた「もし名目が欲しいのであれば、地位や領土は諦めるのでそれと引き換えにして欲しい」という条件を元に作成されたものなのである。


 あえて自分からへりくだる事により譲歩の姿を見せ、最初から期待していない価値を撒き餌にして適正より上の値段で商品を売り払うのはぼったくりの常套手段である。それを敏感に嗅ぎつけたオスマンタスが、どうせならそれを最大限に利用してしまおうという企みによって出来たのが今回の芝居の内容であった。


 元の世界に帰る予定が先に立っている鉄兵にとって、正直な話、地位や領土とやらはもらっても邪魔なものであるのでそれは非常に好都合な話であった。この時、契約期間については当初オスマンタスの台本には無かったのだが、こうした方が訴えかけるものがあるだろうと無理やりねじ込んだものである。これならば、半年後にそれ以上の地位を提示されたとしても断る事が出来るだろう。


 ちなみに鉄兵の当初の提案では領土も騎士の称号ももらう予定がなかったのだが、そこは後々山賊集団を吸収するのに都合が良いということで無理やり押し付けられたものだった。元より治世のための手が足りずに反抗勢力を討伐せずに黙認していたような土地である。いたずらに事を構えるよりかは段階的に既成事実を重ね、これを機に取り込んでしまおうという戦略のようである。まずは鉄兵の領土として委譲されたが、半年後には鉄兵の部下になったアルテナの手に委ねられる予定である。


 経過はともかく、なにもかも上手く回って鉄兵としては一安心である。これから忙しくなるかもしれないが、ここでリルと戯れる事くらいは許されるだろう。


 そんな風にまったりとリルとの時間を楽しんでいたら、不意に前触れも無くドアが勢いよく開かれた。


「鉄兵、おつかれさまー! ……って、なんで床に寝っ転がってるの? 汚いよ?」


 思わず総毛だってドアの方を見ると、そこに立っていたのは妙にハイテンションなリードだった。床に寝転んでいる鉄兵を見て首を傾げているが、和んでいた鉄兵としては文句を言いたいところである。


「そりゃまあ……疲れてるからですよ」


「だらしないわね。立たないと踏んじゃうわよ」


「だー! わかりましたって」


 本気で踏まれかねないので鉄兵はしぶしぶ立ち上がった。残念ながら幼女に足蹴にされて喜ぶ趣味は無い。


「わかればよろしい」


 足元にいたリルを抱えあげてえっへんと言わんばかりにリードが満足気な表情を見せる。なんとも22歳には見えないそんなリードの態度に対して、兄のホーリィは少し困り顔であった。


「リード、テツ様に少し失礼ですよ」


 妹の無礼は兄が諌めるものと言わんばかりに諌言したホーリィである。


「いいの。だって鉄兵は私の弟子なんだもん」


 だが、思わぬ妹の発言に、ホーリィのその表情が固まった。


「……弟子、なのですか?」


「弟子です。はい」


 ギギギっと音でも聞こえそうなほどに硬直したまま顔だけこちらに向けて質問するホーリィに、鉄兵は苦笑しながら答えた。


 そう言われてもどうやら噂の英雄が自分の妹の弟子であるという事実が上手く繋がらないらしく、頭にクエスチョンマークをたくさん浮かべている。ここまでそつのないホーリィだっただけに、鉄兵は不謹慎にもホーリィの狼狽振りを見てちょっと面白いなとか思ってしまった。


 そんな事をしていたら、再びノックとともにドアが開いた。


「よう、うまくやったようだな」


「見事なものだったな」


 続いてやってきたのはシロとアリスである。シロは相変わらず飄々としたものだが、アリスは妙に上機嫌で珍しいまでに笑顔全開である。王都に帰って来たことで何か良いことでもあったのだろうか?


 と、それよりちょっと気になる発言があった。今、アリスが見事なものだったとか言ったが、ひょっとしてあの芝居を見ていたのだろうか?


「ひょっとして、見てたの?」


「うむ、王座の横の控え室から見させてもらっていた」


「あ、あたしとシロもだよ」


「マジで?」


 助けを求めるようにシロを見たら、いつも以上に良い笑顔でニッと笑われてしまった。


 急激に恥ずかしくなって鉄兵は頭を抱えてしまった。熱いほどに血が上って顔が赤くなる。別に恥ずかしがるような事ではないのだが、ノリノリで一人芝居をしていたら、いないと思っていた友達にその現場を見られてしまったような感覚である。いやちと違うがまあそんなところである。


 そんな具合にいつものペースに戻って団欒していたら、扉がノックされ「失礼します」という声が聞こえてきた。その声にみんなは顔を合わせ、微笑みあう。


 特徴のある渋い声。三番目の訪問者は間違いなく山賊団の副頭領、マーティンのものであった。


 扉が開き、元山賊達が姿を現す。身だしなみを整え、黒の軍服に身を包んだ様は、どこから見ても一級品の騎士そのものだ。


 ぞろぞろと、しかし足並み乱れず部屋に入ってきた18人の騎士達は、鉄兵の前に4列に並ぶとザッと息を合わせて跪いた。


「我ら一同、テツ様への忠誠を誓います」


「はい。半年ほどだけ頼みます」


 マーティンの言葉に鉄兵はにこやかに微笑んだ。これで晴れて山賊姫の一団は鉄兵お付の騎士団である。マーティンは鉄兵の言葉になにやら言いたそうな表情をしていたが、事の成就に喜ぶ鉄兵はその事に気がつかない。


「あれ、そういやアルテナは?」


 よく見ればここに現れたのは18人だけであり、肝心のアルテナの姿が無い。


「はあ、あちらに」


 マーティンに尋ねると、マーティンは苦みばしった表情をしてドアの方を手で指した。


 手で指された方向を見る。すると、確かにそこにアルテナはいた。ドアの後ろに隠れ、なにやら顔の半分だけを出してこちらを睨んでいる。


「……えーと、どうした?」


「別に……」


 アルテナはそう言ったが、そうは言ってもふくれっ面をしているのが半分しか見えていない顔の表情からしても分かる。


「とりあえず、入ってきたら?」


 良く分からないので部屋に入るように促すと、なぜかアルテナは言葉に詰まったようだった。


 なぜか伏し目がちにもじもじとした態度を見せた後にアルテナが決心したように鉄兵に向き直った。あくまでドアに隠れたままであるが。


「いいか、笑うなよ。絶対だぞ!」


 それはなんのフリだと言いたくなる様な台詞を叫びつつ、ぴょんと飛び込むようにしてアルテナがドアの後ろから姿を現した。


 その姿に鉄兵はフリーズする。


「……実はアルテナさまだけあれを着るようにシリウス王から命令がありまして」


 フリーズする鉄兵にマーティンからの説明が入る。その瞬間鉄兵の脳裏に浮かんだ言葉は「あのおっさん、何を考えてやがるんだ?」であった。非常に不敬な言葉ではあるが、誰もが頷くところであろう。


 アルテナが着ていた服は、侍女の着る服であった。俗に言うメイド服という奴である。現代で思い浮かべるようなひらひらしたメイド服ではないが、カチューシャまでつけているその様は、まさに噂に聞く猫耳メイドという奴である。


 非常に可愛らしいのだが、普段は男のような格好をしているアルテナを弟のように思っていた鉄兵にはあまりにもギャップが強く、思わず顔が引きつってしまう。


「……ぷっ」


 多分、アルテナの先ほどの言葉はフリではなく本気の言葉である。だが、ぷるぷると子猫のように震えるアルテナを見て、鉄兵はその仕草の可愛らしさにどうしても耐え切れず、思わず噴き出してしまった。


「わ、笑うなー!!」


 腰を折り、顔を真っ赤にして、腹の底からアルテナが叫ぶ。目元には涙が溜まっていて、またいつぞやのように泣き出してしまいそうだ。


「あはは、ごめんごめん。でも可愛いよ。やっぱ女の格好のがいいって」


「……!!!!」


 慌ててフォローを入れたのだが、アルテナは鉄兵の言葉にさらに顔を真っ赤に染め、まるで猫そのものの敏捷さでドアを押し開け、風のように出て行ってしまった。


「……俺なんか悪い事言った?」


「私は知らん。本人に聞いてみるがよい」


 フォローのつもりが極端なほどに避けられてしまった鉄兵が軽いショックを受けつつ聞いてみると、なぜかアリスは不機嫌顔でリードは呆れ顔であった。


 わけがわからずホーリィやマーティンの方を見ても困ったように苦笑いをするのみである。


 何か困った事態になっているような気もするが、とにもかくにもこれで大きな問題は全て片付いたはずである。まずは大団円といったところであろうか?


 せっかく異世界にきたのだから色々旅をしてこの世界を見て回りたかったが、魔法という新規の可能性を調べつつ国に居座り知識を振るってみるのも悪くは無いだろう。


 知り合いがいて、知識を振るう場所があり、生活は保障されている。前途はこれ以上に無いほどに揚々だろう。


 さーて何をしようかな。と、数限りなく目の前に広がる可能性の糸の束を見据えつつ、鉄兵はさっそく思考に耽り始めた。

 アルケンバインの国名はいずむさんからいただきました。ありがとうございました~。


2011/1/19:指摘いただいた部分修正

「芝居をして、いたらいないと」

→「芝居をしていたら、いないと」


「服頭領」

→「副頭領」


「困った自体」

→「困った事態」


「なんとも迫真の演技であるが、関心ばかりもしてられない。」

→「感心」


2011/2/14:指摘いただいた誤字修正

そならの案を

→そなたの案を

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ