責任者の憂鬱・その5
昼食を食べ終わった鉄兵は、うんうんとうなりながら馬車置き場への道を歩いていた。その場のノリでシロと勝負っぽい事をする事になってしまったわけではあるが、どうにもシロに勝利するための良いアイデアが出てこないのだ。
情報を整理する。まずは条件を並べてみよう。
鉄兵の勝利条件はシロに歌う事を断念させる事で、敗北条件はシロが酒場で詩を歌ってしまう事である。
今更ながらの話ではあるが、この勝負は鉄兵にとって大いに不利な勝負に思えた。鉄兵は長時間シロを拘束する必要があるが、シロは酒場でステージに立ってしまえばいいだけなのだ。
鉄兵としては他人の顰蹙はあまり買いたくないので、歌い始めたシロの妨害をするような行為はあまりしたくない。つまり実質シロがステージに立った時点で手出しはできなくなるので、鉄兵はそれまでにシロを捕まえて酒場が閉まるまで拘束するか、演奏を断念させるかしなければいけないのだが、シロ相手にはどちらもかなり厳しい条件である。
比べた事は無いが、シロの肉体能力は強化されている鉄兵よりやや弱い程度だろう。技量はシロが圧倒的に上なわけで、肉体言語で語り合ったら恐らく鉄兵はシロに触る事すら出来ずに3カウントを決められてしまうと予想ができる。要は魔法を使って戦う以外に鉄兵には勝ち目が無いわけだが、それにしたって制限がつくので悩ましいところである。
魔法ありで見境の無い単純な戦いをするのなら、今の鉄兵は白竜形態のシロにも負ける気がしない。だが、まさかこんなあほな勝負で大怪我をするような魔法を炸裂させるわけにはいかないので、小細工に頼るしかないだろう。
というわけで条件としては中々に最悪である。こんな条件の中、良いアイデアが無いかとさっきからうなっているわけだが、どうにも思いつかない。こっそりギターを壊してしまったり、一服盛って眠らせてしまったりしてしまえば話は早いわけだが、それはなんというか、人として駄目だろう。
そんなわけでうんうん唸りながらあーでもないこーでもないと歩いていたら、あっという間に馬車置き場まで着いてしまった。
なんとなくここに来てしまったが、考えてみれば別に馬車の改造は後回しにしてもいい事である。なので今はシロ対策を考えるべきなのだろうが、正直このまま考えていても良いアイデアが出るとは思えない。
それならば身体を動かしてた方がなにか思いつくかもしれないというわけで、鉄兵は午前中の作業を再開する事にした。とはいえ、午前中で大体スプリングの調整はあたりがついていたのですぐに終わってしまったのだが。
というわけで実用的なバネが出来上がったので次の工程に入ろうかとも思ったが、シロ対策のアイデアは出なかったものの、馬車に関しては一つアイデアが浮かんだのでちょっとそちらについて考えてみる事にした。
そのアイデアとは、サスペンションである。簡単に言えば衝撃を吸収する装置の事であるが、元の世界の乗り物には大体付いているものなので、今まで思い浮かばなかったのはある意味不覚である。まあきっと久々にモノづくりをしたのでようやく頭が本調子になってきたのであろう。
サスペンションの種類は色々あるが、今回想定しているものは簡単に言えばコイルバネとダンパーをセットにしたものである。ダンパーとは文字通りダンプ(damp-減衰)させるものの事で、まあバネで振動は吸収できるけど、その後バネが伸び縮みしてうっとうしいからその伸び縮みを少し早く終わらせてしまおうぜといった感じの趣旨の装置である。
今回想定しているダンパーについて軽く説明すると、先端に針穴の無い注射器みたいなものである。薬の代わりに中にオイルを入れて、筒を完全に密封しない程度のピストン(注射器で言えば押す部分)をつければ、ピストンを押すとピストンが液体の中を動く時に先端の面に液体の抵抗が働き、液体がエネルギーを吸収してくれるという仕組みである。
なのでこれをコイルバネと組み合わせれば、バネが振動を吸収して、さらにバネが吸収した振動をダンパーがゆるやかに吸収する事によりあまり揺れが生じなくなるという寸法である。
さて、サスペンションの材料は金属とオイルである。ダンパーの性質上、粘性と沸点が高い油でも欲しいところであるが、この近辺で手に入れる事は不可能だろう。ダンパーは振動という運動を吸収する装置であり、それを吸収すれば熱エネルギーが発生する。熱が発生すれば沸点の低い油を使用した場合は発火してしまうわけで、普通の油はちょっと使いたくない。なのでどうせ短期間しか使わないものだからと水で代用しようかとも思ったが、鉱物油はぶっちゃけ炭素と水素の化合物なので、水が空気中から作れるなら鉱物油も作れるんじゃないか? と気がついてみた。
残念ながら鉄兵は化学系にはそれほど詳しくないが、工学に関係がありそうな素材の原材料については興味を持って化学式等を調べた事がある。鉱物油はなかなか複雑な構造の式なのだが、擬似完全記憶能力を誇る鉄兵の頭の中にはばっちりとその知識が残っていた。水の化学式を思い浮かべて魔法を作れば水が出たのだから、理屈の上では化学式さえ分かっていれば、オイルだって作れるはずである。
というわけでさっそく試してみる。とりあえず実験とばかりに折れた剣を一本つまんで引き伸ばしてバケツ状にし、その中に空気中から炭素と水素を集めて化合するイメージをしてみた。すると、ほんとにどんな仕組みなのやら、バケツの中にそれらしき物が出来た。元の世界なら総ツッコミどころか本気で怒られそうな光景だが、まあ魔法なんだなーって事で現実には目をつぶる事にする。
とまあ実験は成功したが、勢いで作っては見たものの、純度100%の鉱物油を潤滑油として使っても良いものなのか? となるとちょっと疑問が残る。知識としてはこれで良いはずだが、実際使われている製品にはその他にも色々混ぜているはずなので、このまま使うのは危険な気がするのだ。今回作った鉱物油は、簡単に言えばアスファルトの材料に近い感じの燃えにくくて粘性の高い鉱物油なわけだが、ガソリンなどと同列の物なので下手をすれば爆発する。物理防御を張って実験してみれば良いだけの話だが、村の外れとはいえ爆発物の実験をするのはさすがに非常識な事だろう。
というわけで、せっかく作ったものだが鉄兵はこれを破棄する事にした。バケツの中に意識を差し伸べて、空気中にゆっくり還元していく。無駄に二酸化炭素やらを増やしてしまった気がするが、まあまだ環境汚染が問題になっているような世界ではなさそうなので気にしない事にした。
それにしても無から油ができるとは……魔法とは改めてとんでもないものだな。と、鉄兵は今更ながらに実感した。火やら水やらが無から出てくるのも十分非常識ではあるのだが、元の世界でもコンロのスイッチ入れたら火が出たり、蛇口を捻れば水が出たりしていたものだから、そこまで実感は無かったのだ。
だが、同じ原理ではあるものの、油となるとちょっと勝手が違く思える。同じ原理なのだから当たり前といえば当たり前のことなのだが、それでもどこか違和感を感じて改めて異常な事なのだと感じてしまうのは、なんとなく納得していただけるとありがたいところである。
と、ここで気がついたがゴムも基本は炭素と水素の化合物である。それに硫黄を加えて弾性や強度を増したりしているわけだが、硫黄も微量ながら空気中に含まれているはずなので作れるんじゃないか? と思いついてみた。
思い立ったが吉日と言わんばかりにさっそく試してみる。天然ゴムの化学式を思い浮かべ、空気中から広げた掌の上に材料を集めて重合するイメージをする。すると、掌の上に消しゴムのような真っ白な天然ゴムが作られた。これはまあ……元の世界の研究者達から本気で殺意を向けられかねない光景のような気がしたが、出来てしまったのだから仕方が無い。硫黄の方も近くに火山でもあるのか、案外簡単にできたので、そこそこ本格的なゴムタイヤが作れそうである。
というわけで炭素を混ぜたり硫黄を混ぜたり色々調整したところ、タイヤに近い感じの硬くて黒い、弾力性のあるゴムが出来上がった。サスペンション、鉱物油、ゴムとつくってきたわけだが、なんだかこのまま頑張れば材料さえあれば自動車の一台くらい作れてしまいそうである。簡単なエンジンの仕組みや基本的な車の構造は知っているので、多分ほんとに可能であろう。まあ出来たとしても説明に困るので作る気はさらさらないが。
それにしても、こんな事がほいほい出来てしまうのならもうちょい文化的に発展しててもよさそうなものである。それなのに、今までの体験を見返してみたところ、こんな風に魔法が利用されているところを見た事が無い。なんでこんな便利な技術があるのに使わないのかと考えてみたら、その疑問の回答には結構簡単に行き当たった。ついでに魔法を使う際の魔力のロスについてもこれが原因であろう。
その原因を一言で言えば、恐らくこの世界には元素なんていう発想はないからだというのが鉄兵の推測である。
リードに聞いた魔法についての説明を思い返してみたが、火に関するものは火の精霊。水に関するものは水の精霊と、その属性に特化した精霊を使役する事によりロスを少なくしているという話である。つまり火の精霊やら水の精霊やらその分野に特化した精霊はその理をなんとなーく理解していてそれを具現化させているのじゃないかと思われるが、精霊といえども元素レベルの世界を理解しているわけでは無いのでロスが生じているのではないだろうか。一方、鉄兵は元素という存在がある事を理解して、そのイメージを精霊に伝える事によって魔法を使っている。なので発動がスムーズであり、ほぼロスが生じないのではないかという理屈である。
なんでこの技術を使わないのかという疑問に関してはさらに簡単で、元素を知らないという事は、物体が何で構成されているかを知らないという事である。なので要はこんな事が出来るとは考え付いてないのだろう。もしくは試された事はあっても複雑な構造体はロスが大きすぎて実用化されていないのかもしれない。
少し乱暴な理屈だが、鉄兵としては結構的を得た理屈のような気がした。確かめるためにリードに元素について教え込んでみたら面白そうだなぁとかゴムをニギニギと握りながらそんな事をぼけっと考えていたら、不意に今考えていた事とはさっぱり関係の無い、シロ対策のアイデアが天啓のように鉄兵の脳裏に浮かび上がった。関係が無いとは言ってもこれまでの理屈を総合した結果として生まれたアイデアではあるのだが。
「これは……いける……」
顔をうつむかせ、鉄兵が邪悪な笑みを浮かべる。
というわけで鉄兵はそのアイデアに必要な材料を用意するために、さっさと村長宅へと走り出したとさ。
時は過ぎて夕方頃。
「……みなさん、なにしてるんすか?」
秘密兵器を無事に作成し終えた鉄兵は、意気揚々とシロとの決戦に挑むべく酒場へと向かったわけなのだが、酒場の前に見えた光景にちょっと呆れながらそこにいた人物達にそう尋ねた。
「見ての通り、勝負の観戦に来たのだ」
鉄兵の問いには、群集代表としてアリスが応えてくれた。そう、群集代表である。
酒場の前にはどこから湧いて出たのやら、群集が出来上がっていた。アリスにリードにイスマイル。それにアリスの部下達三人はともかくとして、アルテナ以下山賊連中までいるし、そこに少し距離を置くようにして村人達も多く混ざっている。
これから酒場でいっぱい引っ掛けようと酒場が開くのを待っている連中もいるのだろうが、小さな子供やエプロン姿の主婦なども混ざっている。ざっと100人近くはいるんじゃないかと思う群集が出来上がっているわけだが、どうやらこれは鉄兵とシロの勝負を見物に来た人々らしい。村の人がほぼ総出で見に来ているような気がするのだが、これはどういうことなのだろうか……いやまあ理由はわかるのだが。要するに態の良い娯楽なのだろう。
「……まあいいや。民衆は娯楽に飢えている。と、そういうわけね」
持ってきた秘密兵器の入った大き目の段ボール箱サイズの石製の箱を地面に下ろしながら、鉄兵は少し達観した気分で呟いた。
「まあ、早い話そういうことだな」
やや苦笑気味にアリスが答える。苦笑を浮かべてはいるものの、アリスのその表情の裏には、この状況を明らかに楽しんでいる様が見て取れる。見世物になるのは気に食わないが、まあアリスが楽しんでるなら悪くも無いかな。と、鉄兵は村の娯楽のために余興にされる事を受け入れる事にした。せいぜい良いところを見せる事にしよう。
「ねえ、この玉はなに? なんか柔らかいけど」
そんな声がしたからそちらの方を見てみれば、早くも興味津々と言わんばかりにリードが箱の中身を突付き、リルが鼻先を突っ込みクンクンと匂いを嗅いでいた。
「あー師匠。その玉に触っちゃ駄目ですよ。特にリルは噛んだり爪立てたりすると酷い目に遭うから駄目だよ」
鉄兵の言葉に両者はビクッと身体を震わせすごすごと身を離した。その様子が妙にシンクロしていて非常に微笑ましい。ちなみに中に入っているものは手のひらサイズの白い球状の物体である。これが鉄兵の用意した今回の秘密兵器であるわけだが、詳細はまだ秘密である。
「その箱の中身はそれほど危険なものなのですか?」
そう質問したのはイスマイルであった。危機管理のしっかりとした大人としてはその脅威度がどれほどのものか気になるようである。
「いや、危険というか……怪我するようなものじゃないですけど、下手に触ると酷い目に遭うのは確かですね」
「そうですか」
鉄兵の言葉に危険性はないと見て取ったイスマイルはほっとしたようだった。リードとは間逆な大人な対応である。危機感が薄い現代日本人の鉄兵としては見習いたい姿勢である。
「どうやら策はできたようだな」
「まあね」
アリスの言葉に鉄兵は自信満々に答えた。自慢ではないが策どころか新技をいくつか考えてきた。多分みんなに良いところを見せられると思うので、自信の程はばっちりである。
「私はシロの応援に回るが、鉄兵も頑張るのだぞ」
が、アリスの口から出たのはそんな言葉であった。その言葉を聞いて鉄兵は心底がっかりしてしまったのだが、周囲の様子を見ると、どうやらみんな同じ意見のようでうんうんと頷いている。なぜかは知らないが、完全にアウェー(敵地)のようである。
「なんだよ。誰も応援してくれないのか?」
「すまないが私もシロの詩を聞いてみたいのでな。今回ばかりは応援ができん」
澄ました表情でアリスが言う。鉄兵としては非常にがっくりな話ではあるが、なんとなく納得してしまったのでこれ以上は何にもいう事が出来ない。自分が主役の話で無ければ自分だって聞いてみたいと思うのだからこれは仕方が無い。とはいえ、理由がどうあれ悔しいのは確かなので、絶対にシロに一泡吹かせてやろうと半ば八つ当たり気味に気合を入れなおす。
と、鉄兵がそんな風に気持ちを新たにしていたところ、不意に観衆の間でざわ…っと動きがあった。観客の注目する先を見る。すると、視線の先には予想通り、シロの姿があった。いつものように赤い傘を差し、ギターケースを背負った黒い着流し姿のシロは、観衆の視線に微塵も怯まず悠々と闊歩している。
やがて程よい位置まで来たシロは歩みを止め、いつものように煩悩さえ吹き飛ばすような爽やかな笑みをニッと浮かべた。
「よう、準備はいいかい?」
「ばっちりさ」
シロの言葉でスイッチが入る。鉄兵は用意していた箱の中へ魔力を運び、中の玉を自分の周囲に浮かべた。治癒魔法の時に使った念動魔法と物理防御術の応用である。魔力を一つの力場として、その上に物体を乗せて操っているだけの術である。鉄兵としてはそれほど大した魔法を行使しているとは思っていないのだが、魔法の理屈を考えればそれはやはり派手な魔法だったらしく、ざわ…ざわ…っと観衆がざわめく。
「こいつぁまた、相変わらず化け物じみてやがるなぁ」
シロはからっからと笑いながらひょいと地面に手を伸ばしたかと思うと、手の中で何かを弾いた。
途端に鉄兵の真横にあった玉が破裂して中身が派手に飛び散り鉄兵の顔に付着した。
「ほう、男前があがったんじゃねぇか?」
「……」
観衆から爆笑が上がる。鉄兵を見れば、青い液体に塗れてプルプルと震えていた。ニヤニヤ笑うシロを無視して、鉄兵は青く染まった顔に手を当て魔力を込める。途端に鉄兵に降りかかった青い液体が蒸発していき、観衆からおおーと歓声が上がる。ちなみに先程何が起きたのかといえば、どうやらシロが石を拾って指で弾き、球体に当てたようである。
というわけで鉄兵の秘密兵器とは絵の具入りの水風船だった。その意は非常に単純明快。一張羅を絵の具で台無しにしてしまえばシロも諦めるだろうという作戦である。無論一張羅が汚れても着替えれば良いだけの話であるが、和風のスタイルにこだわりがありそうなシロがそこまでして歌うというなら、鉄兵もその意気に免じて諦めようという結構適当な作戦である。
ちなみに絵の具は水彩絵の具である。元の溶剤はそこそこ簡単に出来たのだが、顔料はさすがに化学式が知識の内に無かったので、近所を訪ねまわって原料を解析するのに結構苦労したというのはここだけの話である。
恥をかかされた以上、もはや遠慮をする必要は無い。鉄兵はさらに魔力を込めて箱から水風船を取り出した。
その様子を見て、シロはニヤっと笑って歩みを進め始める。
不敵なそのシロの様子に鉄兵はやや逆上気味に水風船の集中砲火を浴びせかける。
襲い来る水風船の脅威にも、シロはあくまで冷静である。どんな筋力をしているのやら、不規則に着弾するように操っているはずの絵の具入り水風船を、開いたままの金属製の傘を鞭のように操り迎撃していく。
日褪せした赤色の傘はみるみる派手な色に染まっていくものの、シロ本体には被害は全く無い。まるで散歩でもしているかのように悠々と足を進めるシロの姿に観客がやんややんやと歓声をあげる。
まるで勝負になってないが、ここまではまだ鉄兵の予測のうちである。実戦経験が無いは無いなりに作戦は練っていて、今は仕込みの段階である。
多少不規則性を入れてはいるものの、念動魔法にそれほど慣れていないので鉄兵が操る水風船の軌道はパターン化してしまっている。当然シロはそのパターンを見つけ出し、対応がやや単調になり始めた。この瞬間こそが鉄兵が待っていたタイミングである。頃合を見計らって、鉄兵は次なる技を繰り出した。
「くらえ!」
鉄兵の気合の言葉とともに、シロの身体がぴたりと動きを止めた。この時のために考えておいた鉄兵の新魔法が見事シロを捕らえたのである。
その技とは簡単に言えば物理防御の応用である。ただし、鉄兵が自分に使っている物理防御は全身タイツを纏っているように自分は自由に動けるイメージで身体を覆っているのだが、今回は金属のようにガチガチに固めて対象を覆っている。この結果、どうなるかといえば、こめられた魔力の力場が衝撃を吸収し終えるまで対象は動けなくなる。
鉄兵は動きを止めたシロに向け、180度の包囲網で一斉に水風船を射出した。
いわば強制アス○ロンとでもいうべき魔法で動きを止められたシロに水風船が襲い掛かる。もはや絶体絶命かと観衆は悲鳴を上げたが、しかしそこは流石のシロであった。
「ふん!」
常人なら一週間は抜け出せそうもないような量の魔力を込めておいたのだが、シロはそれを瞬時に砕き散らした。続いて傘を突き出し盾にして、襲い来る水風船の群れに突っ込むように宙に飛び上がった。
見事水風船弾幕から脱出したシロは、傘で空気抵抗を受けているであろうに、5m程も浮かび上がっていた。そのまま宙でひらりとトンボを切り、余裕綽々で傘を閉じて降下する。その着地予想点は酒場の入り口どまん前である。
シロが無事着地を決めれば勝負はほぼ決まりである。
が、ここまでが鉄兵の計算のうちであった。
「そこだ!」
シロが悠々と酒場の前に降り立とうとする着地のその瞬間。鉄兵は水風船を追尾させながらも更なる新魔法をシロの着地する地面へと向けて放った。無事に地面に着地を決めたシロ。だが、地面に足をつけた途端に姿勢を崩し、転びそうになる。種を明かせば鉄兵はシロの着地点に滑りやすい油を精製したのである。非常にせこい手ではあるが、効果は抜群であった。
シロは、それでもなんとか傘を地面に突き刺し転倒だけは免れた。が、その背中に無慈悲に水風船が着弾する。
とはいえそこからのシロは流石であった。着弾したのはただの一発で、他は間一髪で横にごろごろと飛び転がってかわす。
「どうだ!」
これ以上無いドヤ顔でガッツポーズを決める。途端に惜しみない拍手が湧き起こり、鉄兵は調子に乗って歓声に応えた。
「こいつぁ一本取られたね」
立ち上がってパンパンと埃を払ったシロは、塗料と埃にまみれた背中を見てしかめっ面をした。結局これだけ苦労して一発だけしか被弾させられなかったわけだが、シロのその表情が見れたので鉄兵はよしとする事にした。
「で、こいつで終わりかい?」
「まあな。その格好でステージに立つって言うなら俺は止めないよ」
シロはふと一瞬空を見上げてすぐに鉄兵へと向きかえった。どうやら何かを思いついたようだ。
「テツよ。確認しておくが、こいつぁ後でしっかり落とせるんだよな」
「落とせるよ。ただし、この村を出るまでは落とす気は無いけどな」
「そうだな。それなら、ちょいとその箱の中身を貸してくれないか?」
「別にいいけど、どうするつもりだ?」
やや警戒しながら問う鉄兵に、シロは不敵にニッと笑った。
「俺がここからどう挽回するか、見てみたくないか?」
そう言われてしまっては、ものすごく見たいと思わざるを得なかった。
ってなわけで好奇心が猫を殺しそうな気がしたが、鉄兵は水彩絵の具をシロに分け与える事にした。シロが箱を持って酒場に入っていく。ちなみに群集はそのまま酒場の外の窓から覗き見している。
「ようマスター。ちょいと皿を何枚か貸してくれねぇか?」
出てきたマスターがシロの要求に「いったい何をおっぱじめるんだ?」と笑って皿を持ってくる。
「まあ見てなって」
と軽く片目をつぶって応えると、シロは皿の上で水風船を割り、絵の具を皿の上に移した。
塗料で汚れた着流しを脱ぎ去り、テーブルの上に広げる。ちなみに和服といえば下には下着くらいしかつけないものだが、シロは着流しの下に丈の短いズボンを着用しているのでそこはご安心を。まあ上半身は裸なので、鍛え上げられた筋肉を見てキャーと恥じらいながらも嬉しそうな声をあげるうら若い観衆が何人かいたようだが。ちなみにズボンの下は褌かと疑問に思う方もいるかもしれないが、残念ながら正解はトランクスである。
それはさておきシロは着流しに思い切りよく白絵の具をぶっかけて下地を作ると、直接指で絵の具を掬ってなにやら着流しに描き始めた。さっささっさと指を動かし、10分程経った後で満足そうに指を止めた。
「ふむ。こいつでどうだ?」
やがて出来上がった作品をシロが外の観客に向かって広げると、観客からはおおーっと歓声と拍手があがった。
「おぉ、かっけー!」
「なかなか見事だな」
と、アルテナやアリスにも大好評であったが、鉄兵は出来上がったそれを見て、少し呆れてしまった。いや確かに大したものなのだが、その構図には見覚えがあったのだ。
「こいつは……」
豪快な飛沫をあげる荒波の海に、そこから昇る旭日旗のようにさんさんと輝く真っ赤な太陽。さらに真ん中に活き活きと描かれた跳ね飛ぶ鯛のその構図は、どう見ても大漁旗であった。いったいどこでその構図を知ったのかはわからないが、鉄兵としてはそれを着て歌うのかと思うとドン引きである。
「さて、もう一戦やらかすかい?」
「いや、もういいよ……」
得意顔で聞いてきたシロに、鉄兵は疲れた表情で負けを認めた。呆れてしまってやる気が無くなってしまったと言うのが正しいのだが、わざわざ指摘するような事ではないだろう。
試合に勝って勝負に負けたような感じだが、残念ながら今の鉄兵にはもう一戦する気力はなかった。
さてその後。山賊連中もあわせ、鉄兵達は全員酒場で夕食を取る事になった。無論シロの詩をみんなで聞くためである。
とりあえず食事を取って軽く一杯引っ掛ける。そして酒場全体の場が盛り上がってきた頃の事。
「そんじゃそろそろ行ってくるかな」
満を持してシロが座席から立ち上がった。鉄兵としては死刑宣告をされたようなものなのだが、鉄兵達の席からだけでなく、他の席からも歓声が上がる人気っぷりを目の前にしたら、もはや黙って成り行きを見守るほかは無い。
というわけで歓声に応えつつ、シロが悠々とステージに上がった。ちなみに酒場で旅の吟遊詩人が一曲歌っていくのはこの世界では一般的なことのようで、どこの酒場でもステージのようなものが設置されているのが普通であり、この酒場にも簡易ながらもしっかりと小さなステージが用意されていた。
ちなみに着ているものはいつも通りの黒い着流しである。例の大漁旗柄はこちらから頼み込んで消させてもらったのだ。観衆には概ね好評だったので残念がられたが、あの柄の着物で真面目に歌われては、鉄兵の笑いのツボ的に耐えられそうに無かったのだ。なんといえばいいだろう……多分、欧米の人達が漢字シャツをクールだと思うように受け入れられたのだろうが、鉄兵としてはその漢字シャツの漢字に恥ずかしい勘違いを見てしまったような感覚で見るに耐えられなかったといったところであろうか。
歓声に応えつつシロがギターっぽい楽器を用意して弾く体勢を見せると、途端に酒場にはあるまじき沈黙が訪れた。
そしてシロが歌い始める。語られ始めた物語は例のリルとの戦いの話であった。
それは異国から飛ばされてきた少年の物語。竜人族に拾われた少年は異文化に戸惑いつつも元の国に帰る方法を探すために旅立ち、旅の途中で戦女神と称されるこの国の王女と出会い、そして商業都市カディスに迫る脅威へと挑む……とまあそんな感じの趣旨の話が展開されていっているわけだが、シロのギターテクは伊達にン百年のキャリアを誇っているわけじゃなく、比喩ではなく神業である。さらにギターテクと同様にン百年鍛え抜かれた喉は歌う事にも特化していて、包み込むような圧倒的な存在感を持ったその歌声は、これ以上無いほどに客の心を惹きつける。
前に聞いた時は旅の座興のようなものだったが、本気で歌う今のシロは、本気で洒落にならないくらいの腕前だった。聞いているだけで物語にのめり込み、鳥肌が立っているのに気がつかないような有様である。
シロの歌は本物である。たった一本のギターとマイクも使わぬ歌声だけで、これほど人を惹き付けられるのだなんて鉄兵は今まで知らなかった。紛れも無くシロの腕は最高峰のものだ。これは鉄兵だけじゃなく、この場にいる誰もが認める事実だろう。
シロの歌は凄い……だが、上手いだけに……これは恥ずかしい!
「だめだーー!!!!」
結局のところ鉄兵は羞恥心に耐え切れなくて、奇声を上げてシロに襲い掛かった。顰蹙を買いたくないだとかなんだと散々思った記憶はあるが、いざとなればまあこんなものである。
さて襲い掛かられたシロはといえば、どうやらこの展開を予測していたらしく、ニッと笑ってひょいと鉄兵の突撃をかわした。それでも諦めずに突進してくる鉄兵を、シロは楽しそうに歌いながらひょいひょいかわしていく。ただでさえ技術レベルに差がある鉄兵は、逆上した状態では勿論シロを捉える事が出来ない。目にもとまらぬスピードでひょいひょいと激しく立ち回る姿はまるで曲芸か高速ダンスのようで、観客の度肝を抜いてさらに盛り上げる。
やがてシロの語る物語はリルとの対決に及び、シロは時に宙を飛び、時に鉄兵の肩にまたがったりして、まるで物語の中の鉄兵の活躍を再現するかのような演出が目の前で繰り広げられ、観客は大いに酔いしれる。
そして物語は終焉を向かえ、鉄兵はシロに軽く足を引っ掛けられた。
転びそうになりながらも、そこは強化された肉体能力でくるっとトンボを切って着地する。
ここでシロの語る物語は完結し、鉄兵の背後で大歓声が巻き起こる。
「若き英雄に杯を!」
一曲語り終えたシロはここで腕をあげ、客をさらに煽って盛り上げる。
シロの言葉に反応して、客は更なる盛り上がりを見せた。客がこぞって鉄兵に一杯おごろうと、俺が俺がと名乗りを上げる。
大盛り上がりを見せる中、酒場のマスターが杯を二杯持ってきて鉄兵とシロに手渡した。
「若き英雄に乾杯!」
突然の成り行きに鉄兵がおろおろする中、シロが杯を高々と掲げ、手に持った杯の中身をゴクリゴクリと一息に飲み干した。観客も大盛り上がりでシロに続き、盛り上がりは最高潮を見せる。
そんな盛り上がりの中、どうしていいか分からず半ば放心状態の鉄兵にシロの挑発的な目線が突き刺さる。どうやらこれは罰ゲームのようである。もう一度チャレンジしたかったらまずはそいつを飲み干しな。と口元の笑みが語っていた。
「上等だああぁぁぁ!!!!」
鉄兵は酒場の主人が用意した杯を高々とあおり、それを一気に飲み干した。
ガンッと杯を手近なテーブルに叩きつけ、鉄兵は再度シロに突撃を開始する。
そしてそいつを待っていましたといわんばかりにシロは次なる曲を開始した。
曲の題材は、無論山賊姫と鉄兵の決闘の話である。
シロの良い声が素晴らしい物語を物語る中、もはやシロは手加減を捨てたようで、ポンポンと鉄兵の足をすくって一般席に退場させる。観客は落ちてきた若き英雄に我先に一杯奢ろうと杯を突き出してくる。鉄兵は転げ落とされるたびに罰ゲームに甘んじて、突き出される杯から身近な一個をかっさらって次々に一気飲みを繰り返して場を盛り上げる。
さてどれくらい鉄兵が一気飲みを繰り返したかはここでは語らない。
だが、この村が創立して以来、この酒場はこれ以上無い盛り上がりのうちに閉店したとだけ言っておこう。
注:一気飲みは本当に危険なので絶対に真似しないで下さい
11/30:大小いっぱい文章修正
[ 鉄兵の言葉に危険性はないと見て取ったイスマイルはほっとしたようだった。リードとは間逆な大人な対応である。危機感が薄い現代日本人の鉄兵としては見習いたい姿勢である。]と[「私はシロの応援に回るが、鉄兵も頑張るのだぞ」]
の間に以下の文章を追加
「どうやら策はできたようだな」
「まあね」
アリスの言葉に鉄兵は自信満々に答えた。自慢ではないが策どころか新技をいくつか考えてきた。多分みんなに良いところを見せられると思うので、自信の程はばっちりである。
12/18:指摘いただいた誤字修正
どうやらみんな同じ意見のようででうんうんと頷いている。
→同じ意見のようで