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責任者の憂鬱・その3

 さてとりあえずの結論が出た事で精神が完全に通常運転を再開し始めたようだった。正常に動き始めた精神が肉体の状態を素早く探査し、状況をかんがみて脳からある信号を送る事を決めたようである。その結果、なにが起きたかといえば、まあ腹が鳴ったのである。


 考えてみれば昨日の夜から何も食べていない。腹が減るのも当然の事だった。さて今は何時くらいなのだろうか。精神的に引きこもっている間に夕飯が終わってしまっていなければ良いのだが。


 腹が減ると考える事も即物的になる。先程までは神秘的な光で心を癒してくれてた月も、今ではそのまん丸い満月が大福のように見えてきた。よく買っていたデパート8時過ぎセールの大福が懐かしい。こちらの世界には砂糖はあったが小豆はあるのだろうか? それともち米があるならば、大福作りに挑戦してみるというのは中々価値のある挑戦なのではないだろうか?


 などと見事な月を見ながらそんな色気より食い気的な事をボケーっと考えていたら、不意に横のベットに眠っていたリルが目を覚ましたのが見えた。鼻を上にして耳をピクピクし、ピョンとベットから飛び降りてトコトコとドアの方に歩いていく。


 ドアの前にちょこんと座ったリルを見て、外に出たいのかな? と思い、リルの元に歩いていってドアを開ける。すると、そこは意外な事に無人ではなく、人の姿があった。


「え? あ……」


 ドアの前にはリードが立っていた。多分急にドアが開いたので驚いたのだろう。ちょうどノックをするところだったのか、握ったこぶしを首筋辺りまであげた姿勢のまま、ビックリした表情で固まっている。


 そのリードの足元にリルがちょこちょこ歩いていって擦り寄る。なるほど急に目を覚ましたのはリードが部屋の前に来たのを察知しての事だったらしい。と、考えすぎて疲れていた頭でややボケッと冷静にそんな風に状況を分析をしてみたわけだが、そこでリードの様子が少しおかしい事に気がついた。急にドアを開けて驚いたのはわかるが、もうドアを開けて10秒くらい経っているのに、未だに片手をあげた状態で硬直しているのだ。


「……どうしたの?」


「へ? あぁ、えーと……」


 さらに様子を窺ってみたがリードの硬直が取れる気配は無い。なのでこちらから声をかけてみたらようやくリードは硬直状態から抜け出したようだった。


「えっと、ご飯だよ?」


 なぜかリードが疑問系で首を傾げる。


「ご飯ですか?」


 つられて鉄兵も首を傾げて答えてみる。どうも未だに様子がおかしいように見える。なぜかじーっとこちらの様子を観察しているみたいだし、いったいどうしたというのであろうか?


 そう思ってこちらからも繁々とリードを観察してみたら、今度は急にリードの顔が怒り顔に変化した。どうやらじっと見すぎたようだ。


「うぉっと、ごめんなさい」


 これはやばいと最早定番となった謝罪の言葉を反射的に口にする。女性を怒らせたらひたすら謝るのが鉄兵の行動方針ではあるが、どうも最近このパターンを多用しすぎている気がしてきた。こちらの世界に来る前までは、年に何度も会わない姉達くらいにしか使わなかった行動なのだが、こちらに来てからは終始女性が近くにいるのだから、まあ仕方ないといえば仕方が無い。にしても最近多すぎだし、急激にヘタレになってきたのもこれが原因のような気がする。どうにかした方がいい気がしてきた。


 とまあそんな事を瞬時に考えながら謝ったわけなのだが、そうしたらリードの怒り顔が今度は一転して呆れ顔に変化した。よくまあこれだけコロコロと表情を変化させられるものだなとか思ったが、無論そんな事を言ったらまた怒られそうだから口には出さない。


「別に良いわよ……」


 なぜだか酷く疲れた様子でリードが盛大に溜め息を漏らす。もしや自分が引きこもっている間になにか疲れるような出来事でもあったのだろうか? 様子が変だった事もあるし、少し気になるところである。


「なんか疲れてるみたいだけど、なんかあったの?」


 というわけで素直に聞いてみたのだが、リードから返って来たのはさらなる呆れ顔だけであった。


「べーつーに。なんにもなかったわよ。さ、はやくご飯食べましょ。ね、リルちゃん」


 良く分からないがなぜかリードの機嫌は治ったようだ。足元のリルを抱え上げ、気持ち良さそうにその頬に擦り寄っている。リルも『ご飯! ご飯!』と嬉しそうにリードの頬に擦り寄り返しているのだが、言葉は通じてないはずなのになぜ通じているのだろう?


 そんなどうでも良い事を考えていたらさっさとリードは歩き始めてしまったので慌ててその後に続く。食堂に着くと、ちょうど配膳が終わったところの様で、良い匂いが漂っていた。


 何気なく面子を確認する。すると、そこには意外な人物が混じっていた。


「あれ、なんでおまえがここにいるんだ?」


 村長さん一家にアリス、イスマイルがいるのはわかる。だが、そこになぜかアルテナが混ざっていたのだ。


「なんだよ。いちゃ悪いのかよ」


 思わず本音が口から出てしまったのだが、アルテナはその言葉に酷く気分を害したようだった。途端にむすっとした表情になり、猫耳をピクピクさせている。


「いや、別に悪かないけどな」


 また女性を怒らせて謝罪するというパターンに陥るのはごめんなので軽くスルーする。とはいえ犯罪者と一緒に食卓を囲むのは常識的に考えておかしいと思うのだが?


 そんな疑問を抱きながらもちょうどアルテナの横の席が空いていたのでそこに座ると、その疑問にアルテナ本人が答えてくれた。


「まああんたの疑問も分かるけどな。どうやら俺は人質らしいぜ?」


 あっけらかんとアルテナが言う。さばさばとした口調には似つかわしくない内容だが、人質とはどういうことだろう? 良く分からないので前の席に座るアリスに目だけでたずねると、アリスが疑問を察して説明してくれた。


「アルテナの山賊団は人数が多いからな。今日一日見て可能性は薄いと見たが、万一反抗されたら少し骨だ。なので人質を一人取って反抗を抑制する事にしたのだ」


 なるほどと鉄兵は納得した。だが、実際のところはそれは建前で、その台詞の次に出た言葉が多分アリスの本音なのだろう。


「それに、年頃の女性を一人だけ他の兵士や山賊どもと一緒に野営させるのも問題だろう」


 アルテナの配下である山賊達は無論のこと、アリスの兵士達がアルテナに手を出すとは思えないが、まあ確かにそんな配慮も必要なのだろう。だが、微かに頬を崩しているアリスの表情を見る限り、それ以上にアルテナに好意を抱いているからという気もする。犯罪者に対して甘すぎる気もするが、まあアリスも年頃の女性なので何か思うところがあるのだろう。


 何はともあれ全員のグラスにワインが注がれて食事が始まった。鉄兵は腹が減っていたのでアルテナと競争するように料理を貪っていたのだが、一通り食べて腹が落ち着いてきたところで、ようやくこの食事風景になにかかけているものがある事に気がついた。今更なのだが食卓にシロの姿が無いのである。


 シロの事なので行動の予想はついたが一応「そういやシロは?」と聞いてみたら、その疑問にはイスマイルが答えてくれた。


「シロ殿でしたら村の酒場に赴いているようです。なにやら良い詩が出来たので披露しに行くといっておりました」


「良い詩ですか。なんだ、ここで聞かせてくれれば良いのに」


 酒場に本職の流しをしに行ったのは予想内だったが、新作が出来ていたとは予想外だった。というかシロが作詞作曲もするシンガーソングライターだったのも予想外だったが。ともあれシロの歌唱力は折り紙つきなので聞いてみたいところだ。後でちょっと酒場を覗きに行ってみようかな? などと間抜け面をさらしつつ少しボーっと考えていたら、ある意味そのおかげでもう一つの違和感に気がつけた。


 非常に分かりにくいが、みんなの視線がちらちらとこちらに向いているのだ。というか分かりにくいとか言ったのだが、一度気がついたら案外あからさまにその傾向はあるようだった。特に目の前のアリスはそれを隠す気も無く自分に注目しているようで、じーっとこちらを見つめていたりした。


 いったい何事なのだろうと戸惑いの目をアリスに向けてみたが、アリスはそれでもこちらをじーっと測るように見詰めていた。そんなに見つめられてしまうと照れてしまう。事実耐え切れずに照れてひるんだところでアリスの視線が優しいものに変わり、表情が綻んだ。


「どうやらもう大丈夫のようだな」


 その言葉の意味を、一瞬鉄兵は理解できなかった。だがどういう事なのか視線でたずねようかと口を開けかけた寸前にその言葉の意味が理解できてしまい、鉄兵は先ほどアリスに見つめられた時以上に恥ずかしくなってしまい、慌てて顔を下に向けた。


 なんて事はない。自分が落ち込んでいたことなどバレバレだったのだ。だから皆気を使ってこちらに注目していたのだろうし、思い返してみれば、先ほどリードの様子がおかしかったのもそれが原因だったのだろう。


 顔を下に向けたのは、自分の顔色を見せたくなかったからだ。はっきり言えば、今までの人生でこんな自分では些細とも言える事で心配などされた事などない。だからこそ恥ずかしく、申し訳が無く、正直嬉しくて、鉄兵の顔は瞬時に真っ赤に染まってしまっていた。


「その……心配をおかけしました……」


 気を使ってもらった事が嬉しくて、だけど心配をかけた事が非常に申し訳なくて、うつむきながらもそんな言葉が自然に口からこぼれていた。


 ちらっと視線を上げてみると、なぜかアルテナを含めて暖かい目で見られてしまっていて、居心地が悪い事この上がない。なんとも居た堪れなくなった鉄兵はワイングラスを手に取り一気に煽った。途端にアルコールが身体に回り、身体が火照る。願わくばこれで顔の赤みが増し、羞恥心による顔の火照りをごまかしてくれればいいのだが。


「お、兄ちゃんいける口なのか? 俺と勝負しようぜ!」


「おう、勝負だ!」


 ワインボトル片手に嬉々として挑んでくるアルテナに、これ幸いと勝負に乗る。多分アルテナは空気を読んでいないだろうが、今の鉄兵にはこれ以上無い申し出だ。


「その勝負、私も乗せてもらって良いか?」


「では僭越ながら私も」

 

 こちらは空気を読んでのアリスとイスマイルの言葉である。だが、空気を読ませてしまって申し訳ないと思う以上に、こうして乗ってくれる事が嬉しいと思う。


 ちなみにリードは「私はお酒弱いからごめんね」とちょっと申し訳なさそうにリルを膝に乗せて観戦モードであるが、付き合ってくれるだけで御の字である。


 ただ家主である村長さんに迷惑をかけるかな? とちらりと様子を伺ってみたところ、村長さんはひたすらニコニコと、その奥さんは娘さんに声をかけて慌しくワインの在庫を取りに行くところのようだ。どうやらこの程度は想定の範囲内らしく、勝手に盛り上がってくれれば村長さん的にも楽なのかもしれない。ならば気にかける事はないかな? と思い、鉄兵はアルテナの手からワインボトルを奪い、みんなのワイングラスに並々とワインを注ぎ込んだ。


 いつもなら悪酔いしたとしてもこんな風に他人を巻き込んで羽目を外す事は無い。だが、今日だけは皆の好意に甘えて羽目を外したいと思う。自分だけでは到底抱えきれない重い現実も、意図はともかくみんなが心配してくれるなら少しは軽くなる気がするのだ。


「それじゃ、改めて。かんぱい!」


 グラスを高く上げ、重なり合わす。明日はきっと二日酔いだろうなと思いつつ、鉄兵は今を楽しむ事にした。

2011/2/14:指摘いただいた誤字修正

落ち着いてきところで

→落ち着いてきたところで


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