よく分かる魔法理論
家庭教師を押し売られた鉄兵は、とりあえず本を買って少女とともに料理屋に移動する事にした。
ちなみに「初めての魔法」の値段は150オズだった。日本円に換算すれば15000円と手書きの稀少本としては普通の価格だが、一般的な月給の半分ほどである。初級の魔術書なのにそれほど高いと言う事は、それほど一般的に需要は無いのだろう。本物の魔術師の個人レッスンが時給10オズ以上なのも納得の値段なんだろうと、まだぼったくられている可能性を考慮しつつも鉄兵はとりあえず推測した。
金貨2枚で支払いを済ませ、お釣りを小銀貨で5枚もらい、そのうち4枚を少女に渡した。恐らく今は午後3時くらいなので4時間ほど話を聞けば詰所に返った時にちょうど夕食の時間になるだろう。残った銀貨1枚は今から奢る食費に当てる予定である。
本当にありがとう! と少女に感謝されつつ、この町の地理についてはそれほど詳しくないので少女の行きつけの料理屋に案内してもらう事にした。
料理屋に入ってメニューを見たところ、文字はわかるものの、その名前からはどんな料理が出てくるのかよく分からなかった。なので前に座った少女に聞こうと思ったところ、少女の空腹は限界に達していたらしく、机に突っ伏していた。
仕方が無いので注文を取りに来たウェイトレスさんに銀貨を渡し「連れが限界らしいので大至急適当な料理をお願いします」と適当に食事を用意してもらう事にした。
やがてテーブル食事が並び、少女が恍惚の表情を浮かべてそれをがっつき始めた。口の中をぱんぱんに張らして貪り食うその姿は小動物のようで可愛らしい。が、食べ方は案外汚い。いや、汚いというか菜食主義者……というよりかなりの偏食家のようだ。
例えば野菜炒めのような料理や海鮮パスタのような料理が出てきたのだが、器用にひょいひょいとフォークで肉や魚や貝などをよけて食べているのだ。とはいえ避けた肉や魚から出た肉汁等については無頓着なので、菜食主義というよりは偏食家なのだろう。
「しあわせ……」
少女の周りに花が飛んでいる。どうやら少女の腹の虫が治まったようだ。だが、少女は思った以上に小食だったようで、綺麗に肉類が残された皿の他にも結構な量の料理がまだ食卓には残っている。これは自分が食べなくてはいけないのだろうか……鉄兵は草食系男子に分類されるが、料理の嗜好は肉食系なので、少女の食べ残しを片付けるのはいいのだが、ちと量が多い。
はたと気が付いて厨房の方を見る。すると思ったとおり、まだまだ厨房では慌しく調理中であった。午後も遅い時間なので、現在客は鉄兵達しかいない。つまりあの調理中の料理は鉄兵達の物なのだろう。慌ててウェイトレスさんを呼んで注文を取り下げたが、時はすでに遅かった。作りかけの料理は流石にキャンセルできなかったので、テーブルの上には6人前の料理が並ぶ。考えてみれば人一人の一日分の食費が銅貨2枚なのだから、外食と言う事で多少色がついたとしてもワンコインで一食分の食事ができるのだろう。この世界の物価に慣れていないがゆえのミスであったが、そのツケは大きいようだ。
「えっと……まだ食えない」
「無理で~す」
6人前の料理を前に恐れおののき、縋るように少女に尋ねてみたのだが、固い拒否の意が込められた笑顔であっけらかんと答えられてしまった。諦めて一人で平らげるしかないらしい……
「……それじゃ、魔法について教えてもらって良い?」
しぶしぶと料理に手をつけながら鉄兵は少女を促した。行儀は悪いが食べながらでないと時間が勿体無い。それにしても料理が美味いのが救いだが、二日酔い直後にこの料理の量は本当にきつい。食べきれる自信は皆無だが諦めたらそこで試合終了である。
「それよりも、まずはやる事があるでしょ」
「やること?」
「あなたのお名前は?」
あぁ、と鉄兵は納得した。妙な展開でここまで来たので、未だ自己紹介すらしていなかった事にようやく気が付いた。
「鉄兵です。呼びにくかったらテツでいいよ」
「鉄兵ね。変わった発音の名前ね。私はリード。よろしくね」
少女がさらっと鉄兵の名前を完璧に発音したのを聞いて、鉄兵はちょっと驚いた。シロとイスマイルは鉄兵の名前を発音できなかったし、アリスにしてもちゃんとした発音をするには少しかかった。それなのに少女は即座に鉄兵の名前を完璧に発音したのだ。なんでだろうかとちょっと思ったが、少女が魔術師なのに関連があるのかなとか鉄兵は考えた。魔術師なら色々な言語を知っていそうだという理屈である。
「よろしく、リードさん」
「さんはいらないわよ。あ、けどそれも駄目ね」
リードの顔がなにやら人が悪そうに歪んだ。ちょっと嫌な予感がする。
「私のことは師匠と呼びなさい。少しの間だけど魔法を教えるんだからね」
リードが腕を組み、ドヤ顔を見せ付ける。
「……はぁ」
「なにか不満そうね」
不満と言うか呆れたのだが、どうやらリードのお気に召さなかったようだ。理由を言えといわんばかりに睨まれているが、果たして理由を言って良いものやら。
「師匠と言うには……」
「師匠と言うには?」
「……ちょっと幼いかな。ってギャ!」
その台詞を口にした途端にリードの手がこちらに向いたと思ったら、鉄兵は軽い感電状態を味わって、悲鳴を上げてしまった。これが魔法というものだろうか。
思い切って本音をカミングアウトしてみたのだが、正直なら良いというものでもなかったようだ。可能な限りの爽やかスマイルで誤魔化してみたのだが、リードには効果が無かったようだ。
「イタタ……」
「人を見た目で判断してはいけません」
「ごめんなさい」
小さい少女に大人の対応で怒られてしまった。ちょっと情けないので素直に謝る。
「それにこう見えても、私多分鉄兵より年上よ」
「それはまた……俄には信じがたい事実ですね」
リードの手がまたこちらに向いたので、鉄兵はまたあの感電状態が来ると思って身構えたのだが、いくら待っても衝撃は来なかった。リードの方を見ると、人の悪そうな笑顔をこちらに向けている。どうにも完全に弄ばれてしまっているようだ。
「ちなみに鉄兵は何歳?」
「21歳です」
「あ、じゃあやっぱり私のが年上だ。22歳だもん」
あっけらかんと言ったリードの言葉に鉄兵は少し驚いたが、そういえばリードは異種族だ。成長の仕方がちがくても不思議な事ではないのだろう。
「えーっと……師匠? は人間族じゃないですよね?」
「なんで師匠のところで疑問系なのか引っかかるけど、見ての通り私は半精霊族よ。見て分からない?」
「はじめて見ました。うちの地元には精霊族もいなかったので」
「そういえばこっちの方は人間族ばっかりだもんね」とリードが納得したように頷いた。ついでなので半精霊族の成長過程について聞いてみたところ、5歳くらいまでの成長スピードは人間族と変わらないらしいが、そこからはゆっくりと成長していくようで、大体2歳で人間族の1歳分の成長スピードらしい。ということは精神年齢は22歳でも、リードの肉体年齢はおよそ13.5歳である。幼い訳だ。
話が逸れたついでになんで行き倒れ寸前になっていたのかを聞いてみたところ、原因の半分はリルのせいだったようだ。リードは王都に住んでいるらしいのだが、この町に前から手に入れたいと思っていた珍しい魔術書が入荷されたと聞いてやってきたそうなのだ。ところが目当ての品は足元を見られて所持金限界までぼったくられてしまって旅費が無くなり、仕方ないので商隊の護衛の仕事でも受けて帰ろうと思ってたのだが、折り悪くリルの出現で街道は封鎖され、その間に路銀が尽きてしまったそうだ。
それでも今日の朝には王都行きの護衛の仕事が入ったらしいが、依頼主の商人に会ってみたらそれが幼女趣味の変態だったようで、あからさまに下心を含んだ視線を向けられたので、身の危険を感じて断ってきたそうだ。そういうわけで金はないわ腹は減るわで、背に腹は変えられないので今回購入した魔術書とは別の、それでも価値のある魔術書を本屋に売りに来たところで鉄兵を捕まえて今に至るというわけだ。
「それはまた、災難でしたね」
「ほんとに踏んだり蹴ったりよ。けど、鉄兵に会えて助かったわ」
にこやかに笑顔を向けられて、鉄兵はちょっと良心の呵責に苛まれてしまった。街道封鎖の原因を取り除いたのは鉄兵だが、封鎖の原因になったリルの飼い主は自分なのだ。なのでついつい口が滑り、余計な事を言ってしまった。
「えっと……王都に帰るだけなら、自分達も明日出発するんだけど、一緒に行く?」
「そうなの? どうしようかな」
リードは腕を組んで人差し指を唇に当て、視線を明後日の方向に彷徨わせて考え込む。数秒考え込んだ後、リードはニコッと笑って話を逸らした。
「ま、それはそれとしてそろそろ授業を始めましょうか」
「よろしくお願いします」
まあ縁が合ったとはいえ、うら若い女性が誘われるままに一緒に旅をするというのもおかしな話だろう。話を逸らされて鉄兵はむしろほっとした。
というわけでリードによる魔法の講義が始まった。簡単にまとめれば以下の通りである。
魔法の基本は、精霊を介して魔力を変換する事にあるらしい。魔力というのがなんなのかはいまいち不明だが、話を聞くに、連想されたのは元の世界ではとっくに否定されている第五元素であるエーテルのようなもののようだった。この世界のどこにでもあり、元素変換を行う作用があるようだ。原子の電子数でも操る触媒になっているのか、はたまた転移性のある物質なのか、詳しい事はまだ解明されていないらしい。とはいえ火が水に、水が土に変換できるというような便利なものではないらしく、それなりに制限はあるようだ。そこら辺を考えると、この世界は元の世界とは違う法則で成り立っているようだ。まあ元の世界の法則もあくまで既知世界内ではどうやらそんな法則があるようだというものが実験や理論により確認されているというだけなので、異世界ともなれば法則が違っていてもおかしくない事だろう。というか人型生物が竜になって氷の吐息を吐くような世界だ。元の世界の考えで考えるだけ無駄かもしれない。
とまあリードの目をじっと見つめて彼女の話に集中して聞いていたのだが、ふと鉄兵はリードの顔が段々赤く染まっていっているのに気が付いた。
「顔赤いけど大丈夫?」
「……本気で言ってるの?」
急な風邪でも引いたのなら大変だと、鉄兵はリードの身を気遣って聞いてみたのだが、意味不明な回答をされてしまった。ますます顔を赤くして、少し怒ったような口調で発せられたその言葉の意図がわからず、鉄兵は首を傾げるばかりである。
「はぁ……まあ良いわ。別になんでもないですよー」
リードはしばらくじっと鉄兵を睨んでいたが、やがて諦めたように溜息を吐いて話を再開した。
ちなみにリードの顔が赤く染まった原因は、鉄兵の例の天然流し目攻撃によるものであった。ややたれ目で話をする時に小首を傾げる癖がある鉄兵は、その仕草をするとまるで流し目をしているようになる。それで男でもたまにやばくなると評判のその天然の流し目を向けられて非常に困って(?)いたというのが真相なのだが、普段それほど親しくない女性と深く話す機会がなかった鉄兵はその事に気が付かなかったという話である。
さて、そんなどうでも茶番劇はさておき、魔法の話の続きである。
ともかくこの世界には魔力というものがあり、どこにでもあるものなので息をしていれば身体に溜まっていくものらしい。その魔力を変換して魔法と呼ばれる現象を起こすわけだが、種族や無意識魔法によって本能や備わった特殊な機関で魔力の変換を行える人も一部いるらしいが(例えばシロのような白竜なら肺に溜め込んだ空気中に含まれる魔力を舌の付け根にある器官で氷点下の空気に変換する等)、基本的にはそういった人以外は魔力を変換する能力はないらしい。ならばどうやって魔力を変換するのかといえば、そこで登場するのが精霊である。
精霊と言われる存在がどんなものかといえば、これまたよくわかっていないらしい。元の世界で言えば幽霊とかそんなイメージだろうか。とにかくこの次元とは少しずれた世界にいる存在らしく、たまに意思があったり実体化したりする個体もいるようだが、基本的に喋れも触れもしない存在らしい。基本的に精霊と呼ばれる存在は一つの種(?)であるらしいが、火の側を好むもの、水の側を好むもの、生物や樹木の側を好むものなど個性は様々らしく、好んで側にいたものの影響を受け、属性を得るらしい。そして精霊には魔力を属性に応じた元素に変換する力があるらしく、精霊と契約を交わしてその能力を使用する事を魔法というらしい。
契約とは言ったが、実際のところその言葉には語弊がある。事実としては無断で精霊の力を使用するわけで、ただ乗りというか、使役といった方が良いだろう。契約の方法は単純である。普段はずれた位相にいる精霊を半実体化させ、触れば良いだけのことなのだ。精霊に重なれば精霊の一部が身体に留まり、その能力を利用できるようになるらしい。そして言葉にするなりイメージするなりして精霊の能力を使い、魔力を使用すれば契約した精霊の属性に応じた魔法が発現するという仕組みだ。
魔法を使用するのに重要なのはイメージ力と言語能力のようだ。つまり魔力を元素変換する際にどのように魔力を配置し、どの精霊にどのように具現化させるかを鮮明にイメージする能力。そして体内の宿る精霊にそれを正確に伝える言語能力のようである。なお、精霊に正確にイメージを伝えるには、通常の言語でもある程度は伝わるらしいが、精霊独自の言語があり、そちらの方が上手く伝わり、ロスが少ないらしい。精霊の言語は精霊語と呼ばれており、発音が非常に難しく、一つの現象に対しての語彙がものすごく多彩らしく、しかも地方により使用されている言語がかなり違うため、ある程度は解析が進んでいるが、いまだ完全な言語体系は解明されていないらしい。ゆえに精霊語を学び、解明する事が主な魔術学者の仕事のようだ。ちなみに聞いたところによればリードも魔法を研究する学院で研究生をやっているらしい。
以下は魔術に関連するその他の情報についてである。
魔法には単純に魔術と呼ばれる今言ったものとは別に、神聖魔術と呼ばれるものと精霊魔術と呼ばれるもの。それに呪歌と呼ばれるものがあるらしい。神聖魔術はサクヤ教の神官達が使うものであり、精霊魔術はまれに精霊に祝福されているように精霊に力を貸してもらえるものがいて、魔力が低くとも魔術のような力が使えるものがいるようである。呪歌は精霊に共感するある波長の音を楽器を用いて出す事により精霊の活動を制御する技らしいが、非常に繊細な調整が必要らしく、使えるものも少ないとのことである。
マジックアイテム作成の技術についてはリードは専門ではないのでよく分からないらしいが、どうもミスラルと呼ばれる金属を使用するか、精霊刻印と呼ばれる精霊語を文字にしたものを使用して作成するらしい。
ちなみに精霊族と精霊の間になにか関係あるのかと言えば、特に関係はない。精霊族は魔力保持限界が高いのとともに、他の種族とは違い唯一自力で魔力に干渉できる能力があるというだけなのだそうだ。それが精霊っぽいから精霊族と呼ばれているそうな。
以上がリードによる講義の内容であった。
9/5:文章訂正
「頑張って食べるしかないか……それじゃ、魔法について教えてもらって良い?」→「……それじゃ、魔法について教えてもらって良い?」
11/9:指摘いただいた脱字修正
「この町に前から手に入れたいと思っていた珍しい魔術書が入荷されたと聞いてやってきそうなのだ。」→「この町に前から手に入れたいと思っていた珍しい魔術書が入荷されたと聞いてやってき[た]そうなのだ。」