魔法入門
「テツよ。そろそろ昼だぜ」
「うぅ……」
頭が痛かった。物理的な意味で。それも相当酷く。
完全な二日酔いだった。あの後、妙な不安に苛まれてシロに勧められるままにワインを五本も六本も飲み干してしまったのが悪かったのだろう。そこそこ酒は強い方なのだが、どうやら完全に許容量オーバーだったようだ。
ひょっとしたら例の強化能力が働いて二日酔いも起きないんじゃないかなとか甘い事を考えていたのだが、現実はそこまで甘くないらしい。まあ毒物が自動的に中和されるというのなら酔っ払うわけがないので少し考えてみれば分かる事だったのだが……
「だらしねぇなぁ」
苦笑気味にシロが笑う。頭に響くからあまり笑わないで欲しい。それにしてもシロだって同じような量の酒を飲んでいたわけだが、どうしてあんなに元気なのだろうか。不公平だ。
とまあ朝からシロはちょくちょくやって来ては鉄兵をからかって去っていくのだが、その度に水を置いていってくれた。恨んでいいのか感謝すべきなのか微妙なところだが、面倒見がいいのだけは確かだろう。
そんな具合に午前中をベッドの上でへばって過ごし、昼も過ぎてやや太陽が西よりに傾き長けた頃になってようやく鉄兵は身体を動かせるようになってきた。相変わらずシロにからかわれながらベッドのへりに座ってうなだれながら水を飲むのが限界だが、この調子ならもう少しすれば起き上がれるようになるだろう。
「なんだ。鉄兵はまだへばっていたのか」
そんな風にグダグダとした時間をシロと過ごしていたら、ドアがノックされてアリスが入ってきた。会って早々ご挨拶だが、言い返す気力も無いので軽く手を上げて返事を返す。
「ご覧のとおりさ。まったくだらしねぇだろ?」
「そうだな。だらしない。だが私としては鉄兵もやはり人間なのだと分かってほっとしている」
酷い言われようだが言い返す気力も無いので以下略。
「あばたもえくぼ……かねぇ」
「なんだそれは?」
「さてな。古い友人の言ってた言葉さ。それよりどうしたんだお嬢ちゃん」
「大した事ではない。これを渡しに来たのだ」
そういってアリスが差し出した小さな袋をシロが受け取りちらりと中を確認する。そこからシロがなにやら金色の丸いものを一枚取り出すと、その袋をこちらに放り投げてきた。受け取って中を見てみると、1円玉ぐらいの大きさの白金の硬貨が3枚と金色の硬貨が3枚入っていた。これが小白金貨と小金貨なのだろう。
「ガルムには元々5000オズの賞金をギルドの方にかけていた。リルの脅威度から考えれば安いのだが、元々ガルムとして考えて賞金を出していたからそこは了承して欲しい。それと私の取り分は引かせてもらった。申し訳ないがこちらも経営が苦しいのだ。私が自らガルムの討伐に赴いたのも経費削減の意味合いがあったのでな」
オズはお金の単位である。オズワルド王国の貨幣だからオズとは随分と安直であるが、まあそこは突っ込んではいけないところだろう。分かりやすいのは良いことだ。
昨日店を見て回った限り、元の世界とは物の価値が違うので一概には言えないが、どうやら1オズ(銅貨一枚)=100円程度の価値のようだった。という事は今もらったのは3300オズだから日本円に換算すると34万円。元の世界で言えばティラノサウルスを一匹倒してその値段なのだから高いのか安いのか悩むところだが、この世界は物価が安いようなので結構な額に思える。さっさと稼がねばと思っていたのだが、棚ボタ的に収入を得てしまった。
ちなみに物価としては人一人の一日の食費が小銅貨2枚程度、宿賃は小銀貨1枚程度。一般的な職業の収入が月給小金貨3枚程度なので、今もらった額は一般的な年収にほぼ近い。シロと分けたとしても贅沢をしなければ半年は生きていける計算だ。
なので鉄兵は二日酔いも吹っ飛んで喜んでいたのだが、シロの感想は違うようだった。
「まあもらえるものはもらっとくぜ。赤字だけどな」
その言葉に吃驚する。もはや二日酔いは完全に吹っ飛んだ。
「赤字って……なんで?」
「ロープが切れちまっただろ。あいつは5000オズはしたからな」
ロープ一本50万! 一般的な年収の1.5倍のロープってどんなのだ? と思ったが、良く考えてみればあれは魔法でコーティングしてあるとか言っていた気がする。
「マジックアイテムって高いんだな……」
「まあ作れるやつもあまりいねえし、手間がかかるからな」
そういうものかと鉄兵は頷いた。ちなみにシロがなんでそんなものを持っていたのか聞いたところ、使う状況は色々あるが、主に旅の途中で崖などがあった時にハルコさんを下ろしたり引っ張りあげたりすためなどに使っていたそうだ。白竜になって運べばいいような気もしたが、そう言ってみたところ「森の中でアレになると回りの木々をへし折っちまうからな」と妙に常識的な答えが返ってきた。変なところで常識人である。
魔法といえばそういえば。
「そういえば、魔法ってどう使うの?」
と聞いてみたのだが、何を言っているんだと言わんばかりに不思議な顔をされてしまった。
「おまえさん、魔法なら使ってなかったか?」
「そうだぞ。何を言っているのだ?」
そういえば魔力吸収も魔力賦与も伝説級の魔法だと言っていた。なら念じれば火でも出るのか? と思って窓の外に右手を適当に突き出して念じてみたが、魔力は放出されるものの、火など出そうもなかった。
「……おまえさん。まさか本気で言っていたのか?」
「僕はいつでも本気です……」
シロに呆れられてしまった。今の格好を冷静に省みる。非常に恥ずかしい……
「つくづく規格外という事か。ということは魔力吸収・賦与は鉄兵の無意識魔法なのだな」
「無意識魔法?」
「うむ。本来魔法は精霊と契約を交わさねばならぬらしいが、稀にそれを為す事無く使えるものがいる。例えばサクヤ様の治癒魔法がそうであったようだ」
なるほどと頷く。そう考えると謎の翻訳機能も肉体強化も無意識魔法なのかもしれない。ひょっとしたら治癒魔法とかも使えるのかなと思ったが、今のところ誰も怪我をしていないの試しようも無かった。二日酔いの時に試してみればよかっただろうか。
「しかしそれだけの魔力を持ちながら魔法を使えぬとは勿体無い話だな。とはいえ私は魔法に詳しくない。シロはどうなのだ?」
「いや、俺も多少使える程度だな。魔力もあんまりないし、せいぜい火打ち石代わりに火の精霊と契約した程度さ。契約のやりかたも忘れちまったな」
そう言って人差し指を立てたシロの指先から小さな炎がポッと出た。おぉ魔法だと驚く鉄兵は、以前にも目の前で同じ事があったのだがそのことは覚えていない。
「この町には魔術師ギルドもないし……しかしそうだな。本屋に行けば初級魔術の参考書くらいは売っているかもしれん」
「そっか……それじゃ本屋に行ってみるかな」
実のところ魔法にはそれほど興味は無かったが、どうせ明日までは暇なのだ。懐も温まった事だし、魔法を試してみるのも悪くは無い。それに本屋にも興味がある。昨日町を歩いた感じ、店の看板や値札などの文字は読めないものの理解が出来た。本に対しても同じように理解できるかどうかは確かめたいところだった。
というわけでもらったお金を山分けして出かけようと思ったのだが、金をシロに渡そうとしたら
「もっときな。先立つものは必要だぜ。貸した分だけもらっとくさ」
と突っぱねられてしまった。さっき金貨を一枚だけ抜き出したのは、昨日使った鉄兵の装備の経費だったようだ。
鉄兵は少し考えたが、シロの言葉に甘えておく事にした。シロの言うとおり、先立つものは必要である。
「それじゃとりあえず借りとくって事で」
「さてねぇ、俺は人に貸しても忘れちまうからなぁ」
ニッとシロが笑う。まったくもってシロは江戸っ子でもないのに江戸っ子気質だ。ならその流儀にしたがって、違う形で返すしかないかなとか鉄兵は考えて覚えておく事にした。
「んじゃちょっと出かけてくる」
「今から行くのか。鉄兵はこの町に慣れてないのだろ? 少し待ってくれれば私も案内が出来るのだが」
「町くらい一人で歩けるさ。子供扱いするなって」
例え道に迷ってもそこらの人に聞けばどうにでもなるものだ。なので冗談めかして断ったのだが、なぜかアリスは「そうか……」寂しそうな表情を見せた。アリスも町に出て遊びたかったのかな? とも思ったが、とりあえず本屋が気になったので気にしないことにする。
「迷子になるなよ」
「アホ抜かせ」
ニッと笑うシロにデコピンを食らわせるマネをすると、鉄兵はお金の入った袋をポケットに詰めて外に出た。
詰所の外に出るとリルが寄って来て
「つれてって! つれてって!」
と甘えてきたのだが、どう考えても人に慣れてないだろうリルがあの人並みの中を歩くのは危険そうな気がしたので
「ごめんねリル。その姿のリルだと町は危険だし、大きくなったらみんなが怖がっちゃうから、リルはここでお留守番してみんなを守って欲しいんだ」
と諭してみたら、リルの返事は
「リル、おるすばんする! みんなまもる!」
と真剣そのものだった。本当に健気な姿が可愛くて頭を思いっきり撫でてやる。
「それじゃ頼んだよ~」
と鉄兵は、門を曲がってリルの姿が見えなくなるまで手を振って詰所を出て行った。
というわけで本屋である。
ちなみにここに来るまでに裏道に迷い込んでゴロツキに囲まれたり、道を尋ねて案内してくれるという親切な人がいたのでついていったらゴロツキに囲まれたりしたのだが、適当にゴロツキの上をジャンプして逃げたりと大した事はなかったので割愛する。アリスは頑張っているようだが、あまり治安の良い町ではないようだ……まあ路地裏と言っても相当深いところに迷い込んでしまったらしい気はするが。ともあれ本屋である。
本屋に入ると、なんだか懐かしい匂いを嗅いだ気がした。
本屋の中を見て納得する。黄色い背表紙の本が並ぶその本屋は、本屋と言うか古本屋であった。多分、これがこの世界では一般的な本屋なのだろうというのは、適当に本を選んで開いてみたらすぐに分かった。紙は羊皮紙とかではなかったにしろ結構粗雑なものだったし、活版印刷技術もまだないようで、全部手書きだった。ここにあるのは原本もあるだろうがほぼ写書なのだろう。鉄兵はとりあえず製紙技術と活版印刷技術だけはアリスに頼み込んでどうにかしてもらおうと思った。どうせ会う予定だし王様に頼み込んでも良いかもしれない。
実際のところ鉄兵は今、この世界に来てから一番の衝撃を受けていた。書籍文化の発達してない文明など耐えられそうにもなかったのだ。文明の発達には書籍の強化は一番に必要な事である。それは理系文系問わずに重要な事であった。
しかしまあ、それはそれとして今は魔法の本である。さて、どこにあるのだろうか?
「すみませ……ん?」
ちょうど後ろを通る人がいたので店員かと思い声をかけたのだが、声をかけた瞬間に明らかに間違えだと気が付いたので声が止まり、さらにはその人物の容姿に驚き、疑問の声が思わず出た。なぜ明らかに店員ではないのかというと、店員というには明らかに幼く、その格好も店員のものとは思えなかったからである。
声をかけた少女は、どうみても中学生程度の少女であった。にしては目に知性があったのだが、身長は130cm程度と低く、色々と発展途上な部分は別として、白を基調とした身軽そうな服にマントを羽織ったその服装はどう見ても本屋の店員には見えない。
そして容姿はと言えば、耳が非常に長かった。まさに某映画で見たエルフである。多分これが精霊族というものなのだろうが、耳以外には話に聞いた精霊族との差異はないし、ひょっとしたらハーフなのかもしれない。
おまけに勝気そうに見える釣り目が気になるものの、飛びっきりの美少女である。長い金髪を赤いリボンでツインテールにしてたりと、友人に借りた漫画にこんなキャラがいたので「これはまたテンプレートな異種族だな」とか思ったが、可愛いものは可愛いし、だからこそテンプレートになるのだろうな。などという不埒な考えが、この一瞬の間に鉄兵の頭の中を過ぎった。
とまあ鉄兵は驚きのあまりジロジロ見てしまったので、非常にぶしつけな目で目の前の少女に睨まれてしまった。
「なに、ナンパ?」
「いえ違います」
手のひらを横に振る。そこは違うのでしっかりと否定する。ついでに子供に手を出す趣味は無い。
「魔法関連の本はどこか店員さんに聞こうと思ったら間違えただけです。店員さんじゃないですよね?」
「魔法関連の本ねえ……こっちよ」
「え……?」
腕を掴まれ、強引に引っ張られる。やっぱり間違いだったのは間違いで、店員だったのだろうか?
とまれ鉄兵は少女に手を引かれ本屋の一角に案内された。
「魔法関連の本はこの一冊だけみたい。しけた本屋よね」
「はあ……」
口が悪い子だなぁとか思いつつも、とりあえず今の言葉で店員じゃなさそうだなと鉄兵は推測した。ならなんでこんなに強引なのかなと思ったが、今のところそういう性格なんだろうなと思うしかなさそうだ。
とりあえず少女に渡された本を見てみる。題名はずばり「初めての魔法」である。本当に初心者用の書物しかなかったようだ。ぱらぱらっとめくってみる。基本となる精霊の事や基本の魔法の系統と詳細。それに一般的な用途などが書いてあって空想小説の詳細設定でも読んでいる様な感じだが、これはこれで面白い。
「ねぇ、魔法に興味があるの?」
とりあえず買って帰ろうかなとか考えていた矢先、不意にそんな声を掛けられた。見ればさっきの少女がまだ横にいた。結構な時間立ち読みをしていた気がするけど、ずっとここにいたのだろうか?
「まあね。最近になって魔力が結構あるって言われたから試してみようと思って」
「魔法、教えてあげようか?」
少女の言葉に鉄兵は首を傾げた。とりあえずそんな事を言うと言う事は少女はどうやら魔術師だったようである。言われてみれば格好もそれっぽいし納得だが、どうしてそんな話になったのだろう?
「……えっと、逆ナン?」
「違うわよ!」
少女が顔を赤らめて怒る。どうやら違ったようだ。となれば考えられる原因は?
「暇なの?」
「……うん、暇なの。お金も無いし」
それもどうかなと思いつつも言ってみたら正解だったようだ。どうやら家庭教師の営業のようである。少女は赤らめた顔をさらに赤らめ、俯いてしまった。
ともあれそういう事なら本職の話を聞くのも悪くは無い。
「幾ら位?」
「そうね。大負けに負けて時給10オズでどう?」
時給銀貨1枚のようだ。一日の宿代に相当する金額だが、大負けに負けていると言う事は安いのだろうか?
「負からない?」
「え……」
試しに値切ってみたらかなり絶望的な顔をされてしまった。演技にも見えないし、どうやら本当に相場より相当低いらしい。
「わかりました! 10オズでいいからそんな顔しないで!」
「ほんと!」
少女の顔がぱぁっと華やいだ。美少女の笑顔は良いものである。言うなればそれは駄目な大人ならばそれだけで10オズ(1000円)と言わずそれ以上貢いでしまいそうな笑顔であった。
「えとね……それと条件があるんだけど……」
少女が顔を赤らめる。と同時にどこからかクーと可愛らしい音がして、少女はこれ以上ないほどに顔を赤らめた。
「……前払いで、とりあえずおごりますので食事をしながらお話を伺ってよろしいですか?」
「ありがと……」
少女の本当に追い詰められて感謝するような潤んだ瞳は、鉄兵の保護欲を刺激するに十分なものであった。
9/2:文章修正
「……うん、暇なの」→「……うん、暇なの。お金も無いし」
「それもどうかなと思いつつも言ってみたら正解だったようだ。」と「少女は赤らめた顔をさらに赤らめ、俯いてしまった。」の間に「どうやら家庭教師の営業のようである。」を追加
「道を尋ねて案内してくれるというのでついていったら」→「道を尋ねて案内してくれるという親切な人がいたのでついていったら」
「相当深いところに迷い込んでしまったらしい気はするが」。→「相当深いところに迷い込んでしまったらしい気はするが。ともあれ本屋である。」
2012/7/17:指摘いただいた脱字修正
以前にも目の前で同じ事が[]っのだがそのことは
→以前にも目の前で同じ事が[あ]ったのだがそのことは