1日目④
街へ着いたのは、丁度夕暮れ時だった。
森から出た後、村は横を通り過ぎただけだったので、ウーノがこの世界の人里をしっかり目撃したのは、これが初めてだった。
石造りの家々が立ち並ぶ、美しい街並みの中、大通りを魔導車が行きかっている。
ウーノはそんな初めて見る景色を、物珍しく思いながらキョロキョロと見まわしていた。
しばらくすると、ミーシャはいつも利用しているのだという宿の前に魔導車を止めた。
「よし……ウーノさん、着きました。これ、お財布です。中に入っている緑のカードが宿の会員証なので、それをフロントに渡して、私の名前を言ってください。そうすれば、部屋に案内してくれます」
「よっと……ミーシャちゃんは?」
ウーノは鐙から延びる縄梯子を使って、自力で下馬した。昼飯の後、乗り降りを教わったのだ。
彼は荷台から手荷物の入ったカバンを取ると、ミーシャを見上げた。
「私はこれから、冒険者ギルドに行って、素材を売ってきます。もう夕方で役所は閉まってますし、ドレスコードもあるので。明日、届け出を出しに行きましょう」
「冒険者ギルド!?実在したのか……どんなとこなの?俺も一緒に行っちゃだめ?」
そういえばミーシャは冒険者をしている、と言っていた。その言葉を聞いた時はシリアスな会話だったので受け流してしまったが、ラノベの中でしか聞いたことのない単語の登場に、ウーノは目を輝かせた。しかし見上げられた先のミーシャは、困り顔である。
「えっと……荒くれ者や、ギリギリ犯罪者じゃない、みたいな人が多くて、危ないので……帰ってきたら、話してあげますから……」
「そっか……残念。じゃあ、部屋を取ったら、少し散歩でもして……」
ウーノがそう言いかけると、ミーシャは焦った様子で彼を引き留めた。
「だ、ダメです!絶対に、ダメです!男の人が、初めて来た街を、夕暮れ時に歩くとか……すぐ襲われちゃいますよ!」
ミーシャの慌てぶりにウーノは首をかしげたが、少し考えて納得がいった。
確かに、外国に来た観光客の日本人女性が夕暮れ時に一人で出歩くのは、平和ボケしている、として非難される行動だろう。
今の自分はまさしく同じ。この世界では、男性の自分が襲われる対象になってしまうのだ。
「あ、そっか。ごめんごめん、迂闊だった」
「わ、分かってくれれば、良いんです……わ、私の方こそ、ごめんなさい。あの、これは決して、ウーノさんを弱い者扱いしてる、んじゃなくて……」
ミーシャは一転して、申し訳なさそうに謝った。昼飯の時の会話もあって、気を遣わせてしまったようだ。
「いやいや、気にしてないから。まあ、大人しく部屋で待ってるからさ、お土産話、期待してるよ」
ウーノは苦笑しつつミーシャに手を振って見送った。
彼女の魔導車が見えなくなると、ウーノは3階建ての立派な石造りの建物、『創業100年!宿屋 虎の王城 へようこそ!』と看板が掲げられた宿屋へと、入っていった。
少し重い木のドアを開けると、大きなソファといくつかのテーブルセットが置かれた、小さなラウンジがあった。その奥で、カウンターに頬杖をついた女性が、暇そうに鍵の束をクルクルと指で回していた。ウーノと同じくらいの年頃で、ミーシャと同じような黒髪碧眼、背中まである髪を後ろに一つにまとめていた。
「お、いらっしゃーい。お兄さん、一人?男の一人旅だなんて、危険だよ」
「いや、妻が後で戻ってきます。ミーシャって言うんですが……」
ウーノがカードを差し出すと、女性は頬杖を崩し、カウンターに顎を強打した。手元の鍵束がウーノの横を飛んでいく。
「ちょ、大丈夫ですか?これ、鍵……」
「いてて……ああ、どうも……え、マジ?あの泣き虫ミーシャが、結婚?お兄さん、弱みでも……って、アイツにそんな度胸ないか。いくら積まれたの?」
女性はよほど衝撃的だったのか、ウーノをまじまじと見つめた。真っ当な手段で夫を見つけた、とは思っていないようで、金で買われたのか、などと言ってくる。
ウーノはその言葉に少しムッとした。まあ、確かに関係の始まり方はだいぶ強引、というか強漢であるが、ウーノはミーシャを好きで結婚したのだ。想いを疑われるのは心外だった。
「……妻を悪く言わないでください。俺は、彼女と好きで結婚したんです」
ウーノは声を低くして言うが、女性は未だに信じられないようで、顎をさすりながら首を傾げた。
「ああ、そう……はい、これ103号室ね」
謝罪の言葉もなく、女性は鍵束から一本の鍵を取り出して、ウーノに手渡した。
モヤモヤしつつ、ウーノは指定された部屋の方へと歩いて行って、ふと思いついた。
「そうだ、今日の新聞、昨日のでも古新聞でもいいんですけど、ありますか?」
「何に使うの?なんか包装でもするの?」
「いや、世間の様子を知るために、読みたいな、と」
ウーノが説明すると、女性は怪訝そうに眉をひそめた。
「男のくせに新聞を読みたいとか、お兄さん変わってるね……まあ、変な人じゃないと、あんなのと結婚しようなんて思わないか……捨てるつもりの古新聞あるから、まとめて後で部屋に持ってくよ」
ウーノは頭を下げてから、103号室へと入っていった。
靴を脱いで下駄箱に入れながら、彼はため息をついた。
「男のくせに、か……」
ミーシャから渡されていたローブを脱いでパンイチのまま、ウーノはベットに飛び込んだ。
旅用の頑丈なローブだったが、素肌に着るのはゴワゴワして肌触りが良くなかった。
そんな服を脱ぎ捨てた解放感を味わいながら、ウーノはままならない感情を抱えていた。
「知ってはいたけど、いざ体験すると、きついな……」
貞操逆転、それは女が男に告白するのが当たり前の、童貞には優しい世界だ。おかげで父子家庭育ち元男子高生でも、年下美少女と結婚できた。
しかし、男尊女卑、それは彼に新しい女性に対するコンプレックスを生み出すものだった。
現代日本では、それなりに男尊女卑・家父長制的価値観は薄らいで来ていた。しかしこちらの世界では以前の世界の1900年代初頭のような、昭和を通り越して明治大正のゴリゴリ女尊男卑・家母長制的価値観なのだ。魔物を狩れない非力な男に自己決定権などない、男は家で計算作業と家事をしてればよろしい、な時代である。
女性を守りたい、養いたい、上に立ちたい。やや昭和的価値観を持っているウーノにとって、これは極めて心に来る問題だった。
「新聞読みたいっていうだけで、ああ言われるのか……」
あの女性の発言は、別に彼女だけが特段差別的なのではない。大体の女性が、あんな感じなのだ。
臆病でコミョ障で胸が小さい、と自分の女性的価値を低く見積もっているミーシャだからこそ、ウーノが『生意気』を言っても怒らず、むしろ譲歩してくれるのだ。
「本当に、出会ったのがミーシャちゃんで良かったな……他の女の人だったら、どんなに顔が良くてもストレスだったかも」
そう思うと、より一層ミーシャが好きになった。今晩は優しくしてあげよう。
ウーノがそんな風に考えていると、ドアがノックされた。
「お兄さん、新聞持ってきたよ」
「ああ、ありがとうございます」
ウーノが起き上がって急いでドアを開けると、先ほどの女性が新聞の束を抱えて立っていた。
「ちょいと、カギ閉めないなんて、不用心だ……よ……」
女性は新聞の束をドサリと落とした。目を丸くして、視線がウーノの胸元から下半身へと、舐めるように流れていく。
「ど、どうかし……うおっ!?」
ウーノは女性にドンと押されて、後ろに倒れた。しかし、床に尻もちをつく前に、風のクッションが彼を支えた。そのまま先ほど倒れこんでいたベッドにフヨフヨと運ばれた。
「へへ……お兄さん、とんだ雄犬だね。どうりでアイツが結婚できるはずだよ。ヤリチンなんだから、女なら誰でもいいんだ?こんなスケベな体して、恥ずかしくないの?」
そう言って、女性はウーノの腰の上にまたがった。舌でチロリと唇を舐めて、後ろに手を回した。一つにまとめていたお下げが解け、ぱらぱらと背中まである髪が散る。
「……オーケイ、何か勘違いが起きているようですね、お姉さん?俺は断じてヤリチンではなく、妻以外に経験したことはないし、当分は経験する予定もありません」
身に覚えのある展開に、具体的には昨日の今と同じくらいの時間帯に経験した展開に、ウーノは冷汗を垂らした。
「今頃清楚ぶっちゃって……パンツ一丁で扉開けて、誘ってないわけがないでしょ?ミーシャの胸は小さいから、満足できなかったんだね。アタシのは、ん……ほら、大きいよ?」
女性は上着を脱いで、上半身を露出させた。ミーシャの胸は目玉焼きサイズだが、目の前にはメロンがブラジャーに包まれて実っていた。
そう、以前の世界の感覚で対応してしまったが、若い男性が下着姿で扉を開けたら、この世界では抱いてもOKサインなのだ。
まあ、現代日本でも下着姿で女性の前に出るのはだいぶアウトだが……普段家で父としか応対してこなかったウーノは、パンイチで扉を開けることに抵抗が無かった。いつもの感覚でドアを開けてしまったウーノは、丁度どちらの世界でもアウトな行動を取ってしまっていた。
「デカッ……じゃなくて、あの、いや、本当に、困りますよお姉さん。こういうの嬉しくないって言うと嘘になるけど、まだ気が早いっていうか……」
そう言い訳しつつ、ウーノの目線は胸に吸い込まれていた。
「へへ、体は正直だね、お兄さん。あぁ、この胸筋に腹筋、ソソルじゃないかい!良い体してんねぇ!さあ、気持ちよくしてあげる……」
「ちょまっ!?ミーシャちゃんゴメン!俺もうだめかも!大好き!」
頬を両手で挟まれ、唇が迫ってくる中、ウーノは目を閉じて叫んだ。
そうして訪れるであろう、柔らかな感触をちょっと楽しみにしつつ待っていたが、いつまでたってもそれ来なかった。
恐る恐る、そして少し残念に思いながら薄目を開けると、目の前の女性はそっぽを向いて、黒い髪をブワッと逆立てていた。
ウーノがその視線の先を見ると、そこには長い髪をユラユラと浮き上がらせて、瞳を昏く燃え上がらせた、ミーシャがいた。
「深き水底よ……全てを飲み喰らう、忘却の闇よ……我が敵に、永劫の空虚を教え給え……」
ミーシャの周囲には、黒い水球が3つ、プカプカと浮いていた。
いつもより2オクターブ低い声で何やら物騒なことを呟いている彼女に、女性はウーノの頬から手を放し、両手を突き出した。
「禁術を人に向けるなんて、随分と成長したねえ、泣き虫ミーシャ!男を取られるのがそんなに嫌?」
そう叫ぶと同時に、彼女の両手から高出力の水のレーザーが発射された。
「うるさいです、イネッサ……ウーノさんが嫌がってるじゃないですか。早くその邪魔な脂肪の塊をしまって、臭い股をどけてください」
ミーシャはそう言うと、黒い水球を迫ってくるレーザーにぶつける。黒い水球とレーザーは拮抗しているが、レーザーの水は先端からどんどんと黒く染まり始めた。
「へへ、アンタ、そんなに早口で喋れたんだ!いつものドモリはどうしたの……っとお!?」
手元の水まで黒く浸食されたところで、その女性、イネッサはウーノの上から飛び退いた。黒く染まったレーザーは術者を失って勢いをなくし、床にビチャビチャと落ちる。落ちた先で黒い水は、不定形にプルプルと、まるでスライムのようにうごめいていた。
イネッサは部屋の隅に着地すると、手を叩いてから広げる。するとその両手の間に、青白い剣が作り出された。切れ味を試すように床を薙ぐと、水しぶきと共に床板が跳ね上がる。
それに答えるようにミーシャも、手を合わせて顔の前で広げる。似たデザインの青白い剣が生み出され、彼女もまた壁を切って見せた。壁紙がめくれ上がり、水滴が噴き出す。
魔力を凝縮して武器にする魔法、『魔法剣』である。
「次は、その胸の下品なのを仕舞ってください。出来ないというなら、切り落としてあげます」
「やれるもんなら、やってみな」
イネッサが挑発的に笑うと、ミーシャはじりじりと彼女へと距離を詰め始めた。
イネッサは大上段に、ミーシャは正眼に剣を構えている。
「ストップ!ストーップ!!何か悲しい勘違いがあったみたいだから!俺のために争わないで!」
あと一歩で互いの間合いに入る、そんなタイミングで、ウーノは叫んだ。
俺(私)のために争わないで、一度は言ってみたいモテセリフだが、こんな状況では達成感など感じる暇は無い。動きを止めた二人の間に、何とか割り込む。
先にミーシャが構えを解いた。剣を放り投げると、それは床の上で雲が晴れるようにサッと消えた。
「大丈夫ですか?ウーノさん、あの女に、ひどいこと、されてませんか……?」
ウーノの方に駆け寄ったミーシャは、彼の全身をペタペタと撫でた。
「ま、まあ、まだ清い身?のままだから、安心して」
「はい……あ、あの、ウーノさんが、あの女に押し倒されても……私のこと、大好き、って言ってくれたの……すごく、すごく嬉しかったです。私も、何があっても……ずっと、ずっと大好きです……」
ミーシャがうっとりと、裸のウーノの胸に頭を寄せた。ウーノもそんなミーシャを優しく抱きしめた。
一時の欲に負けずちゃんと愛を貫いてよかった。もし負けてたら?それは考えないことにした。
「あのー、勝手に盛り合わないでもらえる?アタシのこのムラムラ、どう責任取ってくれんの?」
二人の世界に入っていたウーノとミーシャに、イネッサは声をかけた。彼女も剣を捨てて、いつの間にか服もしっかり着ていた。
「黙っててください、イネッサ。どうしてあなたがいるんですか?普段はオバサンが受付してるはずですよね?あなたがいると知っていたら、ウーノさんを一人にしたりしなかったんですけど。あなたみたいな女に、ウーノさんを合わせたくなかったのに」
「あいにく、お袋は街の会議に出てるよ。だから今日の受付はアタシ。で、そっちの彼が誘ってきたからノッてヤロうとしてたら、アンタが邪魔しに来たんだよ。分かったらどいてくれる?」
「うるさいですね、後で殺しに行くのでどっか行ってください。短い余生で、精々マス掻いて待っててください」
うんざりとした声音で、ミーシャは物騒なことを言う。
初めて見る妻の様子にびっくりしながら、ウーノはミーシャをたしなめた。
「ちょ、喧嘩しないで……」
「そもそもさあ、原因はアンタにあるの、ミーシャ。アンタの胸が小さくて夫を満足させられないから、そっちの……ウーノ?ってのが、アタシを誘惑してきたの。へへ、くぎ付けだったよねえ、あたしの胸にさ」
イネッサの言葉に、ミーシャは彼女の方に向けていた首をグリンと振って、ウーノを見上げた。
その瞳の色は、見覚えがある。台風の後の海の色だ。
「そうなんですか、ウーノさん?私の胸が、小さいのが、いけないんですか?」
「ち、違う違う!誘惑してない!断じてしてない!」
ウーノは必死に否定するが、ミーシャの目は胡乱なままだった。
「えー、でも、あんたアタシのこと、その格好で出迎えたじゃない。それでその気がなかった、は通用しないでしょ」
その格好、パンイチ、である。
イネッサの発言を聞いた瞬間、ミーシャは脱力してしまったようだ。ウーノの胸に彼女の軽い体重が押しかかった。
「……やっぱり、そんな気は、してたんです。手慣れたイネッサなら、きっと服をバラバラにして逃げられないようにするって……なんとなく、身に覚えがある事態が、起きている気がするから……すぐには殺さないで、まずは追い払おうと思ったんです」
「おいおい、アタシがそのプレイをするのは同意があった時だけさ。アンタと違って、男に困ってないんだから。無理やり襲うほど飢えちゃいないよ」
「今襲ってたじゃないですか!」
「そりゃあ誘われたからねえ」
イネッサの言葉に額に青筋を立てつつ、ミーシャは深いため息をついた。
そう、大事な夫が襲われていたのを目撃した瞬間、ミーシャはイネッサ殺害を決意していた。しかし、殺意を禁術に変換していく過程で、ミーシャの脳裏で一つの可能性がよぎったのだ。投げ捨てるでもなく、ベットから離れた上着掛けにわざわざ吊るされたローブ。それが意味することは、ウーノは自分で服を脱いでいたのではないか、と。イネッサがウーノを押し倒した時には、彼がすでにその格好だったのではないか、と。
「あのー、ミーシャちゃん?」
どこか疲れ切った様子の妻を心配して、ウーノはミーシャの肩をゆすった。
彼女はそれには答えず、抑揚のない声でイネッサに沙汰を宣告した。
「……イネッサ、今回のことは、水に流してあげます」
「そう。まあ、ありがと?ところで、はがれた床板と壁紙の修理代金だけど……」
「それは私の夫に手を出そうとした報いです」
ミーシャがピシャリと言い放つと、イネッサは肩をすくめて、部屋を出ていった。
二人っきりになった室内、ミーシャは未だに、ウーノにぴったりとくっついていた。
しかし、その密着具合は、親愛や愛情を示すためではなく、むしろウーノを逃がさないようにするための、拘束に思えた。
「……そして、ウーノさん」
「……はい」
ウーノはごくりと唾を飲んだ。
「エッチ過ぎます!反省してください!」
ミーシャは涙ながらに叫ぶのだった。




