1日目①
チュンチュン……
異世界であっても、小鳥のさえずりは同じようなものだった。
その鳴き声に誘われるように、薄明かりの中で一つの影が身を起こした。
「腹、減ったな……」
昨晩は激しかった。ウーノは饐えた臭いの戦場跡地を眺めた。
ベッドのところどころに、まるで砲撃のクレーター跡にできた水たまりのように、未だに乾かぬ体液がこびりついている。
しわだらけになったシーツはさながら幾重にも重なった塹壕線であり、脱ぎ散らかされた衣類はまるで戦場に取り残された戦死者のように散らばっていた。
そして、色とりどりの白に着色されたベッドの中央に、小さな赤いしみがあった。さながら白黒フィルムの戦争映画の中で、唯一着色された主人公の亡骸のように、鮮烈なイコンになっている。
そんな中で、唯一美しいと言える存在は、一糸まとわぬ姿で胎児のように丸まって眠る、ミーシャの姿だった。
カーテンの隙間から差し込む朝日に照らされる彼女は、周囲の惨状に目をつぶれば、神聖な宗教画から切り取られたかのように、神秘的で清浄な美しさを誇っていた。
「……飯、作ってみるか」
しばらくそんなミーシャの髪を何となく梳いていた彼は、なるべく音を出さないように立ち上がった。
小さいログハウスはワンルーム、LDKがすべて合体している。キッチンの場所はすぐに分かる。そして、知恵の実の知識で魔法が使えなくても魔法の恩恵にあずかれる『魔導具』の存在も知っていたし、使い方もなんとなく理解できた。
簡単な朝食くらいは作れるはずだ。
流石に全裸で調理するのは不安だったので、少し悩んだ結果、ウーノは壁に掛かっていたエプロンを見つけると、裸の上からエプロンを着用して調理を始めた。
理系で工学部所属、バイクや車が好きなウーノにとって現代科学とは異なる原理で動く魔導具というアイテムは、とても興味深いものだった。
魔法を動力に稼働するコンロや蛇口に目を輝かせながら食材を集めていると、後ろでドンッと物が落ちる音がした。
「は、裸エプロン……!?え、エッチすぎます……!」
「あ、ミーシャ『ちゃん』、大丈夫?」
振り向けばミーシャがベッドの上から派手に落ちていた。
昨夜の行為の中、いつの間にかさん付けが消えていたウーノは、料理の手を止めてそんな彼女に近づいた。
「だ、大丈夫です……あ、あの、それよりなんで、そんな恰好を……?」
「ああ、朝ご飯を作ってたんだよ。でもほら、俺服持ってないし、パンツは汚れてるしで……見苦しいもの見せちゃったね、ごめん」
ウーノがそういうと、ミーシャは慌てて起き上がってブンブンと首を振った。
「い、いえいえいえ!あ、あの、眼福というか、すごくイイというか……と、とてもエッチだと思います!」
鼻息を荒くしてそう言うミーシャもまた、全裸であった。
「ああ、うん……とりあえず、服着たら?」
そんな彼女を見ても、ウーノのウーノはピクリとも反応しなかった。昨晩激しく燃え上がったため、今の彼は賢者モードだった。
「あ、す、すみません!えっと……あれじゃない、こっちも……あ、これこれ!ウーノさん、こ、こちらお召し物です!」
その言葉をどう解釈したか、ミーシャは慌ててタンスに駆け寄ると、いくつか服を引っ張り出した。そして最終的に彼女は、体全体を覆うフード付きのローブをウーノに手渡した。
「あ、ありがとう。はは、いや、催促したわけじゃないんだよ、うん。あ、でもさ、着替えるより先に、体を洗いたいかな」
「そ、そうですよね!こ、こちら、シャワールームです!」
どこかテンションのおかしいミーシャに案内されて、ウーノはシャワー室に通された。
丸太づくりの家の中、そこだけはレンガ造りでタイルが張られていた。異世界でも体を洗う設備の構造というのは大差なく、穴の開いた器具からお湯が出る仕組みのようだ。
「大丈夫?なんか緊張してない?」
「だ、だだ大丈夫ですよ!?つ、使い方はですね!?」
ミーシャはそう言ってスイッチを入れる。そうすると直ぐに適温のお湯がシャワーヘッドから降り注いでくる。
森の中にポツンと一軒家。この世界に水道管は存在しない。これは魔導具で水を発生させ、魔導具で温めて作られた、魔導シャワーなのである。
知恵の実の知識でそれが可能であるとは知っていたが、実際に目にすると興味深く感じる。
水道管無しで清潔なお湯が出る。魔法文明というのは案外科学文明よりそれほど遅れていない、部分的には進んでいるのかも、と感じた。
そんな感慨にふけっていると、実演するようにミーシャはお湯を被って気持ちよさそうに目を細めていた。
「あー、俺はいいんだけど……一緒に入る感じ?背中とか流した方が良いかな?」
いくら賢者モードとはいえ、全裸のまま狭いシャワールームに美少女といるとなんだかムズムズする。
頬をかくウーノに対して、ミーシャはピシりと動きを止めた。
「あ、あ、ああ!ご、ごめんなさい!ご、ごゆっくりどうぞ!」
ミーシャはそう言うと、髪も乾かさずにシャワールームを飛び出して行ってしまった。
「……別に一緒でも良いんだけど。まあ、うん。ミーシャちゃんがテンパってなかったら、俺がテンパってただろうし」
もしも元の世界で、年上のお姉さんに『一緒にお風呂入る?』なんて言われていたら、ガチガチに緊張してロボ化不可避である。ウーノはそう考えて、ミーシャに同情しつつ、彼女と同じ少し甘い香りのする石鹸を手に取って、体を洗うのだった。
しばらくして魔導具のドライヤーで髪を乾かし、ミーシャから渡されたローブを着てシャワールームから出る。するとリビングでミーシャが全裸土下座して待ち構えていた。
足音に反応した彼女が顔を上げると、ウーノは緊張と後悔に渦巻いた青い瞳と目が合った。
「……こ、この度は……無理やり押し倒して……申し訳ございませんでしたっ!」
そう叫んで再び床に頭をこすりつけるミーシャ。そんな彼女を見て、ウーノは短く呟いた。
「え?今更?」
そう言うのって普通、朝一で言い出すものでは?もうシャワーとかばっちり浴びてるし。
別に攻めるつもりは無かったのだが、その言葉はミーシャには詰られるように感じたのか、声を震わせて釈明した。
「は、裸エプロンのウーノさんがエッチすぎて……忘れてましたっ!」
すごいな、男子校生でも、もう少しオブラートに包めるぞ。この言い方って、『エロい恰好してたお前が悪いんやで、グヘヘ』ってことでは?いやまあ、一切包み隠さない物言いは、むしろ好感が持てるけど……本当に異性と話したことないんだな。
ウーノはある種の感動すら覚えて、全裸土下座で震えるミーシャを見下ろした。
「あー、うん。分かった。確かに裸エプロンしてた俺が悪かったね、うん」
「あ、ち、違います!違うんです!えっと、そういうつもりじゃなくて、えっと、えっと……ぜ、全部私が悪かったです!」
ウーノの何気ない発言に、ミーシャは自分の物言いが不味かったことに気が付いたのか、頭を床にゴンゴンと叩きつけながら謝罪した。ちょっと怖い。
「ちょ、気にしてない、気にしてないから!だからそのヘドバンやめようか?怖いから、心配になっちゃうから!……イタっ!」
ウーノはミーシャの横に座って床に叩きつけられるオデコを守ろうと手で支えたが、男が女の力に敵うはずもなく。彼女の額によって手の甲が激しく床に叩きつけられた。
その痛みに思わず声が出たが、それによってミーシャは正気に戻ったようだ。
「ご、ごめんなさい!だ、大丈夫ですか!?そ、そんなつもりじゃなくて……く、薬と回復魔法を!」
「あ、いやいや、ちょっとぶつけただけだから。良いって、ほら落ち着いて」
男を再び力づくで傷つけてしまった。そのことに涙ぐむミーシャの背を撫で……ようとして手が止まる。いま彼女は全裸なのだ。
触れてよい物だろうか……まあ、もうやることやった後だし、良いか。
ウーノは裸の背を撫でて、大丈夫だからと微笑んだ。
その笑顔を見て。しばらく鼻をぐずらせていたミーシャは決心を固めたように、鼻水を吸い込んで呼吸を整えた。
「う、ウーノさん!」
「何かな?」
「く、口下手で、臆病で、胸も小さい……そ、そんな女らしくない私だけど……ウーノさんはそこが、可愛いって、言ってくれて……男の人なのに魔物に立ち向かおうと、してて……今だって、私が傷つけてしまったのに、笑って許してくれて……優しくて、勇敢で、とっても、え、エッチで……だ、だから、もう私にはウーノさんしかいないって、思うので……こ、これでも結構稼いでます。ぜ、絶対に、貧しい思いはさせません!責任を取らさせてください!結婚、してください!」
吃音交じりの、必死の長台詞。顔を緊張に真っ赤にしたミーシャは、祈るように両手を組んでウーノを見上げた。
面食らって驚いていたウーノだが、言葉の意味を理解すると、フッと息を吐いて微笑んだ。
「ごめん」
「あっ……」
ウーノの言葉を拒絶と捉えたミーシャは、顔を伏せた。しかし彼の言葉は、まだ続きがある。
ウーノはミーシャを抱きしめると、言葉を続けた。
「俺が先に、言い出すべきだった」
「え……?」
涙をいっぱいに貯めていたミーシャが顔を上げる。ウーノは昨日そうしたように、その涙を指で拭った。
『責任』はこの世界では男ではなく女が取るものだし、女が男を口説くのが普通だ。しかしウーノにとって、女性に告白させるのは、恥だった。男なら男らしく、惚れたなら惚れたと、自分から言うべし。そんな価値観を持っている彼は、ミーシャの言葉に満面の笑顔で答えた。
「不束者ですが、よろしくお願いします。で、良いのかな?」
「あ、ああ……!はい、こちらこそ、よろしくお願いします!えっと、えっと……わ、私の……私の、最初で最後の人に、なってください!そして、あなたの、最初で最後の人に、してください!これから、ずっと!」
「ああ、もちろん。ずっと、一緒だ」
初日で押し倒されて、翌日の朝に結婚。女は全裸で鼻水と涙で顔がぐちゃぐちゃだし、男はサイズの合わないピチピチのローブを着ている。
それでも、この場は、朝日が照らす神聖な誓いの場だった。




