2日目④
街を出たのは、夕暮れ前だった。このペースなら、真夜中になる前には家に帰れる。
そうして二人は、魔導車を飛ばしながら、森の家へと帰宅していた。
「ウーノさん、上手ですね。もう運転ばっちりです」
「はは、ありがとう。やっと慣れてきたよ」
ミーシャに後ろから抱き着かれながら、ウーノは魔導車を操っていた。
残念ながら背中に柔らかい物が当たる感触はない。
他愛ない会話をしながら魔導車を走らせていると、昨日昼ご飯を食べた草原まで差し掛かって来た。空を見上げれば、立派な満月が煌々と輝いている。
「一度晩御飯にしますか?」
「ああ、そうだね。そろそろ休憩にしようか」
お腹もすいてきたことだしと、ウーノは魔導車を止めた。街で弁当を買ってある。火にくべて加熱することを前提とした作りの、アツアツのご飯を食べられる物だ。
この世界に来たのも、新歓シーズンの春だったが、こちらの世界でも今は春。とはいえ日本よりは随分と冷えるので、体の温まる物を選んだ。
ウーノが弁当を荷物から取り出している間に、ミーシャは魔導具をセットした。
手のひらサイズの平たいマットだ。スイッチを付けると、マットの中心から火が噴き出す。
弁当をその上に置いて温まるのを待つ間、ウーノは何気なしに呟いた。
「本当に、便利なもんだね、魔導具は」
知恵の実で得た知識から、ウーノはこの世界の文明水準を1900年代初頭だと推測していた。街を観光してからも、その結論は変わらない。しかし一部の分野に関しては、明らかに現代日本よりも進んでいる。
直ぐに千切れかけた指を繋げる医療技術と、現代日本の家電以上に携行性と利便性が高い多様な魔導具の数々。図書館でいくつか本を読んだので、その原理はある程度理解しているが、どうにも科学と魔法が入り混じった魔導の世界は、理屈でも感情でも測り切れない、不思議なものだった。
「そうですね。今までどうやって作るとか、どうやって動いているのとか、考えたこと無かったです。ウーノさん、図書館で魔導具の本、読んでましたよね?私にも教えてくれませんか?前に読んでみようとしたんですけど、難しくて良く分からなくて……」
ミーシャは照れ笑いを浮かべる。確かに魔導具の仕組みについて語った本は、割と高度な数学要素があった。ウーノは数日とは言え理系大学生であったので、それらの数式を理解できたが、そうした教育を受けていない人には、理解が難しいだろう。彼はなるべく数式を使わないよう意識しながら、説明を考えた。
「そうだね……魔導具は、2つのパーツから作られる。魔石と魔導陣だ。これは知ってるよね?」
「はい」
これ自体は、知恵の実の知識に含まれていた、一般常識だ。
魔石は魔物の核で、魔物を討伐して心臓を抜き取れば、手に入れられる。
魔導陣は、金で作った糸、金糸で編まれた回路で、これに魔力が流れると魔法が発現する。
「魔石は魔力を吸収して、対応する属性の魔力に変換して貯めこむ。そして、特定の面に衝撃が加わると、魔力を放出する。その放出された魔力を、金糸で作られた魔導陣を通して魔法に変換することで……」
基本的な内容を話しつつ、次第に専門的な内容、魔導陣の構造について語り始めたところで、ウーノはミーシャの表情に気が付いた。
それは、興味津々、でもなく、チンプンカンプン、でもない。優し気で、どこか気遣うような、そんな温かい表情を浮かべていたのだ。
「そうなんですね……どうかしましたか?」
喉がつまり、耳が熱くなった。
急に説明を止めたウーノに、ミーシャは首をかしげる。
「……いや、何でもない。そういう訳で、魔導具の価格は魔導陣の大きさに比例するんだ。高威力の軍用の攻撃用魔導具は、魔導陣が巨大化して、金糸の使用量も増やさないといけない。一方で、日用品の魔導具は低出力だから、使う金の量も少なくて済むんだよ。さてと、それじゃ、そろそろ弁当も温まったし、食べようか」
ウーノは話を切り上げて、食事へと話題を変えた。
彼は思い出した。ミーシャは図書館で魔導具の本について、『面白味が分からない』と言っていたことに。最初から、魔導具の仕組みに興味なんてなかったのだ。
ただ、『無知な妻に博識な夫が説明する』という状況を、お膳立てしてくれていたのだ。
図書館では、ミーシャはウーノに文字を教え、そして居丈高な女性から守ってくれた。その埋め合わせか、ミーシャは昨日の昼この草原で話し合った、横に立ちたい、というウーノの願いに合わせて、夫が妻に物を教える場面を作ってくれたのだ。
ああ、やっぱり。この子は自分の願いを、汲んでくれている。対等でいるために、自分の立つ場所を、下げてくれている。
ウーノはそんなミーシャの気遣いが、嬉しい半面、悔しくて恥ずかしかった。
分かりやすく説明してあげよう、そんな風に得意になっていなかっただろうか?驕り高ぶりは無かったか?
歪んだ表情を見られたくなくて、ウーノは弁当の包みを開けつつ空を見上げた。満点の星空に、満月が煌々(こうこう)と、優しく黄金色に輝いていた。
その美しい夜空に、目を奪われていたウーノは、ふと一つの既視感を覚えた。首を少し傾けると、その既視感は確信に変わった。
月の模様が、自分の知る月と同じなのだ。ウサギが餅つきしている、あの月と。
月はいつも同じ面を向いているが、地域によって月の模様の向きは回転する。だから今まで気が付かなかったが、首を曲げて角度を変えると、自分の知る月と同じなのだ。
考えてみると、生活リズムの感覚からも1日の長さは変わらないし、カレンダーの日数は1年365日だ。星の自転公転の速度は、元の世界と同じである、ということだ。
因みに暦や時間の記し方も良く似ている。時計が日時計しかないからか、分や秒の定義は異なるが、1日24時間、1週間が7日、1年12か月だいたい30日なのは、こちらでも同じだった。収斂進化というのがあるが、暦でも同じような現象が起きるのかもしれない。
ウーノは弁当をその場に置いて魔導車に戻ると、荷台からイネッサから貰った古新聞をゴソゴソと探した。
「ウーノさん?何してるんですか?」
「あった……やっぱりこれ、ヨーロッパの地図だ……」
ウーノが探し出したのは、国際ニュースが乗っている新聞だ。スーラフ人民国とガマニア連合という、ポツカ共和国の更に西にある国の戦争を伝える記事で、戦争の推移を地図で解説している。
あまり正確でない、簡略化された地図なので最初は分からなかったが、よく見ればそれは欧州のそれと一致する。
ウーノが図書館で読んだ本には、考古学の本もあったが、古代文明的な存在は無かった。
だからこの世界が、元居た世界の未来、と言うことも無いだろう。
この世界は、恐らく元の世界のパラレルワールドの、同じ地球なのだ。ウーノはそう判断した。
「ウーノさん……?」
「……ああ、ごめんごめん。何でもないよ……じゃあ、いただきます」
ウーノは気持ちを切り替えて、ミーシャの側に戻り、彼女に微笑んだ。
思い返せば、転移初日は貞操逆転世界であることによるハイテンション状態で深く考えず、翌日も結婚騒ぎにイネッサとの出会い、そして今日もデートに刻印と、イベントが目白押しだった。元の世界のことを考える余裕がなかった。
そして今、こうしてちゃんと考える機会ができても……元の世界のことを、残してきた父や友達のこと思いだしても。ウーノは思いの他、冷静だった。
確かに、家族のことを考えると、突然の失踪で心配をかけているだろう、という心苦しさがある。友達に対しても、同様だ。
未成年飲酒の挙句悪乗りして滝に飛び込んで行方不明とか、サークルは解散不可避……まあ、未成年に先輩が酒を半ば強要したり、女子学生に対して妙な空気感があるサークルだったので、解散した方が世のためだったかもしれないが。
それはともかくとしても、滝壺に飛び込んだ挙句に行方不明で死体も見つからないとくれば、父に不安と悲しみを与えていることだろう。
やり残したゲームや続きの気になる漫画、友達との約束や父の手料理。先ほどとは、別の感情から、鼻の奥が熱くなる。
帰りたい。じんわりとした郷愁が広がる。
だが……
「ウーノさん、これ美味しいですよ。ほら、えっと、あの……あ、アーン」
「あーん……お、本当だ。スパイスが効いてるのかな?買ってきた調味料で再現してみたいな。ほら、ミーシャちゃんも、俺の上げる、アーン」
この世界が何であれ、愛する妻がいる。新しい家族がいる。元の世界に戻る手段があったとしても、彼女を置いていくわけにはいかない。
妻を置いて、一人で家に戻るなんてことをしたら。死んだはずの息子が帰って来た喜びを投げ捨てて、父は自分を殴り飛ばすだろう。
そして、その妻にとって、この世界が故郷なのだ。
だったら、この世界で生きていくしかない。
(親父、俺、生きてるよ。その上、結婚したんだ)
それを伝えられないことだけが、ただ心残り。
頬を染めながら、差し出されたスプーンを口の中に受け入れる、可愛らしい妻を前に。自分の願いを汲んで、興味もない話題を振ってくれる妻を前に。ホームシックを感じながらも、その感情を整理して。
ウーノは食事を、飲み込んだ。




