第7話 疑惑から確信へ
蓮に対する疑念は、一度抱いてしまうと、まるで止水に投じられた小石が波紋を広げるように、私の心全体を覆い尽くしていった。彼の些細な言動一つ一つが、私には別の意味を持つように感じられた。彼の優しい微笑みも、以前のような純粋な輝きではなく、私を欺くための仮面のように見えてしまう。このままでは、私の心が壊れてしまう。そう思った私は、ついに蓮の行動を独自に探り始めることを決意した。
私は、彼の行動パターンを密かに記録し始めた。残業と称して出かける日、葉子からの電話の後で急いで家を出る日。彼のスケジュールを基に、彼が立ち寄る可能性のある場所を、一人で探った。まるで探偵のような真似事に、私の心は深く傷ついたけれど、真実を知らずに苦しみ続けるよりも、潔く知る方が良いと、自分に言い聞かせた。
数週間が過ぎた、ある雨の夜のことだった。
蓮は「地方への出張」と告げ、早朝から家を出ていた。しかし、その日の夕方、沙織が私に連絡してきた。「美咲、急で悪いんだけど、今日、蓮さんが都内のホテルにいるのを見たわ。連城グループの会合らしいんだけど、どういうことかしら?」
沙織の情報に、私の心臓は激しく波打った。地方への出張? それは嘘だったのか。会合? それならなぜ、私に嘘をついたのか。私の胸に、黒い予感が渦巻いた。沙織は、私が動揺していることに気づき、優しく言った。「美咲、もしかしたら何か誤解かもしれないけれど、心配だわ。私がこっそり蓮さんの様子を見てくるわね」
だが、私の心はすでに決まっていた。私がこの目で確かめなければ、何も解決しない。私は沙織の申し出を断り、一人、その都心の高級ホテルへと向かった。外は激しい雨が降りしきり、私の心の中の嵐と、まるで呼応しているかのようだった。タクシーの窓を叩く雨音が、私の鼓動のように激しく響いた。
ホテルのロビーは、薄暗く、しかし豪華な内装で飾られていた。人目を避け、私は奥のエレベーターホールへと向かった。蓮が使っているであろうフロアへと昇る。長い廊下は絨毯が敷き詰められ、私の足音さえも吸い込まれるように静かだった。ただ、私の心臓の音だけが、不気味なほど大きく聞こえた。
そして、その部屋のドアの前で、私は立ち尽くした。
ドアの隙間から、葉子の笑い声が聞こえてくる。それは、私が見たことのない、甘く、媚びるような声だった。私の全身の血が、一瞬にして凍り付いた。
震える手で、私はバッグの中から小型のデジタルカメラを取り出した。そして、ドアのほんの僅かな隙間から、部屋の中を覗き込む。
そこに広がっていたのは、紛れもない、不倫の現場だった。
豪奢なリビングの中央、ソファに身を寄せ合う蓮と葉子の姿。蓮は、葉子の髪を優しく撫で、葉子は彼の腕に顔を埋めて甘えていた。葉子が、蓮の首筋にキスをする。そして、蓮もまた、彼女の唇にそっと口づけを返した。彼らの表情には、私との間にはもう存在しない、甘い陶酔と、互いへの深い情愛が満ち溢れていた。
私の頭の中は真っ白になった。まるで、世界から音と色が消え失せたかのような感覚。目の前の光景が、現実なのか、悪夢なのか、判別できない。ただ、胸の奥から湧き上がる、耐え難いほどの激しい痛みだけが、私の意識を現実へと引き戻した。
シャッターを押し続ける私の指は、激しく震えていた。レンズ越しに見る二人の姿は、まるで私を嘲笑っているかのようだった。写真には、二人の親密な姿だけでなく、テーブルの上に置かれたホテル名が刻印されたグラス、乱れたクッション、そして蓮の腕時計の文字盤までもが、鮮明に写し出されていった。
その場に、どれだけそうしていたのか分からない。私の足は、まるで地面に縫い付けられたかのように動かなかった。喉からは、押し殺した嗚咽が漏れそうになるのを、必死で噛み殺した。この痛みが、この裏切りが、現実なのだと。私の愛した蓮は、私を欺き、別の女性と深く愛し合っていたのだと。
涙がとめどなく溢れ、私の視界を歪ませる。私は、この証拠を手に、蓮と葉子の目の前で、この完璧な偽りの幸福を、粉々に打ち砕いてやる。怒り、悲しみ、そして深い絶望が混じり合った、真っ黒な感情が、私の心の全てを支配していた。




