第33話 混乱の中の静寂
「連城健太郎さん、ですね。経済犯罪捜査隊です。あなたを、不正競争防止法違反、私的流用、そして過去の違法技術実験に関する疑惑で、任意でご同行いただきたい」
警官の一人が放った言葉は、書斎の空気を切り裂く刃となり、健太郎の顔から一瞬にして血の気を奪った。彼の口から怒声が飛び出す。「な、何を言っている! 貴様たちは、私の指示を待っていたはずだ! 反乱か!?」彼は、自分の呼んだはずの警備チームがなぜ後方に控えたままなのか、そして何よりも、なぜ自分が逮捕されようとしているのか、理解できないといった表情で警官たちを睨みつけた。
健太郎の混乱と怒号が響く中、警官たちは冷静に健太郎を取り囲んだ。抵抗する間もなく、彼の両腕には冷たい手錠がかけられた。連城グループの総帥という絶対的な権力が、まるで砂上の楼閣のように、あっけなく崩れ去っていく光景。私はその全てを、息を呑んで見つめていた。私の隣で呆然としていた蓮は、まるで父親の惨状が信じられないといった様子で、虚ろな目をしている。
「林美咲様、この度は大変申し訳ございませんでした。捜査の都合上、事前の連絡ができませんでした」
警官の一人が、私に向かって丁寧に頭を下げた。その言葉は、まるで私自身がこの逮捕劇の協力者であるかのように響き、私の心をさらに混乱させた。私は、ただ小さく頷くことしかできなかった。
しかし、この混乱の最中、沙織はまるで別人だった。床に崩れ落ち、絶望に顔を歪めていたはずの彼女が、ゆっくりと、しかし確かな足取りで立ち上がったのだ。彼女の顔からは、恐怖の色が消え失せ、代わりに、冷徹な勝利の光が宿っていた。彼女は、健太郎が連行されていく背中を一瞥すると、何の感情も伴わない、静かな笑みを浮かべた。
「パパ、芝居は終わりよ」
沙織の声は、冷ややかに、そしてはっきりと書斎に響き渡った。その言葉に、警官たちは一瞬、動きを止めた。健太郎は、手錠をかけられたまま、沙織を信じられないといった表情で振り返った。彼の瞳には、怒り、困惑、そして裏切られたことへの激しい憎悪が渦巻いていた。
沙織は、そのまま部屋の中央へと歩みを進めた。その足取りは、まるでこの場所の主人であるかのように、堂々としていた。そして、健太郎が座っていた、かつて連城グループの頂点を象徴する主賓席に、ゆったりと腰を下ろしたのだ。
「連城総帥の逮捕は、私の手引きによるものです」
沙織は、警官たちに向かって、静かに、しかし明確に告げた。その言葉に、警官たちは再び驚きを隠せない様子で、沙織を見つめ返した。美咲の心は、激しく波打った。まさか、沙織がこの警察の動きを裏で操っていたというのか。
蓮は、沙織の言葉に、呆然と彼女を見つめていた。彼の表情には、信じられないものを見たかのような、強い衝撃と、そして僅かな理解の色が混じり合っているように見えた。彼は、沙織のこの行動を、どこかで予測していたかのような、不自然なほど冷静な視線を沙織に向けていた。彼の瞳の奥に、私にはまだ理解できない、しかし確かな光が宿っているように見えた。
沙織は、私と蓮を交互に見た。その瞳には、勝利者の冷徹な光と、そして深い孤独が混じり合っていた。彼女の顔には、もはや親友としての温かさなど微塵もなく、ただ、自分をここまで追い込んだ健太郎への憎悪と、長年抱き続けた野望が結実した満足感が浮かんでいた。
私の知る世界は、またしても音を立てて崩れ去った。この盤上には、健太郎、沙織、そして蓮。私を含め、誰もが駒だと思っていた。しかし、沙織は、健太郎の駒であると見せかけながら、裏で別の盤面を動かしていたのだ。




