第30話 第二の反買収条項の開示
健太郎の冷徹な言葉は、沙織の心を打ち砕いた。彼女は、健太郎の視線から逃れるように顔を背け、小刻みに震えていた。蓮は、未だに床に崩れ落ちたまま、顔を覆っている。彼らの様子は、健太郎の持つ絶対的な権力と、彼らがどれほど彼を恐れているかを、私に物語っていた。
「蘇沙織。お前が美咲の無知を利用し、アークデザインを奪い取ろうとしたこと、そして、その基金の『敵対的買収防止条項』が発動されることを知っているのは、賢明な判断だったな」
健太郎は、そう言って、私の方へゆっくりと歩み寄った。私の隣に立つ彼の存在は、まるで巨大な岩のように、私を圧倒する。しかし、私は彼の視線から逃れることなく、真っ直ぐに見つめ返した。
「だが、お前が知っていたのは、その第一条項だけだ。アークデザインの株式を含む、この家族信託基金には、もう一つの、そしてお前たちにとって決定的な条項が存在する」
健太郎の言葉に、私の心臓が激しく脈打った。もう一つの条項? 森本先生は、第一条項しか見つけていなかった。一体、何が隠されているというのか。沙織もまた、健太郎の言葉に、ハッと顔を上げた。その瞳には、再び新たな恐怖と、困惑が混じり合っていた。
健太郎は、私からあの『家族信託基金設立に関する付帯書類』を奪い取ると、躊躇なくページをめくり、ある箇所を指差した。そこには、第一条項と同じく、太字で明確に記された一文があった。
「第二条項。この信託基金の運用中に、**連城家の血を引く者(非嫡出子を含む)が、不正な手段を用いて、この基金の資産、あるいは林家の資産を奪い取ろうとした場合、基金は自動的に起動し、全ての資産を、林美咲の名義に移管する**」
健太郎の言葉が、部屋の静寂に響き渡る。私の頭の中は、その言葉の意味を理解しようと、激しく回転した。連城家の血を引く者。非嫡出子を含む。それは、まさに、沙織のことではないか。
沙織の顔色は、完全に死人のように蒼白になった。彼女の瞳は見開かれ、その口からは、声にならない悲鳴が漏れそうになっている。彼女の体は、激しく震え続け、その場に立っていることさえ困難なようだった。
「そんな……まさか……」
沙織は、震える声で呟いた。彼女は、この条項の存在を、本当に知らなかったのだ。健太郎は、沙織が自分を出し抜こうとしていること、アークデザインを手に入れようとしていること、そして基金の第一条項を知っていることまで、全て見抜いていたのだ。そして、その裏をかく、もう一つの、決定的な罠を仕掛けていた。
「どういうこと……? 父さん、何を言ってるんだ!?」
蓮もまた、沙織の絶望的な表情と、健太郎の言葉に、ようやく事態の深刻さを悟ったようだった。彼は、健太郎を信じられないといった表情で見つめている。彼自身も、この第二条項の存在を知らなかったのだ。
健太郎は、私と沙織、蓮を交互に見下ろした。その瞳には、勝利者の冷徹な光が宿っていた。
「お前たち二人は、所詮、私の掌の上で踊る駒でしかない。そして、美咲。君もまた、私がこの盤面を支配するための、重要な駒だ」
健太郎の言葉は、私の心を深く抉った。母が私を守るために遺したと思っていた基金が、実は健太郎が私を操り、連城グループの資産をコントロールするための、二重の罠であったというのか。私の心に、新たな絶望と、そして健太郎という男の底知れない悪意への、深い戦慄が走った。




