第2話 親友・沙織の出現と助言
蓮との婚約発表は、瞬く間に社交界の話題をさらった。連城グループという巨大な権力を持つ名家と、無名のデザイナーだった母が立ち上げた小さな会社。身分違いの恋だと囁く声もあったけれど、蓮はそんな世間の声など意にも介さなかった。私は、ただ蓮の隣にいることが、世界で一番自然なことだと感じていた。彼の存在が、私をどんな卑しい噂からも隔絶してくれる盾のように思えたのだ。
そんなある日、思いがけない人物から連絡が届いた。携帯の画面に表示された名前に、私の心は懐かしさで震えた。蘇沙織。彼女は、私が大学時代に最も心を許した親友だった。卒業後、沙織は海外留学を経て、大手商社に就職し、瞬く間にキャリアを築いていた。その才気溢れる聡明さと、どんな時も冷静沈着な判断力を持つ彼女は、私の憧れでもあった。母が急逝し、アークデザインを継がなければならなかった困難な時期にも、沙織は海外から幾度となく電話をくれ、温かい言葉で私を励ましてくれたものだ。
「美咲、婚約おめでとう! 蓮さんとの噂、聞いているわ。本当に素敵な方ね。あなたにぴったりの人だわ」
久しぶりに耳にする沙織の声は、あの頃と変わらず、優しさと喜びに満ちていた。私はすぐに彼女に会う約束を取り付けた。都会の中心にある、隠れ家のようなカフェ。磨き上げられたガラスのテーブルに、柔らかな光が差し込むその場所で、沙織は私を待っていた。
彼女は、以前よりも一層洗練され、都会的な美しさを増していた。オーダーメイドであろう上質なスーツに身を包み、知的な輝きを放つ瞳は、私の心の奥まで見透かすかのようだった。私の婚約指輪を見た沙織は、心から喜んでくれた。その輝きを羨むどころか、まるで自分のことのように目を細めてくれる。
「本当に良かったわね、美咲。あなたのお母様も、きっと空の上で喜んでいらっしゃるわ」
母の名前が出ると、私の胸は温かくなった。沙織は、母の才能を心から尊敬し、アークデザインの独自性を誰よりも理解してくれていた。だからこそ、私は彼女に、蓮との出会いからプロポーズまでの全てを、包み隠さず話した。私の話に耳を傾けながら、沙織は静かにコーヒーを一口啜った。その長い指がカップの縁を優雅に滑る。そして、少しの間、思案するように視線を落とした後、ゆっくりと顔を上げた。その瞳には、私を気遣う深い色が宿っていた。
「美咲、蓮さんは本当に素晴らしい人だわ。それは間違いない。私も彼を心から信頼しているわ。でもね、連城家というのは、私たちが想像する以上に複雑で、古いしきたりや、時には冷酷な現実が渦巻く世界なの」
沙織の言葉に、私の胸に漠然とした不安が広がった。連城グループの巨大さは理解していたけれど、具体的な「複雑さ」など考えたこともなかった。私は、まるで世間知らずの子供のように、ただ蓮の愛情だけを信じていれば良いと思っていたのだ。
「特に、財産に関することでは、いくら愛し合っていても、周囲が黙っていないことが多いわ。連城グループのような名門では、一族の資産を守るために、容赦ない動きがあるものよ。蓮さんも御曹司とはいえ、しがらみや立場があるわ。美咲、あなたはきっと、そんなこと考えたくもないでしょうけれど……」
沙織は私の手を優しく握り、まるで姉が妹に語りかけるように、言葉を選びながら続けた。その手は、冷たいテーブルに置かれた私の手を、そっと包み込むように温かかった。
「あなたのお母様の会社、アークデザインも、決して無視できない資産よ。あなた自身のことも、蓮さんのことも、そして何よりも、お母様が遺してくれた大切なものを守るためにも、万が一の備えは必要だと私は思うの。もしもの時に、あなた一人で連城家と戦うなんて、絶対に無理よ」
その時、沙織の言葉は、私には深い友情と、真剣な忠告として響いた。彼女は、私の幸福を心から願い、私の未来を案じているのだと。母が亡くなって以来、私には頼れる身内と呼べる存在はほとんどいなかった。沙織のその言葉は、私に寄り添い、守ってくれる唯一の存在のように感じられたのだ。私の心に、漠然とした不安が、確かに根を下ろし始めていた。




