第19話 恐喝の証拠化と警鐘
沙織の手から、賠償額が記された計算書が、まるで熱い石に触れたかのように、はらりと床に落ちた。その音だけが、張り詰めた部屋の空気に響き渡る。彼女の顔は蒼白になり、瞳は恐怖に見開かれていた。蓮もまた、その表情から嘲りを消し去り、私を警戒するような視線で見ていた。彼らが、私が単なる感情的な女ではないと悟り始めたことが、私には痛いほど分かった。
「美咲……何を、言っているの……。そんなはずは、ないわ……」
沙織の声は、掠れて、震えていた。彼女は、まだ信じられないといった様子で、床に落ちた計算書と、私とを交互に見つめている。その表情には、プライドを打ち砕かれた屈辱と、底知れぬ恐怖が混じり合っていた。
「何を言っているのか、分からないふりをしているのね、沙織。それとも、自分が仕掛けた罠が、まさか自分自身を追い詰めることになるとは、計算外だったかしら? あなたのその浅はかな計算では、連城健太郎の深謀遠慮には及ばないということよ」
私の声は、一切の感情を排し、冷ややかに響いた。沙織は、私のその言葉に、ぐっと唇を噛み締めた。その瞳に、一瞬、激しい怒りが灯るが、すぐに恐怖に取って代わられた。
「き、君は……そんな馬鹿なことを……」
蓮が、低い声で呟いた。その声には、これまでの私を侮るような響きはなく、焦り、苛立ち、そして強い困惑が混じっていた。
「馬鹿なことをしているのは、あなたたちの方です。私を無力な女だと思い込み、感情のままに裏切れば、誰も抵抗しないとでも思っていたのでしょう? 残念でしたね。私は、もう、あなたたちの思い通りにはさせません」
私は、バッグの中から、ホテルで撮り続けた蓮と葉子の不倫の証拠写真を、冷徹な表情で取り出した。それらを、二人の目の前に、一枚一枚、静かに並べていく。蓮の顔は、写真が並べられるたびに、さらに青ざめていく。沙織もまた、不倫の写真を見るたびに、私を憎悪に満ちた瞳で見つめた。
「そして、沙織。あなたが私を騙してサインさせた、あの『偽装契約書』。あの八百万。アークデザインを売却して得た、蓮さんの起業資金。そして、その資金が、結果的に蓮さんの豪遊や、葉子さんとの密会に使われたとすれば……沙織、あなたが私を騙して資産を奪い、その資金が蓮さんの不倫に使われた。その状況で、さらに不倫の事実を私に突きつけ、私を絶望の淵に追い込もうとした。これは、恐喝罪に当たります。森本先生も、その可能性を強く示唆しています。刑事罰に問われれば、連城グループの幹部としてのあなたの立場も、完全に失われるでしょう」
私の言葉が、沙織の心を深く突き刺した。彼女の体が、小刻みに震え始める。彼女は、私がただ感情的に怒っているだけでなく、法的な知識と、周到な準備をしていることに、ようやく気づいたのだろう。彼女の冷徹な計算が、美咲のより冷徹な計算によって、打ち砕かれた瞬間だった。
「き、君は……そんな馬鹿なことを……!」
蓮が、信じられないといった様子で呟いた。彼の声には、焦りが混じっていた。
「馬鹿なことをしているのは、あなたたちの方です。私を無力な女だと思い込み、感情のままに裏切れば、誰も抵抗しないとでも思っていたのでしょう? 残念でしたね。私は、もう、あなたたちの思い通りにはさせません」
私の視線は、冷ややかに二人を捉えていた。彼らが私を無力と見下していたこと、私の優しさにつけ込んだこと。その全てが、今、彼ら自身を追い詰める刃となって跳ね返ってきたのだ。
沙織は、もう何も言えなかった。ただ、唇を震わせ、私を憎悪と恐怖が入り混じった瞳で見つめている。蓮もまた、顔を覆い、言葉を失っていた。彼らが築き上げてきた偽りの世界が、私の手によって、音を立てて崩れ去っていくのを感じた。
私の心には、復讐の炎が静かに燃え盛っていた。それは、母の魂と、私自身の尊厳を守るための、正義の炎だった。彼らが私に与えた絶望を、今度は彼らが味わう番だ。




