第18話 舞台は再び、沙織のマンションでの対峙
再び、私は沙織の豪華なマンションの前に立っていた。前回、私が絶望の淵に突き落とされた、あの場所。しかし、今日の私は、あの時の無力な美咲ではなかった。全身にまとったのは、黒のシックなスーツ。顔には薄化粧しか施していないが、その瞳には、冷たい光が宿っていた。私のバッグの中には、彼らを奈落の底に突き落とすための、全ての証拠が収められている。
私は、インターホンを強く押した。心臓は、不思議と落ち着いていた。緊張ではなく、来るべき戦いへの静かな高揚感だった。
しばらくして、沙織がドアを開けた。彼女は、数日前の憎悪と優越感を湛えた表情ではなく、明らかに動揺した顔をしていた。私の送った不倫の写真と、森本先生からの書面が、彼女の冷静さを奪ったのだろう。蓮もまた、沙織の背後から現れ、私を見るなり、わずかに顔を強張らせた。彼の表情は、警戒と、そして何よりも私への戸惑いが混じり合っていた。
「あら、美咲? こんなところに、何の用? まさか、あのくだらない書面と写真で、私を脅しに来たわけ?」
沙織の声は、動揺を隠そうとしているものの、明らかに私を挑発する響きがあった。彼女は、まだ私を、かつての無力な美咲だと見下しているようだった。蓮もまた、その傲慢な態度に、眉をひそめていた。
「何の用か、ですって? あなたたちに、私の人生と、母が遺した全てを奪い去った罪を、償ってもらいに来たのよ。そして、あなたたちのその傲慢な顔を、見せつけてもらいに」
私の声は、驚くほど冷静で、感情を一切含んでいなかった。その声に、沙織は一瞬、戸惑ったような表情を見せた。蓮もまた、ソファから身を起こし、私のただならぬ雰囲気に、わずかな警戒を覚えたようだった。
「何の話よ、美咲。何を言ってるの? あなた、まさか、あの道端の判子屋で公証しただけの、何の効力もない契約書を本物だとでも思っているわけ?」
沙織は、私を軽蔑するような視線で一瞥した。彼女は、私がその契約書の真実を知っていることに、明らかに動揺したようだった。そして、わざとらしく、その契約書が無効なものであると強調した。蓮もまた、グラスを置く手が止まり、私を凝視した。
「私の母が遺した『家族信託基金』についてです。そして、その中に組み込まれた、『敵対的買収防止条項』について」
私の口からその言葉が出た瞬間、沙織の顔から血の気が完全に引いた。彼女の瞳は見開かれ、その表情は、先ほどまでの傲慢な嘲りが嘘のように、恐怖と混乱に染まった。蓮もまた、明らかに動揺し、沙織と私の顔を交互に見た。彼もまた、この基金の存在を、そしてその意味を、知らなかったのだろう。
私は、バッグの中から、森本先生が用意してくれた資料を取り出した。それは、信託基金の設立に関する詳細な書類と、その中の『敵対的買収防止条項』を明確に示す箇所がハイライトされたものだった。そして、その条項が発動した場合の、賠償額の概算が記された計算書。
「この第一条項によれば、私の署名を利用し、母の資産を悪意をもって侵奪しようとした者に対し、その侵奪された資産の価値の**十倍**、さらに年利一割の利息を加えて、信託基金に賠償させる、とあります」
私は、計算書を二人の目の前に差し出した。そこに記された数字は、まさに天文学的なものだった。沙織がアークデザインを八百万で売却し、蓮の起業資金とした、その金額だけではない。蓮がその八百万を元手に稼ぎ出したとされる利益も、全てこの賠償の対象となる。
「沙織、あなたがアークデザインを八百万で売却し、蓮さんの起業資金にしたと、この前、自白しましたね。その八百万から蓮さんが得た利益も全て含め、仮に計算しても、この賠償額は数十億円規模になります。これを、蘇沙織さん、あなたが個人で支払うことは不可能に近いです。あなたの、その連城グループの幹部としての地位も、全て失い、破産することになるでしょう」
私の声は、部屋の静寂に響き渡った。沙織は、その計算書を震える手で受け取り、記された数字を凝視した。その瞳には、絶望と恐怖が混じり合っていた。蓮もまた、沙織の顔を見つめ、事態の深刻さを悟ったようだった。彼らの顔は、もはや私を嘲笑うものではなく、確実に追い詰められた獲物の表情へと変わっていた。彼らの傲慢なプライドが、美咲の一撃によって粉々に打ち砕かれた瞬間だった。




