第11話 蓮の決定的な裏切り
私の目の前で、沙織の頬にキスをした蓮の唇が、ゆっくりと動いた。その声は、かつて私に囁いた愛の言葉とは似ても似つかない、冷たく、感情のこもらない響きを持っていた。
「冉冉……いや、美咲。沙織こそが、当年、僕の親父に唆されて、お前の母親を死に追いやった張本人なんだ」
蓮の言葉は、私の心臓に、もう一度、深く、深く、冷たい刃を突き刺した。沙織の口から聞かされた真実を、蓮自身が、私の目の前で、何の躊躇もなく肯定したのだ。彼の瞳には、私への愛情の欠片すらなく、ただ、獲物を見下ろすような、憐憫と冷酷さが混じり合った視線が宿っていた。
「君と結婚したのは、何も君を愛していたからじゃない。ただ、連城家が林家に残された最後の資産――アークデザインを合法的に、完全に手中に収めるためだったんだよ」
蓮の声は、まるで全てを言い聞かせるかのように穏やかだったが、その言葉の一つ一つが、私の心臓を激しく打ちつけた。私は、彼の瞳の奥に、以前から感じていたあの深い孤独が、実は冷徹な策略家の顔であったことを理解した。彼の優しさ、彼の笑顔、彼が私に注いでくれた全ての愛情が、最初から演技だったというのか。私の体から、全ての力が抜け落ちていく。その場に立っていることさえ、もはや困難だった。
「お前の母親は、少々邪魔な存在だったんだ。連城グループの事業計画にとって、アークデザインの持つ、ある技術は不可欠だったからね。あの女(美咲の母)は、自分の技術が悪用されることを頑なに拒んでいた。だから、消えてもらうしかなかった」
沙織は、蓮の言葉に、満足げな微笑みを浮かべていた。彼女は、蓮の腰を抱き寄せ、自らの存在を誇示するように、私を嘲笑っている。彼らは、目の前で絶望に打ちのめされている私を、まるで舞台の上の役者のように眺めていた。
「君も、僕の親父も、そして沙織も……みんな、僕たちの計画の駒でしかなかったんだよ、美咲。君の純粋さが、僕たちには都合が良かった」
蓮の言葉は、私の心の奥底に眠っていた、わずかな希望すら、完全に打ち砕いた。私は、愛する夫と、信頼していた親友によって、まるで糸の切れた人形のように、無残に踊らされていたのだ。彼らにとって、私の存在は、ただの道具、利用価値のあるモノでしかなかった。
私の全身から、血の気が失われていく。指先が冷たく、体が震え始める。喉からは、声にならない悲鳴が込み上げてくるのを、必死で噛み殺した。目の前の二人の姿が、まるで地獄から這い上がってきた悪魔のように見えた。
母の死。そして、私自身の愚かさ。この二つの真実が、私の心を激しく引き裂く。あの満開の桜並木の下で誓った、蓮との永遠の愛。そして、沙織が差し出した、私を守るための「甘い毒薬」。私の無垢な幸福は、音もなく、脆く、そして無残にも崩れ去っていた。その崩壊の音は、あまりにも静かで、あまりにも遅すぎたのだ。
私は、その場に立っていることすらできず、膝から崩れ落ちそうになった。愛した男と、信じた親友による、あまりにも残酷な裏切りに、私の心は底なしの絶望に沈んでいく。もう、誰も信じられない。この世界に、私を救ってくれる存在は、もうどこにもいない。
私の瞳から、止めどなく涙が溢れ出した。それは、悲しみや悔しさだけではない、魂の奥底から湧き上がる、純粋な絶望の雫だった。私は、この冷たいマンションの一室で、ただ一人、震え続けるしかなかった。私の、完璧なはずだった人生は、この瞬間、完全に終わりを告げたのだ。