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第10話 冷酷な現実との対峙

夜の闇を切り裂くように、タクシーが滑る。その向かう先は、沙織の豪華なマンションだった。私の心の奥底で燃え盛る怒りが、冷え切った体を突き動かしていた。タクシーの窓に映る私の顔は、もはや昨日までの無垢な令嬢の面影はなく、まるで獲物を追う獣のように、険しい表情をしていた。


マンションのエントランスを抜け、エレベーターに乗り込む。上昇する箱の中で、私の心臓は早鐘のように鳴り響いた。沙織と蓮。二人への裏切られた怒りと、心の底から湧き上がる憎悪が、私の全身を支配していた。


インターホンを押し、沙織の名前を告げる。数秒の沈黙の後、カチャリとドアのロックが解除される音が聞こえた。私の呼吸が、一瞬止まる。


ゆっくりと開かれたドアの向こう。そこに立っていたのは、まぎれもなく沙織だった。しかし、私の目の前にいる彼女は、私がかつて知っていた親友の姿ではなかった。彼女は、私のシルクのネグリジェを身に纏い、その上から、蓮の高級なシャツを羽織っていた。その胸元は大きくはだけ、蓮のシャツから覗く白い肌が、私を嘲笑っているかのようだった。私の母が誕生日に贈ってくれた、あの、とっておきのネグリジェ。それを、彼女が着ている。私の怒りは、沸点に達した。


「美咲……どうしたの? こんな夜中に」


沙織の声は、動揺を隠しているものの、どこか挑戦的な響きを含んでいた。彼女の背後から、見慣れた男の影がゆっくりと現れる。連城蓮。彼は、私といる時には決して見せない、だらしなく弛緩した表情で、私を見つめていた。その手には、半分ほど残ったワイングラスが握られている。


「沙織……蓮……」


私の喉から絞り出された声は、怒りと悲しみで掠れていた。蓮は、私を見ても、一瞬たりとも動揺した様子を見せなかった。むしろ、その瞳には、私への憐憫と、そして僅かな嘲りが宿っているように見えた。私の夫と、私の親友が、私の目の前で、互いの愛を確かめ合うかのように寄り添っている。この冷酷な現実に、私の心は引き裂かれた。


沙織は、ゆっくりとワイングラスを揺らしながら、ソファへと歩み寄った。その動作一つ一つが、私を挑発しているかのようだった。


「あら、今頃気づいたの? 美咲って、本当に鈍感なのね」


沙織の声には、かつての親友としての温かさなど微塵もなく、ただ冷酷な嘲りが満ちていた。私の視線は、彼女の首筋に落ちた。そこには、私のものとは違う、新しい口紅の跡が、まるで蓮の裏切りを物語る血痕のように、鮮やかに残されていた。


「あなたのお母さんの、あのくだらない会社『アークデザイン』のことでしょう? 私、三年前にあなたのお義父さんの連城グループに売却したわ。そう、あなたの署名でね」


沙織は、優雅にワイングラスを傾け、琥珀色の液体を喉に流し込んだ。その言葉は、私の心を切り裂く刃となり、再び絶望の淵へと突き落とした。八百万で売却。それが、母の魂が込められた会社の価値だというのか。


「八百万、連城グループにとっては端金だったでしょうけれど、ちょうど蓮さんの起業資金になったのよ。おかげで、彼、大成功を収めてるわ。感謝してほしいくらいね」


沙織の言葉には、蓮への愛と、私への優越感が混じり合っていた。彼女は、まるで私という存在が、最初から自分たちの計画の一部でしかなかったとでも言うかのように、淡々と事実を語った。私の全身から、血の気が引いていく。


蓮は、私の絶望的な表情を見ても、何も言わなかった。ただ、沙織の腰を抱き寄せ、冷たい視線で私を見下ろしている。その瞳に、かつて私に向けられた温かい愛情は、どこにも見当たらなかった。私は、彼らの目の前で、まるで無力な人形のように立ち尽くしていた。


「まさか、まさか、お母さんまで……」


私の喉から、か細い声が絞り出された。母が亡くなる前、繰り返し「沙織を信じるな」と呟いていた。その言葉の真意が、今、恐ろしい形で繋がっていく。


沙織は、私の言葉を聞くと、嘲るかのように小さく笑った。その笑い声は、私の耳には、悪魔の囁きのように響いた。


「あら、お母様? あなたのお母様は、少しばかり賢すぎたのよ。余計なことを知っていたから、始末しなければならなかったの。これも、健太郎さんと私の共同作業よ」


沙織の言葉に、私の頭の中は真っ白になった。母の死が、事故ではなかった。そして、そこに沙織と健太郎が関わっていたという、あまりにも残酷な真実。私は、その場に立っていることすらできず、膝から崩れ落ちそうになった。


蓮は、私の目の前で、沙織の頬に優しくキスをした。その光景は、私にとって、この上ない屈辱と、底なしの絶望だった。私の愛した夫は、私の全てを奪い、母まで殺した者と、深く愛し合っていたのだ。私の心は、完全に打ち砕かれた。



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