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「英雄のあんた。大尉のあんた。新聞のあんた。全てのあんたがいれば、みーんな納得してくれるんだ。納得なんか実はしていなくても、テキトーな理屈を勝手につけてくれんだもんよ。亜人の連中だって別に納得なんかしてないだろうがな、あんたが旗でも振りゃついてくだろう」
私の首が急に楽になる。息を吸うために一気に気道が開き、脳に酸素が回る。すると、痛みや苦しみってものが津波みたいに押し寄せてきた。
「がはっ! げほっ!」
「なあ、伯爵様よ。お前にだって悪くねえ話じゃねえか。私にはよっく解るぜ」
「何を……!」
「宮野池の脅威が無くなるんだ。亜人の隣人、宮入伯爵家、勇武で知られるのも当然だ。何せ、蛮族の防波堤たる存在。防人だ」
私の上にどっかりと乗る。もがいても無駄だと感じさせた。血が滴り、目が霞んでも、彼女の見かけと乖離した甘い柔らかな声は耳に入ってくる。
「ただ単純な話なんだ。ろくな扱いをされねえ連中を国外に追放しようてな話だ。植民が簡単とは思ってねえ。私が旗を振ったところでついてくる奴ばかりじゃねえだろう。だけどあんたが執政府に働きかけ、旗頭になれば違う。皆英雄に背中を押されたように感じるだろう」
「……」
「執政府からしても悪くない。お前を英雄に仕立てたのは執政府の誰かだ。そんな英雄で、しかも伯爵。十分すぎる正当性がある。お前が頷くなら広江の領主にしてやってもいい。もちろん建前だがな。実権は私。仲良くやろうぜ」
「……その結果、どうなる?」
「どうなる? 分かりきったこと聞くなよ。楽園になるに決まってるだろ?」
「扇の人口は桁違いだ。亜人がいくらいたって扇の領民には勝てない。亜人と食い詰め者が集っても無駄だ。彼らは一揆を起こし、訴訟を起こし、正義を振り翳してお前らを駆逐する」
「その度にこっちが駆逐してやるよ」
「四六時中か? 良民と一揆勢をどう見分けるんだ」
言葉を出すのに苦労する。上に乗られて重さもある。それ以上に身体中が痛み、口を動かすだけでも大変だった。
私が言葉を紡ぐだけで、鬼原の顔は徐々に曇っていく。さっきまでワクワクする計画を立てていたというのに、水を差された。子供が遊びを邪魔された時の顔。
腹に衝撃が走る。
鬼原の拳が私の腹に突き刺されていた。ボロボロになった軍服の、お腹の部分。そこが破れかけるほどの威力。
「ごほっ!」
私の口から血が漏れでる。
「ごちゃごちゃとめんどくせえ奴だ。反対する奴は死刑。そんな簡単で単純なもんでいいんだよ。世の中ってのはよ」
「ふざ、ふざ、げえ」
血が止まらない。そのせいで言葉にならなかった。
「気に食わねえ奴がいた。そいつらは三角耳に尾っぽがある。幻術だって使う。ああ、気に食わねえ、国から追い出してやろう……。滅亜興綾のせいで私たちは追いやられた。大陸から放逐されて、ようよう辿り着いたこのちっぽけな島国で、それでも端っこで生きてていいよ、でもここから出ないでね、ってか」
悶え苦しむ私に、なんの憐憫もないような顔で鬼原は続ける。
「なんで我慢しなくっちゃならねえんだ。どうしてこんな思いばかりしなくちゃいけねえんだ。本気になりゃ、戦訓章持ちの実践経験者だってこの様だぜ。楽勝だよ。人間なんざ亜人に見逃してもらっているだけの存在だろうが」
「絶対数が違うん、だ。ぜえ、はあ。私たちの方が数が多い。犬族の連中よりもだ」
「だからなんだってんだ。蟻か蝿みてえな無力な連中がよ」
「お前は見たことがないのか……」
「何をだよ」
鬼原が勝ち誇った顔で私を見下ろす。見下ろし続ける。
私は血を吐きながら、言った。
「蟻が人の死体を食いちぎり、蝿が卵を植え付けるんだ。そうして世界は回ってる」
「なんだ。おかしくなったか?」
「数は絶対だ。蛮族はそれを理解しない。絶対的な力を盲信する。それ以外の概念がないかのように……。お前が理解しているより大八洲は広い。お前が見ている狭い蛮州よりも扇は広い。お前の見ているものは狭すぎる。笑ってしまうな」
「……なんだ、てめえは」
「貴様の幻術が人を上回る力を持つだと? 莫迦だな、鬼原恵。その上で大陸から逃げ込んできた負け犬の末裔がお前じゃないか」
なぜこんなことが口から出て来るのかわからない。この場で彼女を挑発する意味なんかない。状況が悪化するだけだ。事実、鬼原の顔からは笑みが消えていた。
だけど私の口は止まらなかった。
「ただ戦いだけで生きていけるとはお笑いだ。戦うだけ、血を流すだけで領土が手に入る? 莫迦の言い分だ。英雄が喋ればついてくる? 世間知らずも大概にしろ」




