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監禁は二日に及んだ。最低限の施設はあるが、実に汚い。やることもないし、暇なのは性に合わない。棗は看守に本を所望していたが断られている。私は汚さに耐えかねた。
「ねえ、箒とか雑巾とか持ってきてくれない?」
「……逃げるつもりか?」
ライフルを携え、一両日中立ち尽くしてる看守は訝しむような視線を送ってくる。狐族の三角耳は萎れていた。
退屈でしょうがないんだろう。
「まさか。あなたは真面目に勤務してる。逃げれるはずもない。いくら岩屋と言っても、ここはあまりに汚すぎる。私は綺麗好きなのよ、看守くん? ああ、いや、名前は?」
「……」
情が生まれる。だから看守は無口な者が多い。
「君の手間を私が負ってやると言ってるの。この牢の管理者はあなた?」
「……」
「気が変わるまでこうするのは結構。だけど、窓際とはいえ私は近衛軍所属よ。確かに腑抜けた軍隊だけども、大尉が一人いなくなったああそうなの、なんて間抜けな真似はしないわよ」
実際は怪しいものだが。
海の向こう、ユーライアスの近衛軍は大八洲にも聞こえる精鋭だが大八洲のそれは甚だ無力だ。士官は貴族の男女、下士官兵は志願兵。軍に志願するものは大概が食い詰めだ。
文盲も珍しくない。
世間や社会の最底辺を掬い上げる機構を軍が担っているのでここは仕方ないと言える。
ただ、志願者は毎年一定数いる。田畑を引っ掻き、どうにか生きている百姓にとっては軍の待遇は魅力的なものだった。
私は課長のだらしない姿を思い返した。ふくよかというより溶けかけた泥団子を思わせる外見。有能なところは見たこともない。あれが近衛軍の代表的姿である。佐官であってもあの様だ。大尉の私も二十歳そこそこの若造でしかないけど。
「……」
「ただの暇つぶしよ。逃げようとするわけもない。それに、私のような小娘に負けるほど武勇に自信もないと?」
「……無駄だ。俺には権限がない」
「喋ってくれたわね。あなたの名前は」
「……銀次」
「渋いわね」
「それは、悪口か?」
「違うわよ。褒め言葉」
「そうか」
言葉少なに銀次はそう言った。
「お前と仲良くなるな、と言われた」
「そうでしょうね」
「だから、喋らん」
そう言って銀次は牢の方に背中を向けていた。背筋は伸び、背中には浮き出た筋肉が見える。腕の太さは私と棗のそれを足し合わせても足りない。
剣の腕は相当に立つな……。
少なくとも私の腕前などでは太刀打ちできないだろう。
「銀次……」
棗の声がする。
「有名なの?」
声を潜めた。棗の顔は真面目そのものだ。
「有名ですよ。その、蛮州の中でも随一の剣豪だとか」
「朝右衛門とどっちが」
「あいつ……はねえ」
言葉を濁した。どっちとも取れない声だ。
「死刑執行人、ですからね」
「剣の腕がないと無理でしょう? 死刑は斬首よ」
「どうなんでしょうね……。お館様は感情知らずで斬りまくってたですがね」
棗の顔が暗くなる。お館様、というのが朝右衛門と別の存在なのがその表情で分かった。
「あまり喋るな。うるさい」
木の格子を銀次が叩いた。乾いた音だが、さっき聞いた蛮州屈指の剣豪という話がその音さえ怖くさせる。
「あ、ああ、ごめんなさい」
「銀次さん」
軽く謝った私に対して、棗が切り出す。
「……傷医の棗」
「私を知っているの?」
「頭が良い奴だ。何だ?」
「あなたがやる仕事じゃなくない? 看守は」
「……」
「君ほどの腕前があれば、もっと表に出てもいい。だのにそれでいいのかい? 悔しくはないかい?」
「……」
「こんな穴倉の中にこもっていたら、私たちも困るし君だって困るんじゃないか? 日差しは大事なんだよ」
「……」
全く響いていないような顔だ。三角耳は萎れていて、そこが動けば響いていたりするのだろうか。
「君は——」
「いい」
棗の声が銀次に遮られる。
「もういい。俺の腕はこれで死んだ」
ライフルを差し出す。銃は剣より強し。その現実を受け入れた結果が今の銀次なのだ。
「俺の居場所などない。剣しかない。ライフルや大砲、そして機関銃か……。そんなものに剣など役に立たん」
銀次は鬱憤を晴らすように一気に喋った。彼は剣など持っていない。無念そうに握られた手にはライフルがある。
「俺は文字が読めん。だが剣がある。そう思えていた。もう、俺には何もない。今の俺は剣豪などではない」
「お、落ち着いてくれ、銀次さん」
棗は慌てたように言う。
銃口が彼女の頭に向いた。息を呑む音が聞こえた。格子の向こうにある。なのに、絶対当たる気さえした。
「この距離ですら当たるかわからん。俺は下手だ」
「や、やめなさい」
棗は動けない。当然だ。頭がいいからこそ、その銃口が起こしてきた悲劇をよく知っている。
「お前ら頭がいい。お前らの頭が無くなれば俺のほうが頭が良くなるか?」
「何言ってるのよ!」
「別に当たるわけもあるまい? 剣とは違うのだ。格子戸にあたるだろう」
ドン、と音がした。銃口から煙。私は両耳に手を押し付け転がった。
「はっ……は、はっ」
自分の声なのか、それとも単なる息なのか。
私にはわからない。戦場、それがここに戻ってきた。そして、また私の横にいる同僚が——。
「棗!」
ガバリと起き上がる。棗は私のすぐ横に転がっていた。
「棗!」
顔は、ある。銃痕——ない。血も出てない。
「やはり。な、当たらんだろう」
「き、貴様、何をしているんだ!」
詰問するように大声を出したが、銀次は何も考えてない顔だった。虫を殺した時の子供だ。何も考えず、そのまま潰してしまう。そんな感じだ。
「何も。撃ったことないのでな。凄い衝撃だ。剣よりも軽いのにな」
「何の話をしている!」
「撃った感想、だな」
「今する話か! お前、とんでもないことをしたんだぞ!」
棗は気絶していた。私はさらに詰め寄ろうとしたが、銀次は手のひらを出す。
「待て……。来た」
来た、とは何だ。私はそう聞こうとして——。
目の前の銀次が吹き飛んだ




