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「蛮州はもう狭いんだ」
私が座っていた椅子に座る。膝には棗がいて顔が引き攣っていた。
「大八洲中の亜人がやってくる。迫害されてな。犬族、狐族、天狗、蛇族、その他諸々……、何千人とな」
お前もだな、眼鏡。そう言って棗の頬を突く。声にならない悲鳴が上がりそうなのを堪えたのが見えた。
「亜人は寿命が長い。どんどん増える。そして死なない。椅子の数は決まってるけど、それに座れないやつが増えてるみてえな感じだ。大八洲の狭い端っこに、なんで押し込められなきゃならねえ。しかも人間にだ」
なあ、お前も亜人だから長生きなんだろう、幾つだ。そう棗に聞くが答えは返されない。面白くない事を言っていると自覚した顔で鬼原は続けた。
「いつか破綻する。宮野池を飲み込むか? ああ、近い未来間違いなくそうなるだろうな。そうなりゃあんたの家もいずれ犬族の家令がつくぜ。セコセコ働く犬どもが家を磨く。だが、それで済むわけもねえ。亜人を迫害するかもしれねえ」
「鬼原」
「私が喋ってんだろう。黙ってろ。お前ら人間が私たちを受け入れねえから蛮州があるんだろうが。我慢してきたが、もう若い連中も私たちも収まりがつかねえんだ! 何かがきっかけになりゃ爆発するほどなんだよ! だから海の向こうに行くんだ! あそこを私たちの新しい故郷にするんだよ!」
イライラが頂点に来たのか、するどい歯を剥き出しにして鬼原が怒鳴った。
「……広江の領民はどうする。みんな殺すつもりか」
「いいね。そいつは悪くない。人を全滅させて亜人だけの国。綺麗なもんだ。理想だよ、そいつが」
「無理いうな。広江と狭い部屋を間違えているんじゃないのか」
「私たちが上、人が下なら奴隷扱いしてやってもいい」
「適当だ」
「何とでもいえ。どうとでもなる。それよっか、こいつを絞め落としてお前も同じにしてやってもいいんだぜ。呑気に話してる場合か?」
私は手を挙げた。座ったまま両手を上げる。
そんな間抜けな自分を見て、鬼原はますます嗜虐的な笑みを浮かべた。
「私は何をしたらいい?」
「間抜けに万歳とでも言え」
「ふざけるな」
「お前が何かに言える立場か考えた方がいいぜ令嬢様」
棗の顔がまた紫に近づく。もう限界だ。
「万歳」
「オウ。お疲れさんだ。火次、来い」
丁寧に運んでくれた黒装束。そちらは頭巾を取っていないので顔はわからない。目元しか見えないようになっていた。
「牢屋に入れておけ。逃げないようにするんだぜ」
「御意」
「こいつらが逃げたらお前、八つ裂きになると思いな」
「承知」
「無口なやつだ。信頼してるぜ」
背中を叩くのを見て、豆吉よりはよほど信頼されているのだとわかった。
「し、し、死ぬかと思いました」
「間一髪だったわね。私が間抜けに万歳してよかったでしょう」
「命を救えるなら薬でも間抜けでも構わないんですよ。私」
「じゃあ偉大?」
「偉大です、偉大」
牢屋は岩屋を改造したような作りだった。屋敷の後ろにある山、そこにはアリの巣のような細い通路、岩屋ができている。浅いものなら軽い洞穴ですぐ行き止まりが見えるが、深いものは石を投げて反響し余韻があるほどだ。
私たち二人は、その岩屋の一つ。深いものにあたるものだった。落ち着くためにしている会話も反響している。
とはいえ、棗は落ち着きすぎにも程があった。さっきのさっきまで顔を真紫になる寸前だった。死の狭間まで行ってた。それが今じゃお互い莫迦になったみたいだ。
「蛮州生まれはああ考えるの?」
「んー……、確かに亜人は増えてます。それこそ犬族などはとても。ですが、それは自然の摂理でしょう。昔々は赤ん坊のうちによく死んでました。それが医学の進歩で生き残るようになった。喜ばしい事です。私は傷医の端くれとして、本当に」
「蛮州以外にもいるのよね。亜人は」
「いるのでしょう。そして、それらが見つかり次第蛮州に送られることもご存じですね」
「何千人も来るのね……」
「そう。事実、整備されてないし、州都である亜都も人口増加が進んでます。近い将来、鬼原が言う未来も来るかもしれない。あれでも三棟梁の一人として真面目に考えた末に切り出した一手なんでしょう」
「出来ると思う?」
「無理です」
一刀両断だった。
「無理に決まってます。扇で犬族を見ましたか? 狐族は?」
「見なかったわ」
「歴史は好きですか?」
「知ってる。滅亜興綾運動よね」
海を挟んでお隣の国、扇は大八洲以上の歴史を持つ大陸の大国だ。その国では今より二〇〇年以上前、亜人の撲滅運動が起こった。
大概の亜人は人より長く生きる。人よりも多くの力を持っている。犬族なら足、嗅覚、耳。狐族なら聡明な頭脳、超常的な勘、未来予知。蛇族なら金融感覚、舌先からの天気予報。天狗なら飛翔能力。そのように人にない力があった。
それを扇の政府は恐れ当時の皇帝(その当時は綾王朝)直々の殲滅計画が立てられ、実行された。今の蛮州にいる亜人はその殲滅計画の生き残りが命からがら逃げ延びたものの子孫もいる。もしかすれば、鬼原もそうなのかもしれない。屋敷に点在する大陸文化はそれを感じさせるのに十分なほどだった。
「その通りです。しかも生き残りが来た蛮州でも血で血を洗うような戦いがあったんです。それは知らないでしょう?」
「知らないけど——ありそうな話よね」
「ありそうな話にはありそうな悲劇もつきものです。お互い多大な犠牲があった。もし、鬼原麾下の連中が行っても、そこにあるのは悲劇でしかない。次は広江の領民との戦争が始まり、大八洲が困るでしょう」
つまり、そんな血の気の多い連中を国境部分に送り込むような真似をすると流石に扇も黙っていない。少なくとも正規軍を送り込む。
滅亜興綾運動を知っていればこそ、亜人に対しての態度は冷ややかかそれ以下のはずだ。
鬼原の案は誰も賛成しないもの、そのはずだった。
「なんで私なのよ」
要素の一つとして、私——宮入近衛軍大尉が出る隙間がない。どう考えてもお付き合いしたくない類のものだ。
「私は近衛軍で唯一、中隊を全滅させた無能指揮官よ。なのに何で」
「あなたは世間に興味はないんですか?」
「窓際族、しかもつい何ヶ月か前まで入院よ。天狗が持ってきた新聞に花押を記しただけね。変な絵が載ってた」
「あまり新聞の類に興味ないと」
「そう」
「皇室に集う勇者を引き連れ、敵陣に先頭切って突撃した伯爵。彼女の中隊は全力攻勢を行い、自らを犠牲にしつつ勝利を手にしたのだ」
「何それ」
「新聞の一文です。私たちは復員後に見ましたがね。笑ってしまいますよねあまりに実情と違いすぎて」
「莫迦莫迦しい」
「大尉が否定しても、新聞に載った絵は一人歩きして大八洲全土に知れ渡ったんです」
「私であって私じゃない存在ね」
「扇を負かした英雄が、亜人の背中を押すんです。鬼原だけの言葉じゃ、まるで博打でむしられた債務者を新領土に押し付けてるみたいです」
「なんて言うわけ? 君たちは新領土に足を踏み入れる勇者であるとでも?」
「どうせ新領土には新たな開拓使を入れるはずです。亜人をそこにある程度入れるのは規定事項でしょう。鬼原はそれを拡大したい。おそらくそんなところですよ」
政治だ。まさしく政治。領民を苗とし、伸びるまで待って税を納めてもらう。植民とでも言うべきか。
私には関係ない。将来、宮野池が亜人に覆われたとしてそれが何だと言うのか。私の立場が伯爵じゃなく、領主じゃなくなったとしても私は構わない。領民に対する愛情が薄いのは父譲りなのだろうか。
いや、すでに宮入家など滅ぶ寸前なのだ。私が子を成したとしても数代持たせる資金すらない。父が今すぐ伯爵位を売り飛ばしても誰も文句は言うまい。臣下の者たちもそれを望んでいることだろう。




