26
翌日、用意された寝巻きの上等さに、一日経ってもなれなかった私は朝早くに起き上がってしまった。まだ薄闇で、星も少し見えている。
障子を開けると、縁側から風が入ってきて肌寒かった。蛮州は島国である大八洲の、西方の端だ。皇都からはかなり離れている。だから気候もこう違うか、と思った。皇都ならまだ半袖でも珍しくない。
私の軍服も夏服仕様の肋骨服だから通気性がいい。だから寒さがどうしても際立つ。
「はあ」
一日蛮州で過ごしてみたが、別段どうということもない気がした。宮野池と大差がない。
「なんであんなに慌ててたのかしらね」
ポツリと独り言が漏れた。顔は見せない。そして自分の立場が蛮州屈指のものでありながら、没落貴族に等しい私にも礼を守っている。
はっきり言えば私は戸惑っていた。
「大体、変じゃないの」
言葉にすればなおさら変な感じがする。
自分の思考を整えるためには頭の外に出す必要がある。私はそうした時、独り言ばかり言うから変な目で見られているかもしれない。
そうとも、変だ。隣の領地の領主だとしても、朝右衛門だって領主に等しい地位。それどころか、屋敷や従者たちの教育具合を見ても宮入なんか目じゃ無いはずだ。
丁寧? それだけなのか?
そんなことを考えていると、自然と足が動き、廊下をそろそろと踏み締めた。障子を開けっぱなしにしている間に、横で寝ていた棗が布団にくるまる。寒いらしい。
私は静かに障子を閉めた。
ぶつぶつ、ぶつぶつぶつ。
静かにしようと気をつけながら、私は思いついたことをとりあえず口に出していた。その度に考えがまとまっていくような気がする。
要するに、あれほど私に遜る必要が朝右衛門にはないということだ。私自身が伯爵ではないし、よしんば伯爵令嬢として扱ってくれるとしても頭を下げ過ぎだと思う。今の所、朝右衛門に比べたら皇都の巡査の方が偉そうだ。
廊下を歩くと明かりがついている場所があった。厨房だろう。こんな時間から働くとは頭が上がらない。
そちらに顔が向いている時、私の顔が何か柔らかいものが当たった。
「あ?」
「ああ、すまない。忙しいところに」
聞き心地のいい低音が上から降ってくる。
狐珠朝右衛門。
「悪いな。お前ら、早くからいつもありがとよ。今日の朝餉は伯爵殿向けのものだから、いつもと違って大変だろう?」
寝巻き姿で薄闇だと私の顔も見えづらいのか、彼女も気づいていない。
朝右衛門の姿を流し目で見ると長い黒髪を三つ編みにし白襦袢を着ていた。長く、鍛えられた前腕が伸び、私の背を叩く。
「いえ、そんなことは」
とりあえずは適当に合わせよう。
声でバレるかもと少しばかり低い声を出す。
「はは、お前新人か? 急な来客は結構ある。料理は来客に合わせてくれよ。傾向ってのはあるもんでな」
意外だ。私の前ではあれだけ遜り、大きな背を明かさないかのように身体を縮めていたのに、自身の部下には友人のように接している。
「それは、犬族に肉を与えるというような事ですか」
「おう、飲み込みが早いな。そんなもんだ。詳しくは厨房の柴原に聞け。あいつ、厨房の主だからな」
「宮入伯爵の」
「こら。伯爵殿、あるいは伯爵様と言え。お前とは、いや、私たちだな。私たちとは違う世界の人たちだよ」
「伯爵殿」
「そうだ。それを崩すなよ。仕事に戻れ」
頑張れよ、と結んで朝右衛門はどこかに行こうとする。
「伯爵殿を、どうしてそんなに怖がるんですか?」
「……怖がっているわけではないつもりだが。そうだな。怖がってもいいんじゃないかと思う。私はあの人を殺そうとした」
聞き逃せない言葉だった。
「どういう事ですか?」
「お前が知らなくてもいいことだ」
「もう一度聞きます。改めて、こちらを見てください」
「お前口の聞き方——」
まっすぐ彼女を見上げる。あんぐりと開けた口が見えた。
「……宮入伯爵、ですか」
「そんな口の聞き方はしなくてもいいわ。先ほどの口調で結構。私は伯爵じゃない。伯爵令嬢で、しかも没落している。あなたほどの隆盛を築いた事も、宮入家の歴史で一度もない。だから気楽に喋ってちょうだい」
「いえ、その」
さっきまでの堂々とした振る舞いはどこへやら。へこたれたように頽れて、膝を着こうという勢いだ。私は手をかかげてそれを止めた。
「言い方が悪かったようね。あなた、階級は」
「……陸軍少尉です」
「指揮系統は違えど、大尉の命令に少尉が逆らうというの?」
あえて軍隊式にしようとした。だってこれでは彼女が溌剌と喋ることなんか百年経っても無理だろう。このままうだうだとされるのは私の好みではなかった。
朝右衛門は、帽子があれば庇のあるあたりに指先を当てる。敬礼だ。
「わかりました。大尉殿」
「命令」
「……分かったよ、宮入大尉殿」
「じゃ、お茶でもしましょう。朝の茶事は健康にいいらしいわ。知らないけど」




