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お帰りは護衛をつけましょう。これで早めに帰れますよ。
狐珠浅右衛門は最後まで布を剥ぐことはなかった。その下の顔を見るのをどことなく楽しみにしていた私はやはりがっかりしたが、意固地は変わらない。諦めるしかなさそうだった。
「しかし、どうしてなんだと思う?」
出口に向かう廊下。私は棗に話しかけた。
「何がですか?」
「顔を見せない理由よ。とてつもない醜い顔、ってわけ?」
「別にそんなんじゃないですよ。十人並です。多分」
「じゃ、何で私に顔を見せないのよ」
「だって、ねえ……」
棗は言葉を濁す。
「それとも、何か隠したいことでもあるの?」
「言わしてもらいますけどね。宮入大尉」
急に声を顰める。顔を近づけられると彼女の瞳がどこか明るく、見たことのない色彩だったのが目についた。
「隠したいのはお互いのためなんですよ。それがわからないんですか?」
「わからないって何よ」
そのまま返す私に、棗はいよいよ呆れたようにため息をついた。廊下の途中にある小部屋。そこに入る。ええ?
「いいの? ちょっと」
「いいんですよ。私は幼馴染ですからね。この家で隠れんぼしてたくらいですし、入っていいとことそうじゃないところくらいわかってます」
幼馴染ってそんななのか……。私にはいない。だからよくわからない。わからないことばかりだ私は。一応これでも、ついこないだ。戦場に出るまでは自分なりに勉強してきたし、真面目に生活していたつもりだったのに。
小部屋はさっぱりとしていた。きっと女中部屋とかそんなのだ。鏡もある。化粧台もある。まあ、立派な部屋だ。私の実家の自室よりよほど華美である。
「ま、あいつもあんまり言葉が上手い方じゃありませんからね。正直何言ってんだかわかりもしないってのが本音でしょう? 大尉」
「そりゃそうよ。お礼が言いたい。それだけなのに、ああもにべにもなければ訳がわからないってのが本音」
とはいえ貴族の礼が面倒というのは事実だろう。私たちだって幼い頃に教えられた儀式に従ってやってるだけで、一言だけ添えるのだって端的でいいと思う。
ただ、貴族がそうやって上下の関係や横の繋がりを重視するのは生存本能だ。所詮領民に頼っているだけ。だからこそ、繋がりを欲っする。
虫が寄り集まって集団を形成し自己防衛を果たすのに似ている。虫に必要なのは個体の意思より種の存続だ。貴族だって同じなのである。
だからこそ、お礼を言いたい以上に、私には目論見もあった。伯爵家を継ぐのなら自分なりの人脈があったっていい。
「大尉には知らなくていい世界があるんですよ。私たちのような階層のあれこれなんて知らなくていいんです」
「私は宮野池の領地を継ぐ、次期宮入伯爵よ? それなら私は隣の領地のあれこれを知らなくちゃならない。狐珠朝右衛門が三棟梁の一人として蛮州の支配階層にいるのなら、顔通しはしないとダメよ」
そういうと棗は黙った。
実際、棗が卑下するようになった理由もきっとある。蛮州は僻地だ。そしてそこに住む領民も、どこかから投げ出されるようにより集められている。
大八洲をこの部屋に例えるのなら、畳の目などにある埃が領民。それを隅に集めているようなものだ。
追放され、寄り集められ、ここ以外に行くことのできない亜人たち。今もそれは続いている。そして亜人の寿命は人などよりよほど長い。
もしかすれば、いつか宮野池も蛮州の領民に侵食されるかもしれない。事実、宮野池は大八洲でも異例すぎるほど亜人が生まれていた。まあ、父はそれにすら関心がなかったが。
「あなただって近衛なのだから、こうした繋がりが大なり小なりあるのは仕方ないとわかっているはずよ」
「教えるんじゃなかった、って思ってます。今では」
「そうかもね」
しかし、この小部屋にいつまでもいてもいいのだろうか。確かに人は来ないが、じゃあのんびりしましょうねとはいかないだろう。 沈黙だ。棗は話さない。私も特に何か喋りたい訳でもない。そろそろお暇しようか、という一言は私が言わなければならないのだろうか。
その時である。
ズダ、ズダ。
廊下を歩く音だ。上品ではない。踵からついて爪先で離す歩き方。体重がしっかりと床に伝わってしまうので、音が大きい。ここにきた時挨拶をしてくれた金髪の少年すらこんな歩き方をしていない。
「あー、肩凝った。やっぱ偉い人ってのはすげえなあ……」
襖の裏で声がした。さっきまで聞いてた声だ。
足音が止まっている。おい、まさか。
襖が開いた。
「めちゃくちゃ美人だもんなー、さすが宮入伯爵殿だ、な」
目の前。小部屋の畳に腰を下ろしている私と、立っている人——羽織っている打掛は同じものだった。
「え、あ」
もう顔の前に布は垂らしていない。そして、ずっと座っていたからわからなかった。
でかい。
私が棗を肩車してようやくトントンってとこか。それくらいのでかさだ。襖を潜っているのだからその大きさがよくわかる。
顔立ちは雑な魅力、とでも言えばいいだろうか。どれもこれも特徴的で、調和こそないが大雑把な美人が一番似合う言葉だろう。その顔は困惑に包まれていたけども。
「……狐珠浅右衛門?」
「わ、わわっ。な、なな、なんで」
その大きな身体がブレる。軸はしっかりしているのだが、長く筋肉質で質量のある腕が彼女のバランスを崩した。
その上、磨き上げられた廊下は、彼女が履いていた足袋と致命的に相性が悪かったのだ。 狐珠浅右衛門が転ぶ。大きな音がして私はつい、目を瞑った。




