邂逅
長い廊下だ。
ここだけでも私の家とは一線を画す。ケバだった感じもなく、毎日磨かれているらしい。
案内役の少年はガチガチとしていて、やたらと足を滑らせている。
「ねえ」
前を行く少年に声をかけた。
「っ! はは、はいっ!」
そういえば私が彼ら下人(というのも失礼だが)で喋るのは初めてだったか。
「緊張してるの?」
「い、いえっ。光栄の限りです」
何がだか。
「そんな肩肘張らなくても大丈夫ですよ。私はただ、お礼を言いに来ただけの近衛大尉です」
一応客人とはいえ、無粋な真似はしたくない。宮入伯爵家令嬢の、というより、私個人の考えだ。変に肩肘張っているのはむしろこっちかもしれない。
「は」
「ふふん、少年。これはとても光栄な事だよ。伯爵様から話を振られるなんて君の人生でもそうある事じゃない。しかも敬語でだ。君を立ててくださっている」
また、こいつは……。棗の声に、少年はさらに恐縮してしまった。気を抜かせてやれって。
「ここっこ、こちらです」
声が震えてて、何を言っているかすらわかりづらい。かわいそうに……。
私は彼にありがとうとお礼を言ったが、結局襖を開ける手が震えたままなのを見てしまった。
どうやら彼にとって私の存在自体が緊張を引き起こしてしまっているらしい。ま、もうこういうものだと割り切ろう。
襖が開かれる。
(大きな広間だな)
私が抱いた感想はそんなものだった。何せ伯爵家とは名ばかりの没落ぶりだったからそんなしょっぱい考えしか頭に浮かばないのである。
「宮入伯爵殿、お話は聞き及んでおります」
広間の真ん中だろうか、それとも襖の斜め正面とでもいうのか。
打掛をまとった影が蹲っている。膝をおり両手を合わせ、畳に頭を擦り付ける形だ。
「は……」
何だこれは、丁寧にすぎる。
「この度は狐珠浅右衛門の屋敷を訪れてくださり、到底言葉では表せられない栄誉をひしひしと感じております」
「え、ええと」
確かに私は伯爵家の令嬢だが、没落気味のものだ。爵位だって私が継ぐとも限らない。
だが、狐珠はそんなことも知らないだろう。目上の人間に対しての礼をきっちり行なっている。
「ささ、どうぞ上座に」
畳を重ねた場所に座り、金屏風を背中に背負う。流石に古風すぎやしないかと思った。私はチラリと棗を見た。一応従者、という立ち位置になっているのだろう、畳の下ではあるがとりあえず上座とされるところに座っている。
口元を押さえている。笑っているのだろうか。
「私もいいかい? 浅右衛門」
「……はて。伯爵殿、従者の教育はしっかりした方がいいですぞ」
「誰が従者だ、私は伯爵様の主治医だよ。ま、苦しゅうないと言っておこうか。さ、表をあげてくれ浅右衛門」
「……やかましい奴だ、黙ってろ」
小声がした。低い、聞き覚えのある声だ。確かに戦場で聞いたあの声に相違ない。さっきまで作っていた声などよりもよほど魅力的だった。
「私からもお願いします。狐珠浅右衛門様——どうぞ、気楽に」
私も一応貴族に当たるわけだから、こうした時の礼儀だとかは学ばされている。
とはいえ使い慣れているとはとても言えなかったが。
「伯爵殿の命令ならば」
そう答えて、目の前の人物は顔を上げた。
布があった。頭から布を垂らし、顔が見えない。
「失礼。お顔を見せるわけにはいかないのです。伯爵家ご令嬢に処刑人の相貌をお見せするわけにはいかないので」
低い声に似合わない卑屈な言葉が布の奥から聞こえた。
棗も、それに同意するわけでもないのだろうが、別に否定はしていない。そうしたものなのだ、というように顎を引いた。
「そういうことは気にしないでいいと思うのだけれど」
「いや、仰らないでください。処刑人は処刑人、伯爵は伯爵です。引くべき一線はあるかと」
「そう、ですか」
それ以上言えない。ただ、私としてはそうした態度を取られるのも何だか嫌な気分だった。
大体伯爵伯爵というが、爵位を持っているのは父だし、貴族であるのも宮入家。私自身はただただ近衛師団所属の大尉にすぎない。
それも、私個人で言うのなら敗残兵にすぎないとすら思っていた。狐珠は自分のことを処刑人というが、じゃあ私は何なのだ。
命令とはいえ無謀な突撃を行わせ、二〇〇人からなる中隊を文字通り全滅させてしまった。
私一人がおめおめと生き残った。狐珠の手がなければ私は死んでいた。
「あの、狐珠様」
「は」
狐珠が両手を畳についたまま答える。
「どうか布をとっていただけませんか?」
「嫌です。あ、いえ……、その、あまり良き顔ではありませんので」
「そんなことは私が決めることです。布を取りなさい。目を見なきゃお礼も言えません。それとも宮入伯爵家の令嬢は命の恩人に礼もできないとでもおっしゃるの?」
「い、いや……、ちょ、ちょっと失礼。お、おい、棗」
布切れで顔を隠しても、狐珠が戸惑っているのが伝わる。助けを求めようとした棗は口元に手を持っていって吹き出した。




