拒絶
「昼食ご馳走様でした。ええ、非常にいい会でした。またお呼びたていただけるなら馳せ参じましょう」
棗はセカセカと立ち上がり、この場から逃れようとしている。
非常に嘘くさい言葉であり、これ以上何も聞くなという態度だ。呼び出したところで患者がどうのと言って逃げるだろう。
「貴女は知っているわよね。言いなさい。これは命令よ」
「知りません、知らない事は喋りようがないでしょう」
すげない言葉で断ち切られた。私はそのまま棗の身体を掴もうとする。
手が届かなかった。
「?」
もう一度彼女に手を伸ばす。今度はいつも着込んでいる白衣を抑えようとした。
スカ。
「……?」
「貴女の右目。ほら、火傷の痕がある方ですよ。ほとんど見えてないはずだ」
「視力が落ちるだけだって、あんた」
距離感。それがおかしい。
掴もうとしても、彼女がどこくらいの距離にいるのかが分からない。
「嘘は言ってません。視力が下がる。どこまで下がるかは分からなかったですが、さっきの食事で分かりました。目を擦ったり、箸の使い方が変でしたしね」
「どうなるの」
「きっと良くなるでしょう」
あまり期待できない声だった。私はもう一度掴もうとしたが、今度は棗の方が私の手を掴む。
「宮入大尉。いや、宮入伯爵」
「……まだ後を継いでないわよ」
「どうでもいい。貴女は結局偉い人だ。偉い人には知らないでいい世界もある」
棗はそう言い残して食堂を出て行った。
「課長、扇との紛争での資料が出来ました」
「ああ、そうかい」
どうでもよさそうに、腹の肉をでっぷりとつけた課長は私が出した資料を机に放り投げた。
本当にどうでもいいのだろう。彼のキャリアはここで終わったも同然だ。だからこそこうした態度も取れる。
私も同じなのだろうか。所詮腰掛けとも思われているのかもしれない。
「ただ少々付け加えたいことがあるので戦時記録を見せてもらいたいんです。よろしいですか?」
「ああ、勝手にしたまえ。ほら、鍵」
「過去のものではなく、今のものです。最新の。それを見るための書類が欲しいのですが」
「面倒だねえ」
「ハンコください。署名も」
「何で私がそんなことしなくちゃならない? 資料は拝見した。実に見事だ。付け加えることなんかないよ」
課長は非常に面倒くさがりだ。腰回りがだらしなくなるのも当然。ここに配属になった初日、手洗い以外に一歩も机から動かなかった。
だらしなく足をあげ、ぐだぐだとタバコを吹かすか新聞を見ているか。
こんなやる気のない態度でも生まれが男爵家で爵位も持っているからか首にもならない。
生まれだけで何とか職を繋いでいるやつだが、やる気がない分理不尽でもないから近衛の、それも後方ならばまあそれなりの上司とも言えた。
「……課長」
「問題なしだ。ゆっくりしたまえ。タバコでもどうだね? ただ私は今の今、切らしてしまったんだが」
露骨な要求だ。名前を書いてハンコを押すだけ。それですら対価を要求する。面倒くさがりの課長が一番面倒だ。
「ご馳走しますよ」
「それじゃまるで私が要求したみたいじゃないか、宮入係長」
ねっとりとした声だ。このやりとりに意味があるとは思えない。きっとそんなものはないのだろう。
ただ、目の前の小娘を困らせるくらいしか娯楽がない。少佐として閑職に回されてせいぜいその程度の楽しみしか見出せない目の前の贅肉に同情しつつ、私は言った。
「少佐殿。どうです? 昼下がりですね。タバコとコーヒーで一服するのは」
「君が共をするのならとても楽しいだろうね」
くたばれ、糞豚。
そんな気持ちを押し殺して私は頷いた。




