感覚
夕方、私たち四人は駅前のカフェに入った。
会社帰りの人たちで席はそこそこ埋まっていて、静かなざわめきの中に――失禁する水音がときどき混じっていた。
もう見慣れてしまった光景。でも、やっぱり私は完全に慣れたわけじゃない。
ホットコーヒーのカップを両手で包みながら、私は思い切って切り出した。
「ねえ……楓ちゃん、萌ちゃん。そもそも、“失禁が当たり前”って、どんな感覚なの? 私や美咲にはまだ、うまく想像できなくて」
「うーん……」楓ちゃんは困ったように眉を寄せた。
「私、説明下手だから……萌の方が言葉にできると思います」
視線を受けた萌ちゃんは、少し頬を赤くしながらも、真剣に私たちを見つめ返した。
「……そうですね。失禁が“普通”っていうのは、まず――“排泄の選択肢がひとつしかない”って感覚なんです」
「選択肢?」私は思わず首を傾げる。
「尿意を感じたからって、すぐにするわけじゃないんです。だってそのたびに着替えていたら大変でしょう? だから一応、ある程度は我慢します。でも……昨日の美咲先輩みたいに“もう限界で漏れちゃった”って状況は、ほとんどないんです。だって、どこでしてもいいんですから。だから、我慢して……自分のタイミングで“よし、ここで出そう”って決めて出すんです」
「……じゃあ、コントロールはちゃんとしてるんだ?」美咲が驚いた顔で口を挟む。
「はい。ただおしっこをするという場所がないので、“パンツの中に出す”のが前提になるんです。だから人によって、出し方の“スタイル”があるんです」
私は思わず聞き返してしまった。
「スタイル?」
「たとえば……私は、しゃがんでしていました。太ももが濡れる感覚はあまり好きじゃなかったから。でも、中には“濡れる感覚が好き”って人もいて……そういう人はスカートのまま立ってするんです。私は今思うと……顔から火が出そうですけど」
萌ちゃんの言葉に、楓ちゃんも小さく笑った。
「私はズボンで立ってしてましたね。太ももを伝う感覚が好きで……。今では『なんでそんなことを…』って思いますけど」
私は二人の話を聞きながら、胸の奥がざわざわした。
(なるほど……みんなそれぞれの“やり方”があったんだ……。でも、それって――)
脳裏に、ふと「トイレ」という言葉が浮かんだ。
(……もしかして、前の世界での“トイレの使い方”と関係してるんじゃないかな? 座ってする人、立ってする人……。その違いが、この世界でも“失禁のスタイル”として残ってる?)
私は、どうしても気になっていたことを口にした。
「ねえ……パンツを見られるのって、嫌じゃないの? スカートをめくってそのままする人もいるけど」
萌ちゃんはストローをいじりながら、少し考えてから答えた。
「うーん……“着替えるのが面倒だから”って人が多いですね。私自身も、パンツを見られること自体は嫌じゃないんです。ただ、濡れたパンツを何度も替えるのが手間で……。だからスカートをめくって直接する人もいるんです」
「でも、それなら……ズボン自体をはかない、って選択をする人がいてもよさそうなのに」私は思わず突っ込んだ。
「そんなこともないんです。やっぱり“ファッション重視”って感じで。多少手間でも、自分の好きな服を着たいんですよ」
萌ちゃんの答えは妙に現実的で、私は「なるほど」とうなずいてしまった。
でも――やっぱりひとつ聞いておきたかった。
「……トイレに行くっていう選択肢は?」
少し間を置いてから、萌ちゃんは当たり前のように答えた。
「トイレは……おしっこをする場所じゃないですね」
やっぱりそうか。私は胸の奥に冷たい感覚を覚えた。
(この世界では、トイレは“おしっこの場所”じゃない……。じゃあ、何のために?)
疑問がふくらむ。
そのとき、楓ちゃんが急に小声で言った。
「……すみません。目をそらしてもらえないですか?」
私と美咲と萌ちゃんは、思わず視線を外した。
その直後――じょぉ……と、水が流れ出すような音がテーブルの下から聞こえてくる。
楓ちゃんはおむつをしているから濡れていない。けれど、彼女の顔は耳まで真っ赤に染まっていた。
「おむつ、替えておいで」
美咲が優しく声をかけると、楓ちゃんは小さくうなずいて、顔を赤くしたまま席を立った。
私は残ったカップを指でなぞりながら、前から気になっていたことを萌ちゃんにぶつけてみる。
「……ねえ、外でパンツを脱いで、そのままするって選択肢はないの?」
萌ちゃんは、ぴくりと肩を震わせた。
「そ、外でパンツを下ろすなんて……そんな……! 見られちゃうかもしれないじゃないですか」
その顔は、恥ずかしさで頬が真っ赤になっていた。
(なるほど……“下ろすこと”には羞恥心があるんだ。つまり、裸を見られることに抵抗がある……)
私は、心の中でひとつのピースが埋まったように感じた。
今度は美咲が口を開いた。
「じゃあさ……パンツやズボンをはいたまますることに、不快感はないの?」
「……あんまりないですね」
萌ちゃんは少し視線を落としながら、言葉を続けた。
「むしろ……暖かくて広がっていく感覚が、気持ちいいというか……。あ、もちろん今はそんなことより恥ずかしいですけど。でも……濡れたものをはいたままなのは、冷たくて気持ち悪いので。だから、着替えたいって気持ちはあります」
私は静かに頷いた。
(そうか……。パンツや服を濡らすこと自体に抵抗は薄くても、“濡れたまま過ごす”ことは嫌なんだ。これが、この世界の“常識”なんだ)
カフェのBGMの中で、私は一人、妙に冷静な気持ちでその事実を受け止めていた。
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楓ちゃんが、少し顔を赤くしたまま席に戻ってきた。
「お待たせしました……」と小声で言いながら、ストローをいじっている。
「大丈夫?」と美咲が声をかけると、楓ちゃんはコクリとうなずいた。
「はい……替えてきたので」
その姿に少し安心して、私は話題を戻した。
「さっきね、萌ちゃんに聞いてたんだ。パンツやズボンを濡らすことって、不快じゃないのかって」
楓ちゃんは、目を丸くしたあと、少し考えるように顎に指を添えた。
「……あ、確かに。私も“濡れるのは嫌だな”って感覚はあんまりなかったかもです」
萌ちゃんがうなずき、言葉を継ぐ。
「そうなんです。だから、外で下ろしてしちゃうっていう選択肢のほうが、よっぽど恥ずかしい。周りから見られる可能性がありますし」
「なるほど……」と私は思わずつぶやいた。
でも、どうしても引っかかる。
「じゃあ……」私は少し身を乗り出した。
「もし、誰にも見られない完全な個室があったら? そこでパンツを下ろしてするのはどう?」
楓ちゃんと萌ちゃんは、一瞬だけ顔を見合わせる。
そして、同時に首をかしげた。
「……考えたこともないですね」
「うん……。わざわざ脱ぐ必要、あるんですか?」
私は唇を噛んだ。
(そうか……。“必要性がないから、やらない”という感覚か。私たちの世界では“トイレでするのが当たり前”だったのに……。常識が、根本から違ってるんだ)




