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楓の誤算

朝の会議が終わって、自分の席に戻ろうとしたときだった。

「彩先輩、昨日はすみません」

背後から声をかけられ、振り返ると楓が小さく頭を下げていた。


あの出来事――廊下で、強制的に失禁させられてしまったこと。

楓は悪気など一切なく、ただ“良かれと思って”やっただけだと彩にはわかっていた。


「……いいよ、楓ちゃんは悪くないから」

努めて穏やかに答える。楓の瞳は少し揺れていたが、その奥に悪意はなかった。

それだけに、自分が泣いてしまったことを思い出すと胸が締めつけられた。


「じゃあ、私……お腹痛いから、ちょっとトイレ行ってくるね」

本当は――ただのおしっこだ。

でもこの世界では、そんな理由で女子トイレに向かう人間はいない。

だから彩は、言い訳を添えて歩き出した。


楓から離れ、トイレに向かう途中。

胸の中で自分に言い聞かせる。


――私は、私のままでいい。

――トイレで用を足せる、それが私の“正常”なんだ。


そう思わなければ、立っているだけで押し寄せてくる羞恥心に飲み込まれてしまいそうだった。


ーーーーーーーーーーーーーーーー


彩が去ったあと、楓は視線を美咲と佐伯先輩に移していた。

さっきまで、股を庇うように脚を組んだり、落ち着かない様子で立っていた二人。

明らかに“我慢”の仕草だった。


ところが今――美咲も、佐伯先輩も。

何事もなかったかのように表情を整え、自然に振る舞っている。


「……さっきまで、あんなに……」


楓は胸の奥でざわめきを感じた。

自分と同じ違和感を抱えながら、どうして二人は平然と戻れるのか。


「美咲先輩、佐伯先輩……」

楓は少し声を落として、二人のデスクの横に立った。

昼下がりのフロアはざわついていて、ちょうど会話を隠すには都合がよかった。


「……さっき、お二人、我慢してましたよね?」


唐突な問いかけに、美咲が瞬きを繰り返す。

佐伯先輩も、表情を一瞬だけ固くした。


「えっ……な、何のこと?」

美咲は笑みをつくろうが、その声はわずかに震えていた。


楓は首をかしげる。

「だって……お二人とも、脚をぎゅっと閉じたり、腰を落ち着かなそうにしてましたよね。

 それって……おしっこ我慢してるときの仕草に見えたんです」


その言葉に、美咲は息をのむ。

佐伯先輩は机の上の書類に視線を落としながら、低い声で返した。


「楓ちゃん……それ以上は、聞かないで」


けれど楓の中に生まれた違和感は、もう無視できなかった。

「でも……さっきまで我慢してたのに、気づいたら普通に戻ってたんです。

 おかしいですよね? どうして着替えてもないのに……」

すると、

佐伯先輩が私をじっと見て、ふっと眉を寄せる。


「……楓ちゃん、いつもより我慢してない?」


どきりとした。やっぱりバレてたんだ。脚をぎゅっと寄せてしまう自分が恥ずかしい。

「そうなんです。ただ今日はなんだか……出せなくって」

自分でも理由がわからない。いつもなら限界になれば、その場で自然に、温かさが広がるはずなのに。


隣で美咲さんが心配そうに顔をのぞき込む。

「大丈夫? 顔色も赤いよ」


「だ、大丈夫です! 今ここでしちゃいますね!」

思いきって宣言してみた。だけど……。


膀胱は張り裂けそうなのに、足の付け根に力が入ってしまう。目をぎゅっと閉じても、何も出てこない。

周りの人たちは当たり前のようにスカートやズボンを濡らしているのに、私だけ……。


「……でない……」

小さくつぶやいた声が自分でも震えていた。


顔から火が出そうで、もうここにいられなかった。

「す、すみません!」そう言って、私は踵を返し、廊下に駆け出していた。

溢れそうな尿意と、止まらない羞恥心に背中を押されるように。


廊下の突き当たり、誰もいない空間。

私は壁に手をつき、必死に腰を揺らしていた。

「……でない……なんで……」

息が荒くなる。下腹部は重く張り、今にも溢れそうなのに、どうしても解放できなかった。


そこへ、軽い足音。振り返ると、トイレから戻ってきた彩先輩がいた。

「楓ちゃん?」

先輩の声が落ち着いていて、余計に涙が出そうになる。


「彩先輩! おしっこが我慢できないんです!」

助けを求めるように叫んだ。でも先輩の顔は驚きで固まっていた。――だってそうだ、昨日の私は普通に廊下で、先輩の前でズボンを濡らしていたんだから。


なぜ今になって「できない」なんて言っているのか、自分でもわからない。


次の瞬間、限界は容赦なく訪れた。

「……っ!」


温かい感覚が股間から一気に広がった。

ベージュのチノパンに、深い色のしみがじわじわと広がっていく。布越しに熱い液体が太ももを伝い、内ももを濡らしていく。足首まで熱が到達し、靴の中にもしみこんでいった。


昨日までなら「やっと出た」と思えたはずなのに、今は違う。胸が苦しくて、息が詰まりそう。顔が赤くなって、彩先輩をまともに見られない。


「……なんで……恥ずかしい……」

言葉が漏れる。涙が視界をにじませた。


恥ずかしい。

でもなぜ恥ずかしいのか、どうして涙が出るのか、楓自身にも説明できなかった。


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