更衣室
私はびしょ濡れになった黒いズボンとパンツを、震える手で脱いだ。
ロッカーに常備している替えの服を取り出し、急いで履き替える。
鏡に映る自分の顔は赤く腫れ、涙の跡がくっきり残っていた。
「……とにかく仕事に戻らなきゃ」
深呼吸をして表情を整えようとするが、胸の奥のざわつきは消えなかった。
どうして私は、人前で泣くほど恥ずかしいのだろう。
どうして“この世界の普通”に振る舞えないのだろう。
――そう自問しながらデスクへ戻ると、美咲と佐伯先輩が同時に顔を上げた。
「……えっ? 彩、どうして着替えてるの?」
美咲が眉をひそめる。
佐伯先輩も心配そうに声をかけてきた。
「彩ちゃん、トイレでできるんじゃなかったの? なのに……まさか、漏らしちゃったの?」
その問いかけに、私は視線を落としたまま言葉を失った。
指先が震えるのを、机の下で必死に握り締めて隠す。
美咲は小声で続けた。
「……どういうこと? 彩は唯一“普通に”トイレに行けると思ってたのに」
美咲と佐伯先輩の視線を感じながら、唇を噛む。
「……あのね」
勇気を振り絞って声を出す。
「私、自分で漏らしたんじゃないの。楓に……無理やり……」
二人の目が一瞬、大きく見開かれた。
「無理やり? どういうこと?」
美咲が思わず身を乗り出す。
私は膝の上で震える手をぎゅっと握りしめながら、昼休みに起きた出来事を語り出した。
「トイレに行こうとしたら、楓に声をかけられて……。『一緒にここでしよう』って言われて……。断ったのに、私のお腹を押して……。それで、止められなくなって……」
思い出すだけで、頬が熱くなる。
黒いズボンに広がる温かさ、あの時の羞恥と無力感が、また鮮明によみがえる。
「私は……泣いてしまったの。恥ずかしくて、悔しくて……。でも楓は不思議そうにしてた。『なんで泣くんですか?』って……。この世界では、それが“普通”だから」
声が震え、涙が目尻ににじんでいく。
佐伯先輩は黙って聞き、深く息を吐いた。
「……なるほど。彩ちゃん、無理やり“常識”に引きずり込まれたんだね」
美咲は唇を噛みしめ、机を強く握った。
「楓ちゃんに悪気はないんだろうけど……それ、彩にとっては辛すぎるよね。だって私たちと違って、彩はまだトイレでできるのに……」
私はうなずいた。
「だから怖いの。もしかしたら、私も少しずつ“普通”になっていってしまうんじゃないかって」
言葉を吐き出した瞬間、胸の奥に溜まっていた重いものが、ほんの少しだけ軽くなった気がした。
でも同時に、美咲と佐伯先輩の顔には深い影が落ちていた。




