疑問
ここまでで、いくつか確かなことが見えてきた。
まず――① 女子トイレはあるが、大便のためにしか使われていない。
おしっこのために個室へ駆け込む人はいない。誰もが当たり前のように、ズボンやスカートをはいたまま廊下で、会議室で、街の真ん中で……用を足している。
だから、トイレは“おしっこをする場所”ではなく、あくまで“うんち”のためにあるものとしてしか認識されていない。
② 羞恥心は「失禁」という行為には伴っていない。
ただし――性器を見せることへの羞恥心は残っている。
だから皆、失禁するときもズボンやスカートを脱がない。衣服の上から濡らす。
羞恥心の対象は「尿」ではなく「身体の一部」。
この歪んだ価値観が、この世界のルールを形作っている。
そして何より奇妙なのは――③ 美咲も先輩も、“あの日”以前を「失禁が当たり前じゃない日」としては覚えていないということ。
私にとっては確かに存在していた“当たり前にトイレで用を足していた世界”が、彼女たちには最初から無かったことになっている。
なのに、羞恥心だけが残っている。
失禁そのものへの嫌悪感と羞恥心を抱いた“あの日”を、私と同じように記憶している。
――これは一体、どういうことなんだろう?
もし世界そのものが書き換えられたのだとしたら。
なぜ、私と美咲と先輩だけが、その“ズレ”を抱え続けているのか。
私は二人の顔を見た。
(答えを探すには……もっと“あの日”のことを掘り下げなきゃならない)




