沈む島と浮かぶ嘘
金属製のグリッド床が軋み、足音が地下へ吸い込まれていく。
ここは地表から200メートル下にある〈観測ユニットD-4〉。島の“中核”ともいえる、地殻データ解析フロアだ。
トーマス・Kは、冷たい床の上にしゃがみ込み、震える手でコア採取用のドリルを分解していた。
彼の額にはじっとりと汗が滲んでいる。
(これは、ただの沈下じゃない……。重力そのものが、ねじれている)
先ほど取得した地層サンプルには、天然ではありえない構造格子が含まれていた。
規則正しく並ぶ分子結合。断層を無視して入り込む微細な鉱物構造。
しかも、それらは圧力や時間に応じて自己変形する特性を持っていた。
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それは、かつて彼がNASAの研究所で見た、ナノグラビトン制御素材と酷似していた。
理論上、局所重力を操作する“疑似場”を発生させる構造体。
だが、実用化は不可能なはずだった。人類の手には、まだ早い技術だった。
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「どうして……こんなものが、島の地中に?」
トーマスはタブレット端末に入力した。
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重力傾斜変化値:4.3×10⁻⁶ g/時
予測沈下モデル偏差:+89%
AIモデルとの整合率:不一致
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地球規模の力学では説明できない。
これは、“誰かが設置した”装置が、意図的に島を沈ませているという数値だ。
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ブツ、と無線がつながる。
「……トーマス博士、こちら制御室。気象観測AIが再起動されましたが、過去12時間分のログが消失しています」
「何だって?」
「さらに……リアルタイムデータも、一部が書き換えられている形跡が」
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彼は眉間に皺を寄せた。
書き換え。それはつまり、意図的な改ざんだ。
誰かが“この異常を”隠そうとしている。
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「……隠蔽工作だとしたら、これはもう“自然現象”では済まされない」
彼はひとつ深く息を吐き、地下制御ユニットの扉を開けた。
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そこは、ひんやりとした空間。壁一面に張り巡らされたモニターが、無数のデータを映し出している。
そのうちの一つ、旧型の暗号ファイルが保管されたサーバーに目を留める。
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ファイル名:MELT_CORE_v3
アクセス権限:第2階層ロック
プロジェクト種別:極秘研究/神経記憶・重力場干渉実験
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(……MELT CORE?)
それはかつて、AIと人間の“記憶共有”を実現するために動いていた廃止された極秘計画の名前だった。
トーマスは、その構想が倫理委員会によって凍結されたはずだと記憶している。
もしその残骸がこの島にあるとすれば——
ここで起きているのは、**“重力”と“記憶”を同時に操作する実験”**なのか?
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そのとき、背後の大型スクリーンが突然切り替わった。
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——LIVE映像:東側沿岸 カメラ7
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画面には、白い泡が潮の満ち引きに逆らって逆流する様子が映っていた。
泡の中央には、**浮かび上がるように“空間の歪み”**が見える。
モアレのように揺れる世界。背景の建物が、まるで蜃気楼のようにぼやけていた。
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「……これは、海じゃない。泡の中に“もうひとつの層”がある」
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トーマスは、泡がただの現象ではなく、時空の“層”を露出させていると直感した。
それはかつて、彼が論文で却下された「記憶の位相場理論」と酷似している。
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記憶はただの神経信号ではない。
それは、**時間の別位相に存在する“形のない重み”**だ。
そして今、島はその“重み”に沈みつつある。
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だが、誰が、こんな実験を続けているのか?
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不意に、スクリーンに新しいログ通知が表示された。
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<< MELT CORE・コマンド実行中:Phase Bへの移行準備 >>
<< 次回沈下イベント予測時刻:23:42 >>
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23:42。今夜だ。
その時間に、次の“沈下”が起こる。
トーマスは咄嗟に通信装置を掴んだ。
「こちら観測ユニット、全スタッフに告ぐ。23時までに高所へ退避準備を。これは……“地質現象ではない”。我々が立っているこの島は、誰かに操られている!」
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しかし通信の向こうから返ってきたのは、ノイズ混じりの短い音声だった。
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「……あなたは、すでに沈みかけている」
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「……誰だ?」
だが、返事はなかった。
モニターには、泡の向こうで歪むユウトのシルエットが映っていた。