表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/6

冬賀学園高等部の昼。

水上亮が暴走中。

そんな警報が流れたのは、始業式が終わった直後からった。



「水上」

「――なんだよ」



触らぬ水上に祟りなし。

そんな結論によって引っ張り出された近藤は、なるほどと内心一つ頷いた。


昼休み。

いつもならここまで機嫌を損ねることなど滅多にないはずなのに、思わず周りのクラスメートが皆引いてしまうくらい、水上はどす黒い何かを背負っているようだった。

はっきり言えば、幼馴染の近藤でさえこの入り口で何も見なかったことにして、踵を返したいくらいに。


朝、寮を出る時はここまで酷くもなかったはずなのに、一体何があったのかと言いたいくらいだ。

今なら水上を知らない人間でも「こいつは危険だ」と本能が訴えるに違いない。

そんな状態だからこそ、一番付き合いの長い自分のところに、恐れおののいた皆が責任を押しつけに来たのかと、悲しい納得をする。


確かにこのまま放っておいても、自分に被害はない、が。

クラス全体が萎縮するほど荒れている彼を放っておけるほど人でなしでもなくて、結局近藤は嫌がる本能を押さえつけてまた声をかけた。



「いや、昼飯でもどうかと思って。屋上で――」

「水上!」



しかしそう言いかけた近藤の後ろから、あっさりと別の声が遮る。

思わず近藤が振り返れば、そこにいたのは一年二組の担任だった。

普通なら関係のない教師だ。


あれ、でも確か二組ってことは……と近藤が首を傾げるより先に、まだ年若い彼があっさりと水上に尋ねる。



「確か渋沢と同室だったよな。悪いんだけどこれ、渋沢に渡しておいてくれないか?今夜中には帰ってくると聞いたから、出来れば明日までに目を通しておいてもらいたいんだ……けど……。あ、の……?」




ビシッと空気が凍る音を、近藤は誇張でも何でもなくはっきりと聞いた気がした。

特に『渋沢』の二文字が出た瞬間、それこそ絶対零度のようなブリザードさえ吹き荒れた気がする。

朝、中西や根岸が出した時より数十倍以上の反応だ。


そしてもちろんそれは近藤だけが感じたわけではないらしい。

言った当の本人である教師はもちろん、それをうっかり近くで聞いてしまった水上のクラスメート達も近藤と同じく凍りついている。



「――どうしました?これ、渡しておけばいいんですよね。渋沢に」

「あ、ああ。うん。えっと……あ、それじゃ頼んだから」

「はい」



――なんでだろう。

笑顔なのに、怖いし寒い。


まるでお約束通りのその光景に、これ幸いと脱兎のごとく逃げ出した教師の背中に近藤は深い溜息をついた。

なにもわざわざ悪かった機嫌をもっと悪くしてくれなくたって……。


おまけになんだかここまで機嫌が悪くなった原因さえ見えてしまった気がする。



「水上」

「……なんだよ?」

「とりあえず屋上だ、屋上。来いよ」

「……」



嫌がるかとも思ったが、流石に自分の振りまく空気には気がついているのだろう。

渋々とではあるが水上は近藤の後をついてきた。

それにほっとしながらも、一向に緩まない空気の冷たさに近藤はまた大きな溜息をつく。


それでもまあ、そこまではまだマシだった。のだが。



「――ってか大体何で俺がこんな目にあってんだ?ああ?」

「……話が見えてないって……」



高等部の屋上は校舎ごとに一つずつあるが、その中でも一年生に割り当てられた棟の屋上は何をするにも不便で小さいことから、あまり利用者の姿は見られない。

幸いというか不運というか、とにかく今回人影はなく。


でもだからといって屋上に着いた途端、柵まで追いつめられた挙句、喧嘩を売られているかのように文句を言われなきゃいけない理由には、ならないと近藤は思うのだ。



「つーかな?何だって俺があんなのの……」

「だから落ちつけって!話が見えてないん……」

「だからあの馬鹿のせいだって言ってんだ、俺は!!」



だからその『馬鹿』が誰なのか、どういう状態なのか、なんでそこまで怒っているのかをうっかり省かないで欲しいものだ。

しかしながらそれだけでほぼ間違いなく全貌を把握できてしまった自分もどうかと、近藤は泣きたくなる。


つまりあれだ。

水上亮が馬鹿と呼ぶ相手――それは渋沢勝明でしかありえない。


かなりどころか絶対と言っていいほどその筋――サッカー関連では有名な彼は、この世代No.1ゴールキーパーだの、若き守護神だのと恥ずかしげもなくあちこちでそう呼ばれている。

一年なのに入学と同時に一軍へと上がり、現在は名門冬賀のゴールキーパー控えとして、またナショナル選抜だの東京選抜だのと色々な肩書きを背負い、高等部進学時から色々と脚光を浴びている彼。

恵まれた大柄な、けれど均整の取れた古き良き日本男児といった渋沢は、文字通りの文武両道とその穏和な性格――といってもそれを心底信じている人間ははっきり言ってサッカー部には誰もいない。何せストレス解消が料理とのたまうオカン属性なのだ――が仇になってとでもいうべきか、学校生活においても、何かと人のまとめ役を任されたりと忙しい。

その彼が現在水上の同室者で、そして中等部の頃からちょっとだけ普通とは違うんじゃないかと囁かれるほどに仲のいい相手でもあった。


といっても水上に言わせれば結局、こんな風に「あの馬鹿」としか言われないのだが。


ちなみに馬鹿呼ばわりをするのは流石に水上だけだ。

少なくともそう思っていたとしても口にできる勇気があるのは、水上くらいなものである。



「まあまあ一応落ち着け。深呼吸。興奮すると血圧上がるぞー」



とりあえず肩で息をしている水上を落ち着かせようと、近藤は予め買い込んでいたパンやコーヒーをさっさと手渡した。

いつもらしく話しかける努力をするのは並大抵の努力ではないのだが、そこはやはり付き合いの長さと言うべきだろうか。


水上もそれにやっと我を取りもどしたらしく、パンを片手にずるずるとフェンスに寄りかかりながら座り込んだ。

疲れた、と小さく呟く声がする。



「――大丈夫か?」

「も、ダメ。俺、死ぬ」

「そう簡単に死ぬか、馬鹿。それより説明しろよ。何であそこまで機嫌悪くなってるんだ?朝はそこまで酷くは……」

「――言っとくが俺は悪くないぞ」

「……わかった。それはわかったから」



近藤もパンを取り出してかじり出す。購買部は揃えも豊富で、味も悪くない。

寮生活の身としては弁当など望むべくもないから、それはありがたいところだが、残念ながら味わう余裕はなかった。

言うまでもなく水上のせいだ。



「――渋沢が。……あいつが、今日法事とかで学校休みやがって」

「別にそんなの今にわかった事じゃ……」

「――なんかみんなして俺に伝言頼んで、人の顔みりゃ『渋沢は?』とか抜かしやがって」

「……」



なんだか酷く頭痛がする。

だってそれはつまり。



「俺はあいつとワンセットなのか?んなわけねーだろう!大体なんだよ、渋沢渋沢って。あいつがいなきゃそんなに困るのかよ。大体今日なんて始業式でまともに授業もないくせに今からそんなんでどうするってんだっ」

「……」



わかりやすいのか、わかりにくいのか、それは近藤には判断が付きかねる。

もしこの場に中西がいたら「わかりやすい」というかもしれないが、根岸辺りがいたら「わかりにくい。もっと素直になればいいのに」ということになるだろう。


つまりそういうことだった。

つまり――そうだ。

これを水上の本音として翻訳すれば恐らく、というか十中八九『いちいち渋沢がいないことを思い出させるんじゃねえ!』だ。


もしここが中等部だったら、一つ年下で、今は自分たちがいなくなったサッカー部をまとめている藤澤や葛西辺りが直球で口にしているだろうし、あるいは間下などに至っては「嘘をつけ」といった目でじっと水上を見るぐらいのことはしているに違いない。


しかし残念ながら近藤はそこまで大物じゃなかった。

周りがどう思っているかは別として、ごくごく普通の心臓しか持たない自分にそんなことはできない。

朝のように中西や根岸の直球ストレートなからかいに、多少便乗して遊ぶくらいが関の山だ。


そして一応、昔なじみの一人である水上をこれ以上追いつめるのもどうかと思ったせいもあって、結局近藤は力無く項垂れただけだった。

中西辺りが聞いたら冷やかされそうな話だが、結局のところ近藤はどこか水上に対しては甘かった。



「ったく……大体あいつが休まなきゃ俺がこんな目にあわなくてすんだんだ。帰ってきたら絶対償ってもらおーじゃねえか」

「……そうしてもらえ。ああ、うん。でも程々にしておけよ」



水上の我儘一杯の台詞に、渋沢だって好きで休んだわけじゃないだろうと言いたかったが、それはやはり口には出来なくて。

けれどそう思っていることは水上にも筒抜けだったのか、呆れたように彼は続けた。



「言っとくけどな、不可抗力って言ったって俺に被害が来てる時点でもうどんな理由でもアウトだろ。他人に迷惑かけるなっていうのは人間関係の基本だよな?」




――根本的に何かが違うと思う。

ついでに今ここにいない渋沢とのことじゃなく、この状況に追い込まれた自分と己との関係も考えて欲しい。


近藤の小さな呟きは、胸の内で押しつぶされた。



「だからそれ相応のことはしてもらわねえと割があわねえだろ?うん。よし。見てろよ、渋沢!」



物騒な話だが、一度そうすると決めたら少しはすっきりしたのか、水上は渡されたパンをぺろりと平らげ、満足そうに頷いた。

それを見てまあいいかなどと思いながら近藤もパンにかじりつく。

結局被害は渋沢一人。だったらその辺で手を打っておくのが賢いやり方だろう。


と、そこでふと水上が気づいたように顔を上げた。



「近藤」

「ん?」

「――ほら。ピアノ。……葛西だ」

「え?……あ」



隣り合わせの中等部のほうから微かに流れてくるピアノは、耳を澄まさなければ聞き逃しそうになるくらい儚い。

言われて初めて近藤も気がつく。



「……ホントだ」

「また馬鹿代が窓を開けっ放しにしてるんだろ。防音の意味とかわかってねえからな、あいつ」



どこか楽しげに水上が呟く。



「大体、授業やなんかの音楽鑑賞の時には絶対寝てるくせに葛西が弾く時だけはしっかり聞いてるんだから、まったくわかりやすい馬鹿だぜ。犬だよな、まるっきり。好きだーって大声で叫んでるのと同じ」

「……そうだな」



笑う水上に、だからどうして他人事ならそういうこともよくわかっているのに、自分のことはわからないんだか、と近藤は思う。

聡いんだか、疎いんだかと首を傾げたくなるのはこういう時だ。

率直に言ってしまえば藤澤と葛西の関係がわかりやすいのと同じくらい、水上と渋沢の関係もわかりやすいのに。


近藤は一人、心の中でぼやく。


空は快晴。夏の暑さも少し和らいだ、気持ちのいい午後。

小さく聞こえる葛西のピアノに、気分もよくなった水上は満腹も手伝ってか気持ちよさそうに体を伸ばして。



「あー……も、なんかどうでもよくなってきた。俺、今日はサボる。上手く言っといて」

「……水上」



これ以上何も聞きたくないとでもいうように、水上はそのままごろりと横になって目を瞑ってしまった。

本格的に寝る態勢だ。



「……」



なんだかんだと辰巳とはまた別に、厄介ごとを押しつけられる自分が、今学期もまたこの友人に振り回される。


そんな予感がした二学期最初の日。

近藤はため息一つと引き替えに空を見上げた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ