76話 墓参り
2035年11月16日
「約束通り、人類の勝利を持ってきました」
バージニア州、アーリントン国立墓地。喪服を纏う聖が、アイザックの墓にそう声を掛けた。
Isaac Carter Apr 7, 2008-Nov 2, 2035
墓石にはそれだけが刻まれている。彼の遺体は既に無く、よって墓石の下には何もない。そんな死に方だからなのか、あるいは出自故か、男の墓は簡素で、それ以外には何の飾りもなかった。案内役を務めた同僚によれば、彼は両親をヴィルツによって亡くした孤児だという。子供の頃からヴィルツを憎み、心身を鍛え、軍に入隊した。ただ復讐の為、それ以外の何も持っていないと重ねる同僚の話に、暗い過去を全く想起させない朗らかなアイザックの人柄を垣間見た聖の目に涙が滲む。
「約束したのは旦那様だけですから、私ならいいですよね」
続けてコロが墓石に声を掛けると、数本の花束と酒を墓に手向けた。
「俺達、未来に行きます」
冷たい墓石に、聖は決意を語った。人類を、世界を救った。だが同時にヴィルツを殺めた。知らなかった。仕方なかった。神戸に仕組まれた。そうやって逃げても良い。だが、逃げない。自分の決断、行動に対する責任の為、未来に行くと決めた。
「その日はまだ決めてないんですけど、戦うと決めたのは私達の意志です」
コロもまた、未来に行くと決めた。彼女が生まれた理由は正に未来の為。しかし、その使命からは既に解放されている。されて尚、未来へと進む。運命の相手、九頭竜聖の傍に寄りそうと決めた己の決断の為に。
「その時になったら、また来ます」
完結に決意を告げた二人は墓前に手を合わせた。11月の寒えた空気がビュウと吹き付けた。その最中――
(頑張れよ)
微かに、だが確かに懐かしい声を聞いた。都合の良い幻聴かも知れない。しかしそうは思えなかった。風の中に、アイザックの応援を聞いた聖とコロは互いを見合わせ――
「行こう」
「はい」
踵を返し、墓地を後にした。未来に待つ絶望。その正体については聖も、コロも、神戸さえも知らない。その正体は神戸も、何ならイクスさえも知らなかった。ただ、何かが全てを終わらせるとしか。未来に何が待つか定かではない。だが、二人はそれでも進む。絡まった腕が、手が、互いが分かち難い存在であると物語る。もう一人ではない。二人だから、何が待とうとも迷いなく進む。
※※※
同時刻、天穹城埋葬区画。一際大きな墓石の前に人影が立つ。
Elisabeth von Weissberg 4. August 2016 - 5. November 2035
「アナタが命を捨てて守り抜いた九頭竜聖とコロは未来へと旅立ちます」
聖とコロがアイザックの墓参りをするちょうどその頃、麗華もエルザの墓を訪れていた。それなりに大きな墓石の周囲には彼女を慕うシュヴァルツアイゼンと新体制となった黒鉄重工が手向けた無数の花で埋め尽くされていた。無論、麗華の分も含まれる。
アイザックと同じく彼女の墓の下にも何もない。コロがエルザの肉体を使用して復活を果たしたという話は誰もが知っている。それが瀕死のエルザの遺言であった事も同じく。誰もが、当人であるコロでさえ真実を探る事が出来なかった。エルザはどうなったのか。死亡したのか、それともコロと一つになったのか。
何も分からない中、ただ一つだけ分かっているのはエリザベート・フォン・ヴァイスベルクはもうこの世にいないという、それだけ。だから大勢が献花した。我が身を捨て、世界を救った敬意の証として。
(えるざ、えるざ。もういない、かなしい)
「そうですね。でも、あの人が守った世界はまだ残っています」
麗華の腕に抱かれる幼体ヴィルツが悲しそうに呟くと、頭部を撫でながら麗華が慰めた。当初はコロをエルザと誤認していた幼体だが、はっきりと死を告げられると、もう二度と会えない悲しさを事あるごとに口にする様になった。感情の機微があるのは良いのか悪いのか、未だエルザの死を受け入れる事が出来ない麗華に判断出来ない。
だが、その感情は幼体以外も同じだった。長らく苦楽を共にした者の死をすんなりと受け入れるのは思いのほか難しい。しかし困惑する間にも新しい時代は動く。少なくとも今、迷う暇はない。困惑とけじめ。大勢の献花にはそういう意味も含まれていた。
「ヴィルツの裏地球への帰還、地球の復興も漸く始まりました。後どれだけ時間が必要か分かりませんが、皆が望んだ平和がもう直ぐそこまで来ています」
麗華が重ねた。心なしか、声色が震えている。
(へいわ、へいわ。よかた、よかた)
「そう、ですね。でも、平和に限らず何事も維持する方が大変なんですよ」
(がんばる、がんばろ?)
「戻るつもりないの?ま、時間はまだ少しあるので今は良いですけど」
腕の中で身を震わせる幼体の言葉に麗華は驚きつつも、しかし帰還を強制する事はしなかった。否、出来なかった。人類の敵ではあるが、この幼体の存在なしに平和は成しえなかった。ソレに、エルザとの繋がりでもある。彼女との記憶を持つ幼体との別れを想像した麗華の胸が僅かに軋む。
「じゃあ、また来ます」
(またね、またね)
名残惜しそうな空気と共に、麗華は踵を返した。彼女も九頭竜聖、コロと同じく不確定な未来へと歩を進める。向かう先は絶望ではなく、訪れた平和の維持。
世界の大半は漸く訪れた平穏に沸き立ち、ごく僅かは新しい世界での覇権を目指す。何れにせよ、平和とその維持に興味を持つ人間は少ない。だから、彼女は次の戦場を決めた。ネスト封鎖を専属とする独立部隊は、その役目を終えた後、世界中の紛争を解決する独立戦闘部隊としての道を歩む。それが彼女の選んだ戦場。