5話 予兆
無人の市街地を駆け抜ける聖の背中を、微かな爆音と衝撃が乱雑に押した。どうやら戦いが始まったようだと、彼はペダルを漕ぐ足に力を入れる。しかし――
ズゥン
二輪が衝撃に足を取られた。想定外。戦いの号砲が唐突に上がった。もう?何処で?しかし考える余裕も暇も無い。
ズズズ
続けて、まるで自分を追いかけるような鈍く重い衝撃が地面を伝い、足を搦め取った。地中を蠢く振動の正体など考えるまでもない。ヴィルツ。人類の敵、その気配が九頭竜聖の近くに忍び寄る。
「くそっ」
吐き捨てるような一言を置き去りに彼はペダルを漕ぎ、急いで目的の場へと向かう。誰かを助ける為。否。助けるという、その言葉に呪われているが故に、彼の身体は心とは真逆に動く。
(たくさん、たくさんの人を助けるのよ。それはこの世界で一番大切なことなの)
「分かってるよ!!」
心に浮かぶ母の幻影に、窮地に語り掛ける優しい声に彼は語気を荒げた。
(たくさん助ければ、その分だけ幸せになれるわよ)
「そう、かな。そうだった、かな?」
しかし、ソレも一瞬の事。取って代わった消え入りそうな声に、疑問が混じる。最初はそう言われたからだった。しかし、常日頃から言い聞かせられる内に、何時の間にか当たり前と考えるようになっていた。が、揺らぐ。利用され、解雇された。誰も認めてはくれなかった。ただ利用されただけだった。その事実にヒビ割れた心の奥から、押し込めた本心が漏れ出す。
(だからいっぱい)
「旦那サマー」
その声に全てが吹き飛ぶ。淀んだ心の奥底からの声が、聞き慣れた声にかき消された。
「コロ!?」
叫ぶ聖。全力でブレーキを掛け、前後輪を滑らせながら身体を捻って来た道へと視線を移すと、小さな体躯が必死に駆け寄る姿が目に飛び込んで来た。何故?どうして?考える余裕は依然、無い。が、頭は否応なく思考する。自分の命よりも優先するのは自我を持つ機械。両親の死別から約3年ほど時間を共にした友。いや、もはや家族に等しい存在。
考えるまでもないと、弾かれる様に彼の身体は動いた。駆け寄り、振動に足を掬われ転倒したコロを拾い上げる。
「探しましたぁ」
「どうして来たんだ!!」
聖の問いに、迷惑ばかりかけて、とコロが背中から嘆く。確かに、と聖は考えた。過去を思い出せば――いや。ハハ、と渇いた笑い。状況に似つかわしくない笑みの理由はとても単純で明快。
楽しかった。壊され、汚され、迷い、間違える。コロのしてきた事を思い出せば、よくよく考えなくても碌でもない。しかし、それでもと彼は思う。屈託なく、純粋に、何の裏もなく接してくれた。例え、ソレがプログラムされた偽物だとしても。いや、違う。偽物と本物の違いなどどうでも良いと、彼はそう結論した。そもそも、人だって感情がどうやって発露しているか分からないじゃないかと。
ドン
背後から、何かが破裂する様な大きな音が聖の身体を貫く。同時、粘つくような空気が聖の周囲に纏わりつき始めた。必死でペダルを漕ぐ彼の頭上に、大きな影が覆いかぶさる。
(オオオオォォォオオォオオオオオォォォ……)
声とも、叫びとも、何とも表現できない何かが響いた。見ない。見たくない。聖は必死にペダルを漕ぎ、コロはその背中にしがみつく。
ズシン
今度は鈍い衝撃が影と聖達の間に割って入った。
「チィッ。こんな場所までェ!!」
間髪入れず、上空から苛立ち混じりの声。聖が背後を見れば鐵の勇壮たる背中が視界を掠めた。助けが来た。奇跡。好機。聖はペダルに力を籠めた。
が、混乱する。不意の浮遊感。揺らぐ視線。身体を貫く衝撃。鼓膜を突き破らん程の音。そうして最後、身体を貫く激痛。
「よぉし。ボーナスボーナス」
「チッ。まぁいい、譲ってやるさ。あぁ、でも殻付きがいねェんじゃあな」
「ハハ。強がり言ってら」
「テメェ!!」
漸く聖とコロは状況を把握する。鐵が構うことなくヴィルツを攻撃した衝撃に吹き飛ばされたのだと、漸く彼は現状を察した。しかし助けた連中は自分の事など見向きもしない。致し方ないと、彼は飲み込む。元より無謀は承知の上だった。
「オイ、見ろよ!?」
「あ?あぁ、さっきのガキじゃねぇか?」
「チッ、バカが本当に行くかよ普通!?」
鐵が漸く救助者の存在に気付いた。が、無機質なカメラアイが聖を捉えたのはほんの一瞬。直ぐにその先に群成すヴィルツに向き直った。
「おい。俺の獲物だぞ!!」
「知るか」
やがて、無数の振動と共に黄昏の空を十数機の鐵が埋め尽くした。市街地にまで出現したヴィルツ討伐目的なのは明白。足元の民間人など眼中に無いのも明白。彼等は傭兵。仕事をこなし、対価として報酬を受け取る。ただ、それだけ。その仕事とはヴィルツ討伐。それ以外の雑務、謝罪、賠償、世論の操作諸々は黒鉄重工の仕事と完全に切り分けられている。
民間人の救助も同じく。ヴィルツ討伐は重工、救助は当該国の役目と分けられている。助けない訳ではないが、体裁という色が強い。よって、邪魔と考える者も少なからず存在する。冷徹な、彼等の間にだけ通る理屈。民間人を助けようが報酬が減額されては意味が無いし、命を失うなどもっと意味が無い。
九頭竜聖は逃げ場を無くした。前方には人類の敵が群れを成し、後方には民間人など石ころ程度にしか見做さない連中が引き金に指をかける。
死。逃れようのない死。しかし、九頭竜聖は受け入れる。これは、自分が選んだ道だからと。しかし、納得できない。否定したい死が彼の目の前に転がる。衝撃でシステムダウンしたのか、全く動かないコロ。彼の意識は最後だというのに己を差し置き、3年に渡り苦楽を共にした無二の家族へと注がれる。
直後、無数の砲撃。次いで空間を歪ませる程に強烈な不可視の攻撃。襲い来る激しい衝撃に九頭竜聖は意識を手放し、コロは機能を停止した。